MACHINA EX DEO
如星的茶葉暮らし

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酒の一滴は血の一滴。茶の一杯は心の器。ネタの一つは人生そのもの。

【2004-09-21-火】

【逃亡開始。】

というわけで、アニ○イトヴェネツィア店に行ってきます。

もうこの辺りから溢れ出そうだったのを色々堪能してくる予定:)


【ヴェネツィア紀行・DAY-0】

シベリア上空よりこんにちは

というわけでDay-0、要するに移動日である。今回はミラノ経由でヴェネツィア入り。深夜に着く便なので文字通り移動しかなく、元々大して書くことはないんだけどね。

現地航空会社って素敵。

今回のフライトはJALのコードシェア便でアリタリア。何度かイタリア、そしてヴェネツィアに行っている如星だけど、アリタリアの機材で欧州へ飛ぶのは今回初めてだったりする(イタリア国内便は使ったことあるけど)。噂によるとアリタリアのエコノミーは比較的快適だとか。……快適さで言えば確かにJALは同じエコノミーでも確かに快適なんだけど、なんとゆーか、旅行の風情に欠けるんだよねぇ(笑)。行きはともかく、帰りがJAL機材というのは結構しょんぼり(そして今回はそのしょんぼりパターン。うぐぅ)。海外エアライン機材であれば、例えアリタリアでなくとも、成田で飛行機を降りるまで旅行気分でいられるのだ。ところがJAL機材だと向こうで飛行機に乗った瞬間に日本人の群れに日本語のサービス、あっさりと旅行気分が終わってしまう。おまけに大抵繁忙期のJAL便なんて、宴会気分の団体客が乗ってたりして萎えることこの上ないし(苦笑)

さてそのアリタリア。さてそのアリタリア。確かに座席は結構快適。ヘッドレストに角度がつけられるなんて辺りもポイント高い。そしてアテンダントが軒並みダンディなイタリア野郎、ちょっとハァハァしてしまいます(何)。機内でいきなりイタリア語の洗礼を受けられるのもいいし。そして何より、メシが旨かった……

機上メシ。

どんな機内食も旨いと言ってしまう傾向のある如星ですが(ぇ)、いや今回は本当に旨かった。最初のランチはスモークサーモンとピクルスの前菜、トマトソースのニョッキ、白身魚のグリルを夏野菜のバターソースに浸したものだったのだけど、これがなかなかに馬鹿にできぬ味。実はニョッキにはトラウマがあって、以来口にすると気持ち悪くなってしまってたのだけど、今回はあっさりと行けてしまった。キッチリとデザート用にパルミジャーノ・レッジャーノが付いてきてる辺りもイタリアだ:) その後途中で出るスナックはパンにハムチーズはさんだシンプルなものだけど、ああ、ここでもチーズが旨い(涙)。幸せだのぅ。

また不思議だったのがコーヒー。流石にマニフィカではないのでエスプレッソが出たりするわけじゃないんだけど、これが意外にもそこそこ旨い。アメリカ系航空会社の黒い水みたいなのは論外としても、なかなか味が深くて飲めるのですよ。で、旨かったので後で後部キャビンに行ってまたコーヒーを出してもらったんだけど、ちょいと裏を覗き込むとなんか普通にインスタント粉を溶いて作ってる( ゚Д゚)……。が、出てきたのはさっきと同じ旨いコーヒー。こ、これはアレですか、日本人が作れば例えサトウのご飯でもそこそこ旨いというアレですか。恐るべし……。

ミラノ・マルペンサ空港

というわけでマルペンサ空港でトランスファー2時間待ち。とりあえず一発目エスプレッソ入れて、現在ロビーの無線で日記更新完了。最近有料無線もその場でオンライン&クレカで買えるのは嬉しいねぇ。成田のは確か24時間からだったと思うけど(日本でならエヂが入るので買ってない(w)、ここは1時間から買えるので結構お手軽。乗り継ぎにぴったりですな。

無線エリアを示す見慣れた「Vodafone」のロゴ……って当然こっちの方が起源だっつの。


【DAY-0.5:夜の表玄関】

ヴェネツィア・マルコポーロ空港からヴェネツィア本島までは水上バス「Alilaguna」にて一時間ちょい。到着時間が21時過ぎてたこともあって、30分で着く陸のバスを考えないでもなかったけど、やっぱりヴェネツィアに裏口から入るわけには行かない。 ラグーナ(潟)を渡り、本島の前を横切り、ヴェネツィアの表玄関たる聖マルコ広場に横付けする──ノスタルジックに過ぎると言われようとも、この方法だけは曲げられないのだ:)

