VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.
それでも言葉を信じたい。自分の心が伝わらないと嘆くのは、先ず言葉を尽くしてからだと思うのだ。言葉は曲がりなりにも人類が長い時間を掛けてチューンしてきた道具である。本当の意味が表せるように、本当の気持ちが伝わるように、言葉を重ねて、重ねて。
言葉にならない言葉に頼るのも、言葉を尽くした後だと思う。「以心伝心」とは実に怪しいもので、現実にはお互い自分に都合の良い解釈を重ねる結果が待っていたりするのだから。
「言わなくても分かってくれよ」 「分かった『つもり』でいいのかい?」
言葉を尽くすのを、冗長と厭ってはならないと戒めながら。
先日書いた酒とマリアージュの話があまりに酷かったので全面改筆。……まだ酷いけど(苦笑)。
今日の一滴="青茶:鉄観音(詳細不明)" (2005/03/01)
先日から気力回復を名目にした物欲大発動が続いているところへ、こんなページを見つけてしまったのだからたまらない。前々から欲しいなとは思っていた、中国茶向けの「
如星が中国茶を飲むようになって3年ぐらいになるけれど、割りと茶壷一つで気分のまま楽しむ、というやり方が続いてきていて、茶葉の種類によって茶器のタイプも変える、という知識は持ってはいたものの、実践には至ってなかった状況だ(茶壷に香りがついて困るお茶は、紅茶レピシエのテイスティングキットで代用したり)。もちろん、趣味を気分のまま楽しむのも悪くはない。最初から理論武装しても所詮は生兵法に終わったりもするしね。ただ、やはりある程度楽しみを会得してきたら、そこで改めて若干「座学」、机上の知識を入れてやることで、今味わってる楽しみに体系と背骨が入り込み、更なる楽しみに繋がってゆくのはどんな趣味でも変わらない。
というわけで、紅茶、日本茶と手を広げてきた如星だけど、中国茶は今ようやく、遅まきながら「知識の充実」に興味が向き始めた頃合いだ。茶葉の基本的な性質、飲み方ぐらいは掴んでいるけれど、茶葉の種類・入れ方・茶器等々、紅茶よりも更に奥深い世界がまだまだ待っているらしい:) 例えば今回の蓋碗ひとつにしても、紅茶の知識で眺めると、茶葉を入れっぱなしで味が出きってしまわないのか、なんて疑問を持っていた。いやそのまま飲まずに茶海に移すなら、茶壷で入れるのと何が違うのか、あるいはガラス茶壷でもまた向くお茶が違うらしいが云々。今回ちょちょっとググり、そして茶荘の人に素直に教えを乞うて、蓋碗の持つ放熱性と、中国緑茶の渋くならない特性が蓋碗で飲むのに向いてること、また茶壷より広い茶葉を広げる空間が、青茶の中でも岩茶を蓋碗で入れる(こっちは茶海に移してから飲むようだ)のに向いてることなどを知る。蓋碗は全体的にさっぱり目にお茶が入るようだ。
知れば知ったで新しい茶葉が欲しくなり、飲む楽しみもまた広がる。今晩は新しい茶葉も仕入れたし、また帰宅後既に手持ちの青茶・黄枝香を蓋碗で入れてみて、今まで知らなかった新たな香りに酔う。───そう、これこそが趣味のポジティブスパイラル。適当と実践の合間に程よく入れた知識の背骨。ああ、これだから趣味の道は辞められない:)
今日の一滴="青茶:黄枝香 2004年春茶(広東)" (2005/03/02)
数日前のことだけど、福井晴敏「終戦のローレライ(I〜IV)」読了。
実に読み応えのある一作。終戦直前の海軍潜水艦モノに仮想兵器を一つ加えた秘話仕立て、といった感じの作品だが、文庫で4冊(ハードカバー時2冊)の尺をたっぷりと使ってあるおかげで、海戦物としても、終戦間際の重苦しい空気を描いた面も、お得意の鋭利狂人が代弁する福井節も、そしてラノベ調少年少女微愛モノ(笑)としても、それぞれをキチンと消化し、こなしている印象だ。ただし多分ここは賛否両論で、ごた混ぜだ、冗長だという指摘もあり得ると思う。帝国海軍の漢臭さとボーイミーツガールの同居、良く馴染んでいるので如星としては気にならないのだけど、どちらか一方──多分この本を取るという事は前者──を期待している人は他方を冗長と感じるかもしれない。実際、文庫2冊ぐらいの尺でも書けなかった話ではないと思うが、それでも如星はこの馬鹿長い尺を使ったことを評価したい。
