VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.
転居に式の怒涛のイベント進行がようやく無事一段落したのを祝し、久しぶりに旨い物を求めて出撃。先週日を見つけ、日記を見返したところ実に1年3ヶ月ぶりとなる、「フェアドマ」@日本橋に行ってきたのであった。
この店の旨さは前回書いたとおり折り紙付きなのだけど、日本橋・三越エリアと横浜人には若干行きづらい場所だったのが災いし、なかなか再訪できていなかったのだが……今回秋葉圏への転居で、一気に近場の店に早変わり。早々に予約が埋まりがちな辺りが悩ましいけど、その辺は横浜時代のプレチェと同じと捉えて積極的に使っていきたいね。
その日は春らしくふきのとうとウドのフリットで始め、カルパッチョやらトリッパのパスタで肉々しく進行。面白かったのがメインに据えたエイヒレで、ヒレの周りの柔らかい白身の肉と、コリコリしたヒレの筋がまぁ旨いこと。「エイヒレ」って言葉から想像する料理とはまったく異なる優しくレベルの高い一品である。このエイヒレ、実は初めて食べたのはヴェネツィアの店(アニチェ・ストラート。お勧めです)で、こういう傾向だろうと分かってはいたんだけどね:)
ちなみに相変わらず、グラッパを頼むとシェフがいそいそと出てきて嬉しそうにつまみに合わせて酒を選んでくれる:) 今日はドルチェのババをグラッパでやろうとしていたところへ、それに合わせた形で、樽熟なし&フラワリーな中にも種っぽい「グラッパらしさ」を持った一本を選んでもらった。……相変わらず名前を覚えていないのはご愛嬌。今回は写真すら思い出さずにいそいそと楽しんでしまったのである。はー、満足満足。
しかし今回、一つ客側で気になったのが隣のテーブル。ブロガーのプチオフといった感じで、3人が全員毎皿念入りに撮影してるのは(別にフラッシュ焚かないし携帯でアホ音鳴らすでもないし)構わないんだけど、なんだか撮影素材用として厨房に使った材料を持ってきて欲しいだの何だのと不思議な要求を繰り返ししていた模様。フロアの方も慇懃に断っていたようなんだけど、公式取材じゃないんだから出てきた皿以上の要求を掛けるのはどうかと思うんだよなぁ。特にトラットリアは厨房もフロアも怒涛の忙しさだし、こういう小さめの店の場合、客の側もそんな辺りを察する粋が欲しいところだ。もちろん、余裕がありそうなら話のタネとして色々聞いてみたりするのは全然構わないと思うんだけどね。
引越しから45日、遂に持ち込んだ全ての書籍箱開梱が完了しました! ……未整理だけど。
前の部屋以上に高効率パッキング格納を試みていたこともあり、いちいち思考しながらの開梱だったのでえらく時間が掛かってしまいました……。部屋に合わせた「隙間を絞り出す」小型本棚の数々は当然部屋が変わることで使い物にならなくなったりもして、結局いくつかの本棚は買い増しになってしまったのは懐的に痛いところ。
これから春夏に掛けて書き物予定もどさどさ入ってきているので、自宅内のことはルーティーンワークで進む状態に早く持って行きたいところですね。もー少し、あと少しです。
とりあえず今予定している書き物・同人ワークス:
オルタについては面白い動きもあるので、待て続報ということで。
今日の一滴="金魚茶屋のパナマコーヒー" (2008/03/09)
小説として結構長いシリーズになっていて、知り合いの評判も良かった成田良悟「バッカーノ!」を追い始めてみた。ま、例によってアニメはノーフォローですが:)
とりあえず今のところ4冊(初巻、1931特急&鈍行、1932)まで読了、5巻目の2001に手をつけたところ。一気に手をつけ読み切ってることからも伺えると思うけど、これは確かに面白い、というか如星のツボに良く当たっている。一部擬音行などに「ラノベっぽい」ところはあるものの、全体として文体が非常にこなれていて読みやすいし、禁酒法時代やマフィアというしっかりとした「背景世界」を持ちつつ、その背景説明に堕さないストーリー作りも好みだ。またどの話でも、如星が円環構造と呼ぶ理想のストーリー形、つまり物語の末尾を冒頭につなぎ、世界を完結させるって手法が取られているのもイイ。
何より群像劇として、多数の登場人物を自在に操り、かつそれらの人物を利用して視点間のシーン切り替えを多用し、それでいて読み辛さを感じさせず、むしろテンポの良さを作り出している辺りは物書きとしちゃ嫉妬するしかない領域である。シリーズ自体も一貫した主人公を持つわけではなく、巻が変わるたびに前巻の脇役と新規追加人物を主役に据え直しており、それでいて物語はどれを取っても確かに「バッカーノ」である。キャラ作りの能力と、全体を俯瞰し軸をぶれさせない管理能力、この双方を備えた作者ってことだろう。