#ま、到着23時過ぎであっても、中心エリアなら街を歩けるヴェネツィアの治安、という要素ももちろんあったんだけどね。

かくてムラーノ島通過の際に「ここが大運河?」とのたもうたアメリカ人に苦笑しながらも、2年ぶりにヴェネツィアの地へ。何度見ても、海の上に元首官邸パラッツォ・デュカーレの正面が浮かんでくる様は不思議な感慨を巻き起こす。時間は23時過ぎ、未だ観光客でにぎわう柱廊のカフェを横目に見つつ、久しぶりの「世界で最も美しい広場」を眺め渡す。決して夜景の綺麗な場所ではないけれど、やっぱり造りそのものが美しいんだよなぁ。

……と、あまり遅くなっても面倒だ、と早々に今回のホテルへ向けて歩き出す。大体の場所は前回までの勘と地図で把握していたつもりだったけど……やっぱりちょっと迷った(汗)。手近なホテルのフロントで場所を聞いて、ようやく到着。ああ、こんな細い道を曲がるとは思わなかった……という「両手を広げると壁につくような」細い路地を抜け、建物の下をくぐる小路を通り──目の前に現れた運河の小さな橋を渡るとそこが入り口。「どんなに細い道でも普通の道」なのがヴェネツィア、やっぱり久々で勘が鈍ってましたな(苦笑)

今日の一滴="−−−−" (2004/09/21)

【2004-09-22-水】

【DAY-1:itinerary】

朝:青線、昼〜午後:赤線。

我ながらよく移動したなー。全然急いだつもりはないのでママーリだったけど。

今日に限らず、今回の目的は一つは「教会巡り」。ヴェネツィアは狭い数kmの本島の中にすら今まで教会はあまり見てこなかったし、またこれをすると必然とヴェネツィアの「郊外」をそぞろ歩くことになるしね。というわけで、出発。


【ヴェネツィアの通勤風景】

朝は6時頃にとっとと起床して散歩に出撃。 普段の如星からすると信じられない早起きだけど(笑)、例えハイシーズンでなくても、聖マルコ広場やスキヤヴォーニ河岸を静かに楽しめるのは早朝以外ないのである。 寝ているなんてもったいない:)

こんな早くでも、既にでかいカメラをぶら提げた観光客の姿をちらほらと見る。この時間の散歩ということはイギリス人かもしれない(根拠なし)。この時期のヴェネツィアは靄が多くて快晴とは行かないけれど、涼しい空気とがらんとした聖マルコ広場の雰囲気を堪能する。実は遮るもの無く広場を味わえたのは、今回は今日明日が最後だったと言うことが判明するのだけど。

今朝はそのままリアルト橋を越え、昔は銀行街だった聖ジャコモ教会前を抜けて魚河岸へ。西欧経済の一大中心地だったこの場所も今や魚河岸市場というわけで、いつもながらの感慨と寂寥を同時に味わってしまう──以前にも書いたけど、この「華やかで綺麗な街というだけではない」辺りが、この街の最大の魅力なんだけどね:) ……と、そのまま聖ポーロ方面へ抜けて、お目当ての菓子屋兼バールにたどり着き、甘い米を乗せたデニッシュとエスプレッソで朝飯に。ホテルの朝飯も見てみたけどやっぱり凡庸だったので、イタリアにいる時の朝飯はバールで食うに限る。うーん、幸せ。

この時間に聖ポーロ地区を歩くと、観光エリアの聖マルコ地区よりも一層人々が「通勤モード」である。道から道へ、広場から広場へと、黙々と人々が溢れ流れていく。人声の喧騒のないヴェネツィア、朝の通勤帯が足音だけで占領されるのは何処でも変わらない。

【interlude:大工事中。】

ちなみに毎度聖マルコの船着場寄りのカフェで、聖ジョルジョ・マッジョーレ教会とラグーナを眺めながらお茶をするのが楽しみだったのだけど、今回は丁度その場所が工事中で残念ながら断念。ま、それが保護のための大工事だと言われれば素直に納得である。

