VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.

如星的茶葉暮らし

■ 02月上旬 ■

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酒の一滴は血の一滴。茶の一滴は心の一滴。ネタの一滴は人生の発露。


 

【2007-02-02-金】

ゼロの衝撃

ヤマグチノボル「ゼロの使い魔(1)〜(10)」一気に読了。いやZero繋がりってワケでもないんだけど:)

元々は冬コミでゼロ魔本を良く見かけるなぁ、という相変わらずの同人オリエンテドな興味から手に取った作品だ。また同じく例によってアニメについては一切無知無関心。なんぜ作者がヤマグチノボル──如星にとってはグリグリのシナリオライターだと認識したのすら最近なのだ(苦笑)。ヤマグチ氏のグリグリと言えば、誇張こそあれ方向としては実にリアルなアホ男子学生(脳の皺にまで精子がたっぷり)を見事に描いた作家である。つまり巷で見かけるイラスト上にはテンプレ的なキャラが踊っていても、実は人間描写には期待できるのではと思え始め、同人的興味もあったところなのでごそっとぶどう氏から借り受けた次第だ。

結論──ルイズ、俺作者にお布施するヨ! ゾネ一括購入久々の発動だヨ!(誰)

いやー、実に楽しいじゃないすかこの作品。ファンタジー的なシナリオは王道、寸止めラブコメな日常も王道、表面的なキャラ造詣は今風の萌え系、いわばテンプレ的なモノで全体を構成しつつ、それでいて全然作品が平べったくない。まるで王道の三乗で思いも寄らない膨らみが生まれたかのようである。……無論、これが作者にとって「思いも寄らない」訳はないし、この面白みが偶然の産物な訳もない。この小説を読んでいて随所から感じられるのは「巧さ」だ。ある意味ありがちなシナリオを飽きさせずに読み込ませる文章力と言ってもいい。王道展開の中にも織り込まれるスパイスの聞いた設定やシーン、現代人巻き込まれ型を逆手に取ったかのようなメタオタク的な萌えギャグを、巧くこの小説の本題、主人公サイトの望郷の念や各キャラの造形、全体のシナリオ進行に繋げ、調和させているのが「巧さ」なのだろう。いわゆるオタク要素をメタ的に使った作品は正直「内輪臭さ」が出て如星個人的には好きになれないのだが、この作品でそれが気にならないのは使い方が巧いからだとしか言いようが無い。

そしてキャラ造形。主人公たるルイズは世の中じゃ「ツンデレ代表」みたいな扱いで、いや確かにそんなキャラではあるのだけど、彼女は断じて巷に溢れる「ツンデレという記号が先にありき」で作られたキャラではない。まず先にキャラとしての背景や土台があり、性格づけがあり、シナリオの中での位置づけがあり、その結果として「記号要素を含んだああいうキャラクター」が出来上がる──なんだよそれって普通のキャラ作りじゃん、と思ってしまうかもしれないが、現実にはどうもテンプレ記号先行で全然中身の見えない「萌えキャラ」が溢れ気味なのである。記号ありきで作ったキャラは所詮記号以上には育たず、中身を十分に造り込んだ結果として「表面上は記号的ツンデレキャラになる」ってのとは根本が全然違うのだ。故に、キャラの人格にキッチリ一本筋が通っていればこそ、このルイズという魅力的な主人公はどんなシーンに放り込んでもしっかりと芝居が立っているし、だからこそオマケ要素的な(うん、ありゃオマケだ)ツンデレギャグも臭わず安心して読んでいられるのだろう。……てかね、これは作者による記号化人物造形へのちょっとした皮肉なのかも、とすら邪推してしまう(苦笑)

それに物語後半に到るにつれ、段々と王道テンプレだったシナリオが徐々に作者のペースにハマっていく。アルビオン攻略後辺りからは物語はノリにノリ、グッと独自の世界観に引き込まれていく。久々に素直に先が気になる、実に楽しい娯楽小説でありました。……こうして10巻分一気に読み進めて感じるのは、変な意味ではなくて、エンターテイメントの提供を第一目的にした書き方ってこういうものか、ということ。読者を楽しませよう、という意図が文面から滲み出てくるようであり、かつそういう作為的な面が別段嫌味を感じさせないってのは、元々がシナリオライターであるが故の技量なのかもね。うん、これは素直にお勧めだ。