まずは主たる海戦物として。実戦では稀に見る潜水艦同士という、地上・水上の常識が通用しない暗闇のみの戦闘シーンは素直に興奮する。映像的にはハリウッド映画でお馴染みだが、これを文字で表現しきれる文章力は流石である。一応ネタバレなので詳細は書かないけれど、仮想兵器として登場する表題の「ローレライ・システム」が現実では不可能な海中戦闘を生み出しているのだが、そこは良質のSFらしく、飛躍と現実性のバランスがキチンと取られていて胡散臭さはない。システムに科せられた制約がストーリー上でもしっかり生きている辺りは巧いね。
また、幕間に入る「終戦間際の日本の風景」がいい味を出している。もちろん如星はその頃の日本が現実どうだったかなど知る由もないが、あくまで静かに描かれる絶望的な戦争末期の「日常」は、直接悲惨さを感じるというよりは、ふと本から目を上げてしばし読んだ文章を反芻していると、不意に強烈な居たたまれなさが襲ってくるような、そんな凄みを持っていた。また「終戦後」として描かれるエピローグはかなり長めで、蛇足か余韻かで賛否両論はあると思う。でも、戦時中活躍した人間が平成に至る過程は、如星にとって、そして多分同世代の人間には、かなり新鮮だったと思う。そこを割り引いて考えなければならないが、それでもこの物語の幕引きには、そんな「時代の遷移の中の人間」という流れが相応しかったように思う。
しかし、定番の海軍物、お馴染みの福井節による日本人根性批判、それを代弁する鋭利な狂人、そして青硬い少年と紅一点の少女等、「イージス」や「トウェルブ」等の過去作品と重なる小道具が多い上に、物語の展開までも何処となく似通っているのは少々気になる。今回はそれら定番素材に効かせたスパイスと文章のレベルの高さで十分楽しめたし、単体の小説としては間違いなくお勧めの一冊であるが、福井小説としてみると、正直「亡国のイージス」を越えられていない気がする(と言うか、如星的にはイージスが神掛り過ぎなのだが)。同傾向が故にこうした比較をされてしまうわけで、そろそろこのパターンを自ら打ち破る作品が欲しいところ。最近作品映画化等勢いがあるだけに、逆にパターンが固定化して「消費され使い捨てられたり」しないことを祈るばかりである。
ともあれ、福井作品未読者にも、一級のエンターテイメント小説としても、戦争と言う現実を垣間見させる一冊としても、お勧めできる作品である。……が、個人的には「亡国のイージス」を先に勧めたいという、複雑な心境である。また福井作品既読者は……うーん。福井節による潜水艦戦闘が見たいか、という一点に掛かってるかもしれない。それは十分恐ろしく魅力的で、多分福井読者は抗えないと思うのだが(笑)。
今日の一滴="緑茶:峡州碧峰(湖北省)" (2005/03/03)
自分の書いたものから耳をふさいで逃げ出したい、という欲求にしばらく駆られてましたが、ようやく最近落ち着いてきました。ふぅ。せっかく感想をいただけていた方々、長らく反応もせずに本当にすみませんでした。平にご容赦を_|\〇_
ちなみに次回作構想も少しずつ進み始めてきました。半ば冗談で作ったCM68のサークルカット「Fate/estate dolce “盛夏甜宴”」が現実味を帯びてきました。Fateはどうしても「冬」というイメージがありましたので、ここで一発、君望では書き慣れた「夏」の空気を取り込んでみようかと考えています。……なんつーか結構難しいんですけどね。如星の力量不足もあって、原作の空気、登場人物の雰囲気を、季節感に後押ししてもらう書き方をしてきてますので。特にイリヤサマー(何)を具現化するのには骨を折りそうです。
今日の一滴="−−−−" (2005/03/04)