たびたび高潮(アックア・アルタ)で浸水する聖マルコ広場だけど、浸水自体による侵食も激しく、また一大ドル箱観光地がしょっちゅう水浸しというのも困るということで予算がついたのかは知らないが(ぇ)、なんと護岸工事、緩んだ敷石の補修に加え、伝統的な貯水井戸ポッツォ構造は残しつつ、その途中で水を引き抜いて巨大ドレインパイプで広場に染み出すのを防ごうと言うもの壮大な計画らしい。 ヴェネツィアの名物建築が常に何処かしら工事中なのは毎度のことだけど、最近はこういう基本的な所に力を入れているようだ。この他にも運河の浚渫・護岸工事がガンガン進められていて、一大リニューアル中と言ったところ。そういやこの街は泥に打ち込んだ木の杭の上に建っているおかげで、遺跡だらけのローマ以上に完璧に「地下」が無い。下水の敷設も遅れてるし、いい加減ファイバー辺り埋め直したいという思いもあるだろう。そーゆーモノは基本的に運河の底に敷くしかないものねぇ。

ま、工事現場の色気のなさは、たまにしかこれない観光客にはちと残念だけど、一方でこのヴェネツィア、いつか海の中に消えてしまうのではと言う不安が常に付きまとうこの街を保全してくれるなら──などとヴェネツィア偏愛者の俺は寛大に許してしまえるのだが(笑)

ちなみに工事現場に必ずあった「INSULA」という看板、ローマ区画インスラにでも引っ掛けた標語か何かかと思ったけど、元々のラテン語でも「島」が本来の意味で、どうやらヴェネツィア運河工事全般を請け負ってる会社名らしい。ぐぐる様偉大也。

【一杯飲んでハリーズ・ドルチ】

午後は立ち乗りゴンドラの渡し舟トラゲットで大運河を渡ってアカデミア方面へ。と言ってもこのアカデミア美術館は素通りで、そのままジュデッカ運河前のザッテレ河岸へ通り抜け。……しかしゴンドリエーレや渡し守って、どうしてこうカコイイ兄ちゃんばかりですかねぇ(笑)

ザッテレに抜ける途中、フラゴリーノというヴェネツィア特産の甘いワインをボトルでも置いているという立ち飲み屋兼酒屋に寄り、実際にブツを確認。今回の土産の目当ての一つはこいつだからね:) 無論確認してそのまま立ち去るような無粋はせず、真昼間から早速一杯フラゴリーノと、1ユーロのつまみを1つ2つ。心得たりとばかりの親父の笑顔。いやぁ、酒飲みの幸せなんて世界共通なのですよ。

さて対岸にジュデッカ島を望むザッテレは、ヴェネツィアでは一番開放的な場所かもしれない。本島南面のスキヤヴォーニ河岸も開放的だけど、あそこは水上バスからタクシーから個人船が岸辺を忙しく走り回り、到着した観光客がトランクを転がしていたりする。一方のこちらは、運河の真ん中辺りを船が通るぐらいで岸辺は静か。河岸も広く取ってあり、柔らかい陽光に包まれた市民の憩いの場、といった風情なのだ。ここでジュデッカ運河を行く巨大客船を眺めながらパニーニでもぱくつく、なんてのもなかなか乙である。

が、今日のお目当ては対岸のジュデッカ、夏期にしか空いていない「ハリーズ・ドルチ」である。実は如星、夏期にヴェネツィアを訪れるのは初めてで、この店は念願と言ってもいい:) 無論その名前から想像される通り、かの有名な「ハリーズ・バー」のチプリアーニ系列。向こうがいつも混み合ってて今ひとつ落ち着かないのに比べ、こっちはジュデッカ越しに美しい本島を眺めながらゆったり食事や甘味が楽しめる。実際今回使ってみたけど、個人的にはハリーズバーより断然お勧めである。

立地は噂通り、サービングはもちろんハリーズレベル。牛レバーのソテーとポレンタの付け合せを試してみたけど、味も申し分なし。プロセッコを傾けながら、本当にのんびりと海を眺め、ヴェネツィアを眺め、イタリア人のおばちゃん達の世間話を聞き流し(意味などわからんが(w)、メリケン人のちょっと苦笑するヴェネツィア感想を耳に挟みながら、食後のデザートまでをじっくりと楽しむ。──そう、こういう時間を味わうために、俺はヴェネツィアまで来たのであった:)