ただ一つの問題は、この作品に予想外に愛を持ってしまったこと。そうしたファンの目で改めて見渡すと、なんだよ同人作品の多くがお惣菜じゃんよヽ(`Д´)ノ 愛ある作品の同人に対しては、結果としての18禁ではなく手段としての18禁は見たくもなくなるのよねぇ……。ま、それでも頑張って良質本を探していくとしやしょう。嗚呼つくづく同人オリエンテドライフ也。

今日の一滴="−−−−" (2007/02/02)

【2007-02-04-日】

聖ヴァレンティヌスの巡礼期間

さあ、今年も聖ヴァレンティヌスに祈りを捧げる季節がやって参りました:)

今年も日本のショコラブームは留まる所を知らないようで、ヨーロッパ中のショコラティエがこぞって東京に押し寄せているような雰囲気。信者としては素直に嬉しい限りである。……ただ、今年は去年惚れ込んだルカ・マンノーリやロココは何処にも出店していないようで、その面では少々残念である。うーん、ああいう香料の使い方の旨いところはなかなか見つけられていないからねぇ。また同じく去年盛況だった銀座松屋、今年も期待して初日に特攻してみたけれど、規模も小さい上に出展ブランドにも今ひとつ面白みがなく、信者の巡礼は一歩目から躓いてしまった感じだ。

そこで今年は基本に立ち返り、なるべく幅広いショコラティエから少量ずつ味を試していく「薄く広く」方針を採用。Webで事前調査したところ、独自性のある展開、個性的なショコラティエを呼んでるなぁと思えたのが高島屋各店、新宿伊勢丹、銀座プランタンなど。先週平日は仕事帰りにいそいそとデパート催事場へ急ぐ如星の姿があったのである(苦笑)

で、まぁとりあえず本日までの戦利品を写真に収めてみた。……我ながらよーやる、と思わんでもないが、この行脚はかなり楽しい。結局去年のように「一箇所で集中買い」をしないので、各店舗を足で稼がねばならないのはちとしんどいけれど、もちろんその分楽しみも増えるという訳だ。が、どうもブームに火が点き過ぎたのか、毎日入荷分が午前中で完売してしまいます、なんてところもちらほら出てきた。まぁ俺自身が信者特攻してる身なので殺到する気持ちは大変良く分かるのだが、仕事帰りの人間の手に届かない、ってのはちと何とかして欲しいところ。ま、ブームってそんなモンなんだけどね。それにリコメンドの話で少し触れたけど、その後あちこちショコラティエの出店を回って感じたのは、このブームの中でキチンとその後も残るファンを掴もうと、売り込みに力を入れてるところが結構あるな、ということ。俺みたいな男性一人の買い物客にも、もはや酒の線でお勧めを打ち出してくるのはデフォ対応になりつつある。例えそれが「男性顧客の財布を開拓せよ」という商業主義に端を発していようと、食い趣味の人間にとっちゃ素直に嬉しい話である。聖ヴァレンティヌスは寛容の聖人なのだ(笑)

ま、ともあれ後ほどちまちまと実食レポを上げていきたいところ。気長にお待ちくださいませ。

今日の一滴="−−−−" (2007/02/04)

【2007-02-05-月】

Kanon18話:恋愛といふ変態

元々クオリティの高さがもはや定評の中でも、更に巷の評判も高い栞編最終話。が、確かに品質の高さは相変わらずだし、原作でも好きだったシナリオのエッセンスをかなり忠実に追ってくれているのに、何故か如星的には今ひとつグッと来ない。むしろ原作の印象が薄かった舞編なんかはアニメでかなり惚れ込んでしまったのだが……。その理由に、この第18話の最後でようやく気が付いた。

思うに、この物語は真琴編よりも、舞編よりも、恋愛の匂い無しでは成立しない物語なのだ。思えば恋愛感情って(元がKanonというギャルゲーなんだから)この一連の追複曲の一大要素であるはずなのに、本作ではハーレムアニメにしないために物語の中から見事に脱臭されている。それでも18話の最後の瞬間までは気づかずに視聴できた辺り、ここまでの脱臭の仕方が巧かったとしか言いようがないし、それに原作の真琴編も舞編も少々色恋話とは趣を異にするタイプの物語だったのも、大して気にならなかった大きな要因だろう。