少々二次創作屋の視点になってしまうのだけど、世の中に如星が「巧い」と思える人、つまり巧い文体や巧い構成を取る小説家は何人もいる。さて、バッカーノ!の作者たる成田氏も確かに巧いけど、別にずば抜けているって訳じゃない。それでも彼の文体や技法が如星のツボにはまり、初見時には「悔しい」とすら感じたのは、その数多ある「巧い小説家のあり方」の中でも、成田氏のそれが自分の目指す所に近いからだと思う。
実は……と言うほどのことでもないけど、如星は自分の二次創作小説において、同時に扱えるのは基本的に二人までだったりする。TH2小説など、もっと多くの人物が絡んでいるように見えるかもしれないが、良く読めば二人だけの間で完結する会話や関係の塊を重ねているだけなのが分かると思う。如星の小説が基本としてダイアログ=対話で進行しているのはこの為であって、別に意図しているわけではない。同時に三人がリアルタイムで関係性を変動させるところまで構成を複雑に作り込めないってことなのだ。
例えば、「夏色シリーズ」では貴明、ささら、このみ、タマ姉の4人が登場するが、あくまで描けているのは貴明=ささら、貴明=このみ、貴明=タマ姉、そして一応ささら=このみと、個々の連衡状態の関係性である。貴明=ささら=このみといった、三者の同時関係には踏み込みきれていないのだ。もちろん人間関係である以上、要素還元すればペアの順列を重ねた状態で間違いではないし、自分の書込みも三者間とは一切呼べない代物、とまでは行かないと思うのだけど。この辺の境目は曖昧で、程度問題ではある。
そして1シーンの登場人物が二人までである以上、1シーン内で視点をくるくる切り替え、映画的に事件を多面的に描いていく、なんて芸当はさらに遠い代物である。しかし一方で、遠い代物ではあっても目指しているのはその方向なのだ。人間関係の要素を二人、三人、四人と強めていく方向。それに従って視点を増やし、物語世界の中を泳ぎまわって中継しているような感覚。今成田氏の文章にとても惹かれるのは、君望、Fateと来てTH2に行った時、多少なりともその方向へ進もうと登場キャラを増やし入り組んだ構造を増そうとしてみた時期に、ちょうど「バッカーノ!」という目指すべき方向性そのもののような小説に出会えたからなのだろう。円環構造を好む、って辺り親近感も湧くしね。
何より恋愛って3人以上でするものだから、3人書けないと話が面白くないよねー:)
たまにはどーでもいいことも本日記に書いてみるテスト。
蓋つきマグ、ってモノがある。その名の通り蓋のついたマグカップである。運良く給湯室のある客先に当たった時など、職場で手軽にテトラティーバッグで茶を入れたりするのに大変便利な代物だ。所詮ティーバッグ、所詮給湯室のお湯とは言え、蓋をして蒸らせるだけでだいぶ味は違うし、給湯室からなみなみ注いできても持ち歩きやすいし、自席での保温性も高まるしと、職場での茶葉ライフには必須のアイテムなのだ。
だがしかし、あるたった一つのシンプルな機能要件を満たすマグカップになかなか出会えない。過去には持ってたんだけど蓋が失われてしまい、買い直そうにも同じネットショップではもう売ってないと来ている。そのときもリアル・ネットを問わず散々探してようやく見つけた代物なのだが……。
その要件とは「蓋がマグの内側に糸底状にハマるタイプ」である。市販のほとんどのマグである「蓋がマグの外側に覆い被さるタイプ」だと、持ち歩き時等に少しでも蓋をずらしたり全体を傾けたりすると、蓋についた水滴がマグの外側を伝って垂れてきてしまうのだ。これが糸底タイプだと、蓋裏の水滴が外側にこぼれることはまずない。デスク上に置くので、マグの外側や底面は極力濡らしたくないのである。
ちなみによく売っている「茶こしつきマグ」の蓋は多くが糸底タイプなので、これが使えるかもと試したことはある。が、ティーバッグを使うなら茶漉しは不要だし、デスク上に持ってくる事を考えると邪魔でしょうがないので外すしかないのだが、糸底がハマる先の内法は茶漉しを想定しているので蓋がスカスカになってしまい、カチャカチャと動いてズレ落ちてしまうのである。一度廊下を歩いていてそうやって蓋を割ってしまって以来、この搦手案は廃棄されている。嗚呼、今思えば前回だって散々探したのだから、予備用に3つぐらい買っておけば良かったのだ……などと今更悔やんでも詮無きこと哉。何処かでこーゆータイプのマグを売ってるのを見かけたら、是非如星までご一報くださいませ。
……つーかだな、これって蓋つきマグに熱い飲み物を入れた人なら誰でも経験することな気がするのだが、何故そういう点への配慮がどれもこれもなされてないのだろう、と逆に不思議になってしまう。これはアレか、家事をしない人間の開発していた家電みたいなモンなんだろうか。うーむ。