【周り回って】

食事の後は、あまりに天気が良かったので聖ジョルジョ・マジョーレの鐘楼へ。聖マルコ広場から真正面に見える小島で、その教会は聖マルコ広場から一番美しく見えるよう、斜めに正面を向けている──その理由が本当かどうかは知らないけど、聖マルコ広場から見る聖ジョルジョ教会は大変美しい。確かにこの教会を「正面」から見ると妙にのっぺりして見えるのだが、斜めに見るとグッと立体感が引き立つ。

この教会、真向かいの聖マルコの鐘楼と同じぐらいの高さの鐘楼が建っている。いつも混んでいる聖マルコの鐘楼と並ぶ数少ない「昇れる」鐘楼の上、対岸にあるので聖マルコ広場自体を見下ろせる、個人的には聖マルコの鐘楼よりも眺めのいい場所なのだが、何故か観光客は圧倒的に少ない。鄙びたと言ってもいい島の雰囲気、エレベーターに乗っている修道士に直接見物料を渡すというのんびりさ、「大都心」聖マルコを真向かいに臨んでいるとは思えない穴場である。お勧め:)

今日はそのままザッテレに引き返し、河岸のジェスアーティ教会を眺める。惜しげも無くティエポロがわんさかと……。つかヴェネツィア派の絵画は分かりやすくて好きなんすよねぇ(笑)。その天井画を眺めやすいよう、下に鏡が置いてあったのにも笑ったが:)

その後は河岸沿いにドルソドゥーロ地区へ。この辺りは新規埋め立ても多く、大学やコンドミニアム等の「近代的な」大きな建物もある、現代ヴェネツィア市民の生活の場なのだ(と言え、歴史的建造物内で突然普通に講義やってたりもするのだが)。とは言え中世以来の街並みもしっかり残っていて、今回は聖セバスティアーノ教会へ。わざわざこの辺りまで来る観光客も少なく──というより、教会を巡る観光客自体それほど多くないのと、ヴェネツィアには教会が多すぎて(笑)、それらの客が更に分散してしまうからかもしれないが──ひんやりとした静けさの中、教会の椅子に座ってしばしその空気を堪能する。ここはヴェロネーゼが素敵ですなぁ……。

この「街外れの小さな教会」ですら無数の絵画と凝った作りを持っている辺りが、ヴェネツィアがかつて持っていた富の現われでもあるわけで。政教分離が進んでいて、異教徒商売なんて屁でもなくやってたヴェネツィア人も、むしろ信仰は純粋に篤かった、ということである。こういう絢爛な教会を見ると「敬虔さが感じられない」と言って否定的に見る日本人もいるけれど、まぁカトリックというのは「祈りだけでは救いを信じられない弱い人間」に、地上でこうして「神の家」を見せることで、日々の支えとなる信仰と安寧をもたらしてやることを選んだ宗教である。俺も歴史好きとしちゃ、キリスト教の歴史上の無道っぷりは呆れるばかりだし、ローマ辺りの大教会が免罪符代で飾り立てられたのも事実。が、一方でカトリックの「人の弱さを認める現実さ」は嫌いじゃない。それに「教会」とはコミュニティだったのであり、そのコミュニティ全員が共有できる「聖堂」の文化に交易で得た財産を使うなんざ、なんというか粋なモンじゃありませんか:)

今日はこの後、中世ヴェネツィア貴族レシピを再現した香水を売る店へ寄り、店のオヤジと歴史談義をして帰還。後述。


【DAY-1:雑多写真】

今日の雑多写真はこちらから。

今日の一滴="ワイン:フラゴリーノ・ビアンコ" (2004/09/22)

【2004-09-23-木】

【DAY-2:itinerary】

途中北に抜けているのはトルチェッロ島へ。

さて夏期のヴェネツィアというのは、もう各国人総員おのぼりさんと言う感じであり、みんなで各国語の地図を広げてウロウロしている。おかげで(?)堂々地図を広げて迷っていても問題ない(笑)。他都市よりは治安もよいし、そぞろ歩きには持ってこいである。

ヴェネツィアにはかなり慣れてきても、それでも細かい道を往くには地図が要る。地図が無くても聖マルコ広場やリアルト橋、ヴァポレット乗り場まではあちこちにガイドがあるからいいけれど、裏路地にある教会に地図無しで行くのは大変なのだ──もちろん、その迷路っぷりがヴェネツィアの魅力なのだけど:) そんなヴェネツィア地図歩きのルールは2つ、「地図にある道を信じろ」と「地図に無い道も信じろ」である。