でも、栞編はダメだ。真琴編は「彼に既に起きてしまった奇跡を慈しむ」話だし、舞編では「幻想を作り上げるのに手を貸した人間」として祐一は彼女に関わっていく。だが栞編では、彼は本来ただの傍観者である。彼にとって栞は、自分の目に留まりさえしなければ、気がつかぬまま世界から零れ落ちる砂に過ぎなかったはずなのだ。つまり、そこに踏み込み、終わるかも知れない一つの人生に手を差し伸べようとする行為───御伽噺でも、超能力でも、過去の約束でもない「人の業の範疇」となる物語において、人が文字通り他人一人の命の重みを支えようとするならば、そこには何らかの強い動機がないと不自然に過ぎるのだ。例えば恋愛感情のような強烈な(愛すべき)誤解を以って、相手一人を救いたい/救いうるという狂信に到らねば、その行動は実に嘘臭い。彼は単に気まぐれで「可哀想」と呟いて相手の人生に干渉した人間に過ぎなくなってしまう。「俺はただ、彼女のことを大事にしたいだけ、守りたいだけ」とはTH2の貴明の台詞だが、この物語を通じて、栞を見守る祐一に何処かそういう嘘臭さ、八方美人さを俺は感じていたのだろう。

改めて原作を読み返すと、栞の誕生日を百花屋で祝った時、名雪に「大切な人」と看破されて栞と祐一が二人して赤面する、というシーンが入っている。彼女に手を差し伸べる理由を明確に自己認識した上で、香里から「あたしの妹」という台詞を引き出すって流れは巧いなー。片やアニメ側では、思えば香里が祐一に向かって最初に妹に対する心情を吐露するシーンからして、ちと唐突感は否めない。原作及び若干のCorkboard「二次創作」を知る身にとって、原作よりも香里に丁寧にスポットを当てて描いている部分は確かに胸の詰まるシーンの連続ではあったのだけど、それは受け手側が予め全て事情を知っているのが前提になってしまっていたように思う。

というわけで。この18話の最後の最後、栞がキスをして去るという甘いシーンに感じた身を捩るような甘酸っぱさと、その恋愛と言う感情がその瞬間においてようやく初出なのだと気づいた落胆にも似た感情が相まって、この時ばかりは祐一がひどく嘘臭い人間に見えてしまったのが少々悲しい。それを差っ引いても、香里関連等出来が良かったのは確かなんだけどさ。

じぶんとそれからたったもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいっしょに行かうとする
この変態を恋愛といふ

宮澤賢治「春と修羅」

ところで

ちょうど17話視聴後頃、相方が素で「そんなのくれる人嫌いです」と言ったので思わず吹いた件。

(当人は別段Kanonをプレイしているわけでも観ているわけでもない)

今日の一滴="−−−−" (2007/02/05)

【2007-02-08-木】

Let us pray, San Valentinus

とりあえずここまでで聖ヴァレンティヌスに捧げた祈りを取りまとめ。

リシャール(プチリシャール)

今年ここまでの白眉。アロマが売りのショコラなのだが、各香りの系統ごとに「お勧めの食べる順番」が書いてある。香りを最大限に楽しむ為の配慮とかで、そこまで言うぐらいならと期待は高まっていたところ。

で、これが旨いのなんの。ネロリやラヴェンダーなどの香料系、シナモンやジンジャーなどのスパイス系があるのだが、どれも噛み砕いた瞬間と、飲み下した後に昇ってくる2回、ショコラの味わいの中からそれぞれの香りが漂ってくる。

その香りはあくまで淡く、それを感じ取るために思わず目を閉じ、口の中で半ば溶けたチョコレートをゆっくりと飲み込む。五感の全てを駆使して味わう、という表現が誇張にならない、素晴らしい逸品であった。そして嬉しいことに、こいつは普段から日本で買えるのだ:)

ピエール・マルコリーニ(トリュフ)

こっちは残念ながら外したほう。実は以前季節モノのガナッシュを試し、自分とは合わないなぁと感じていたのでリベンジを試みたのだが……。トリュフの油脂分がちとしつこい。もちろん酷く不味いということはないのだけど、値段相応の旨みが感じられない。ショコラも、トンガ豆も、キャラメルも、なんか平凡なのだ。そしてクリーム分のしつこさだけが印象に残る。うーん、こりゃ徹底的に俺と合わないということだろう。

本ブランドは以降醐醍葉級と認定する。ベルギーと相性悪いのか俺……?