「地図にある道を信じろ」。たとえ地図上では「普通」に書いてある道でも、ヴェネツィアの「普通の道」とは人がギリギリすれ違える程度な路地である。地図に寄れば、この辺りを曲がるはず、この運河沿いに入る道があるはず……なら、建物の隙間に見える個所に道(カッレ)や、建物をくり抜いた道(ソットポルティコ)がきっとある。地図を信じて進むべし。

「地図に無い道も信じろ」。これはもう歩き回るしかない。地図に寄れば運河の向こうには大回りしないと行けないはず……と思いきや、ソットポルティコを抜けてひょいと渡る地図にない橋があったりする。現地で売っている、路地名がびっしり入った地図にすらない道もあるということ。そんな道でも、方角さえあってれば信じて進むべし。

【ヴェネツィア貴族の記録から】

朝の一枚はやっぱり聖マルコ広場付近から。正確にはこの辺りは「聖マルコ小広場」、この岸壁は「聖マルコの船着場」なんだけども。……この後、この2本の柱の間に撮影用のセットが組まれてしまうとはこの時は露知らず……。

さて、今日も通りがけのバールで朝飯にした後、そのまま昨日散々喋った後一晩悩むことにした店、“Speziaria de Venezia”@聖クローチェ地区へ。ここは16世紀ヴェネツィア貴族の残した製法から香水を再現している店なのだ。ヴェネツィア人の記録好きが効いたのか、そんなもんが国立図書館から見つかるって辺りが流石だが(笑)。ま、貴族と言ってもヴェネツィア貴族は、いわゆる他のヨーロッパの「地主豪族」ではなく「大商人」。 書き残す、という行為は日常的なものだったのかもしれない。

ここの店の主人は歴史好き、というか古文書好きのようで、この製法本だって図書館に通って見つけたらしいし、店の壁には自分が見つけた中世の「世界地図」をコピーして貼っていたりする。ちょうど同時に店にいたアメリカ人男性(考えてみればこのおっさんもだいぶヴェネツィア好きっぽい)を交えた3人で、当時の海図ネタやレパントの海戦等の小話に花を咲かす。 またこの男性の「あー、あのフィレンツェでやっぱり古製法の、なんだっけ」という台詞に、店主と二人して「聖マリア・ノヴェッラかロレンツォ・ヴィロレージ?」と突っ込んだ辺りが面白かった。そりゃ本家だもの、こういうネタ通じて当然なんだけどね:)

今回はルームフレグランスを4種ほど購入。ただしルームフレグランスと言ってもコロンと成分は同じ。単に濃度の違いだけで、法律上はオーデコロンを名乗れないけれど、身体につけても問題ないそうだ。むしろ元々ヴェネツィア貴族も水入りで使ってたのだし、と店主にもそっちを薦められる:) ちなみに購入品は「レパント」、「アンバー・アンティクア」、「カー」、「オリンポ」。それぞれの解説は後日使用後に。……ちなみにかなり良心的な値段である。十五世紀貴族発、100%天然成分のフレグランスやトイレタリー、ヴェネツィアの聖マリア・ノヴェッラとして大々的に売り出していくのか──と思いきや、このラグーナの片隅で、ヴェネツィア貴族に想いを馳せるような人に来てもらえれば十分という風情らしい。博物館なんかから引き合いは来ているらしいけどね。

ちなみにカウンターに積まれていて激しく気になっていた黒箱に金で葵の御紋の入った石鹸。店主曰く「や、ヴェネツィアのイメージだし日本風が好きだからさ」(笑)。まぁ確かにヴェネツィアは「東洋の入口」だったし、日本資料博物館とかあるし、縁がないとは言わないががが。そんな話をしていたら、東洋人がこういう店に来たのが嬉しかったのか「まぁこれは土産だもってけ」とタダで頂いてしまいました。ホラ、ちゃんと「VENEZIA」とか入ってるし、土産にぴったり(w


【ヴェネツィアのカントリーサイド】

今日の昼飯は前々から再訪を決めていたトルチェッロのロカンダ・チプリアーニへ。

こうしてヴェネツィアをふらふら歩いていると、直径僅か3-4kmの本島内ですら、カスレッロやカナレッジョ区の人が「聖マルコなんて都会には出たくない」という台詞の意味がよく分かる。歩いてたかだか20分程度の距離──だが時間で測れば、それは確かに他の都市の「都心」と「郊外住宅地」の距離であり、そしてヴェネツィアには「歩く」か「時速5kmで大運河を下る」しか移動方法がない(細かい運河を利用できる物流は除く)のである。中心地・聖マルコ広場から20分、それは立派に「郊外」なのだ。