ピュイサンス(フォンダンショコラ)

こちらは日本のショコラティエ・ピュイサンスのフォンダンショコラ。更に表面を薄いチョコレートでコーティングしたモノになっており、コーディングチョコレートがノーマルとフランボワーズの2種類だ。

これは素直に旨い。ヴァレンティヌス甘謝祭中はどうしてもガナッシュ主体になってしまうので、こういう茶菓子になり得るチョコは嬉しい。もちろん旨さの理由はそれだけではなく、フランボワーズをほのかに効かせた表面のぱりぱりチョコの香りと食感、中のどっしりフォンダンショコラの風味と舌触りの合わせ技が決まってる。食ってて楽しいね、これは。

HIGASHIYA(薄氷)

異色作。和風チョコでは断じてなく、チョコレートを使った和菓子と呼べる作品。寒天の表面を砂糖でコートし、上面にのみ薄くミントチョコを張ったものだ。氷のような見た目の美しさ、ぱりっと抵抗があった後に寒天にスッと入っていく食感、外観に相応しく漂うミントの冷たさ、氷のように解けて消える甘味。見て、触れて、聴いて、嗅いで、味わうという五感全てに訴えかける逸品。こりゃ和菓子だ。

クリスチャン・ヴォーティエ(ガナッシュ)

初めて聞く名前。フランス系らしい。ローズ、パッションフルーツのガナッシュなのだが、リシャールのような「ほのかに香る系」ではなく「切るとむっちりバラ色の練り物が出てきますよ」という主張の強いモノ。コレはコレで確かに旨いなぁ。リシャールのような漂い方の方が酒に合わせたりするには良いので、好みとしては少し外れる。でも強い香りと強い甘味を打ち出している辺りはいい感じ。これカウンターには茶ですら弱いな。コーヒー欲しくなる。

ピエール・エルメ(マカロン)

別にヴァレンティヌス期間とは関係ない定番じゃん、というのはさておき、ホント旨いなこれは。なんかちまっとしてサクッと小洒落た巷のマカロンを嘲笑うかのように、ごすーんとでかく、どすーんと濃厚。一方で純粋なショコラの香りも、ほのかにパッションフルーツの練り物が香る様も、決して単なるパワー派ではないことを示している。こりゃ定番化するわけだよ。

パレドオール(ガナッシュ)

大阪のショコラティエらしい。モルトの山崎を使ったガナッシュがあると聞いて3種ほど買ってみた。……箱にも能書きにもどれがどれだか書いてないので、どれが山崎だか分からなくなってしまった(苦笑)。というわけで3つまとめて食ったけど、うーん、取り立てて感動する部分がないなぁ。ショコラの香り、カカオが良く効いてる……って言う程でもないし。山崎も本当に微かに香る程度で、旨いか、引き立ってるかと言われると微妙。もうちょっと、こう、アレ風に言うなら「ファンタジスタ」なモノを求めるんだよなぁ、こういうショコラには。

トシ・ヨロイヅカ(マールのショコラ)

日本のいわゆる「行列のできるパティスリー」という奴らしい。別にそういう右へ倣え的なモノには全然惹かれない俺だけど、マール・ド・シャンパーニュ、つまり葡萄の蒸留酒を使ったチョコがあると聞き、苦労して確保。なんだよ平日午前中で完売って……!(笑)

で、そのマールのショコラ自体は確かに旨かった。世の中では「ワインを使ったショコラ」とか「ワインに合わせる」みたいな酒の使い方が良く言われてるけど、俺は何度も言ってるように、タンニン分の強い赤ワインなんかとチョコレートを合わせるのは至難の業だと思う。むしろ伝統的な菓子作りの領域たる、蒸留酒を使ったモノ、蒸留酒に合わせるモノの方が楽かつ旨いと思うのよね。それを証明してくれるかのような逸品でした。

ちなみに確保してあるけどまだ祈りを捧げていないもの:アンリルルー、グイド・ゴビーノ、ミカエル・アズーズ、リシャールのゼニチュード、高島屋オリジナルの胡椒チョコ6種(オーボンヴュータン、アルカイク、レピキュリアン、メゾン・ド・プティフール、ノリエット、ピュイサンス)など。

今日の一滴="−−−−" (2007/02/08)


 
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