そしてこのトルチェッロや漁師の島ブラーノは、本島北岸のフォンダメンテ・ヌオーヴェ(新河岸の意)から船で1時間近くと言う距離にある、立派な「田舎」である。トルチェッロに至っては「田園」と呼べるような、ヴェネツィアでは珍しい緑の島なのだ。ま、それは既に中世にはマラリアで寂れ果てていたからで、今や往時の古い教会ぐらいしか行けるところのない、「建国当時の面影を残す」島になっている。またここの教会は古いこともあり、元々ビザンチン風のデザインの教会が多いヴェネツィアの中でも、特にギリシャ正教に近い造りになっている。周りの緑と相まって、一見エーゲ海の孤島にでも来た様な雰囲気だ。

さて、ロカンダ・チプリアーニは、その唯一の教会の足元にある「宿屋」。かつてヘミングウェイが一年に渡って滞在した静かな世界であり、美しい中庭に臨むレストランがある。何より如星は、以前初めて寄った時に食べたイワシのサオール(酢漬けに近い)と、島で取れた野菜のリゾットが忘れられずに舞い戻ってきた。味付けのはっきりしたイタリアでは珍しい、京風という言葉すら思い浮かべる柔らかな味──2年前のあの日以来、ここのサオール以上に旨いサオール、ここのリゾット以上に旨いリゾットは、イタリアでも日本でも、何処でも見つけることが出来なかったのだ。

今回、30分に一本のトラゲットを降りて真っ直ぐこの店に来たのだけど大正解。前回訪問の秋と違い、上の写真を取った後ほぼ全席が予約客で一杯になってしまった。逆にいえば、それ以後次から次へと客が来ることもなく、無論食事を終えてもまったく急かされることなく、ゆっくりと庭園の眺めを楽しめた。今回は思い出のサオールとリゾット、それから名物のサン・ピエトロ(鯛)のフィレ・カリーナ風を頂き、食後にはミルフィーユを食べながら、時折鳴る教会の鐘の音を背にのんびり思惟にふける。目の前の長テーブルでは、同窓会(戦友会?)風のイタリア人のじいちゃんどもがワイワイとパスタを食っていて微笑ましい。全員ピシッとスーツやジャケットを着こなしてる辺りがイタリア人であるが(笑)

ちなみにその文化財指定すらされている庭園の写真は「雑多」の方に掲載予定。

その後時間もあったので、教会の鐘楼に登ってみた。当然エレベーターなどなく階段でちとしんどいが、上からは島の全景、近くのブラーノ島、そして「建国当時の面影を残す」ラグーナが広く見て取れる。右の写真がそれなんだけど、まぁ本当に「葦が生えてるだけの干潟」という感じであり、別にそれだけなら見ていても楽しくもなんともない(笑)。 が、あのヴェネツィア本島も、それからこの緑の島トルチェッロだって、元はこんななーんにも無い所を人間の努力で今の姿にしたのである。ローマ帝国末期に蛮族から逃れるためとはいえ、土地すらない文字通りのゼロからスタートして(ヨーロッパの他の都市はほとんどローマ軍団の開拓からスタートしてるわけで)、あんなにも美しい街にしてしまったヴェネツィア人を思うと、この干潟もなんとなく感慨深く見えてくる。如星が旅行先として大自然よりも古い都市を好むのは、こういう「人が築き上げてきた歴史」を感じるのが好きだからなんだろうなー。

【教会と歴史のある暮らし。】

さて、本島に戻ってきてからは、カステッロ〜カナレッジョ区を練り歩く。この教会は壁の紋様が非常に凝っている美しい教会だったのだが……ど、どこの教会か思い出せない。うーん、まさか行った教会の場所を忘れるとは……。雑多写真に正面(ファサード)も載せておくのでどなたか情報求む_|\〇_

ともあれ、次に向かったのはカステッロの端にあるマドンナ・デッロルト教会。今回如星が一番気に入ったファサードを持つ教会である。ヴェネツィアの教会はバロックが目立つのだけど、ここは典型的とすら呼べる見事なヴェネツィアン・ゴシック。元首官邸と同じように、上部はメルレットと呼ばれるレース風の精緻なデザインで覆われ、白とバラ色の大理石が夕日に柔らかく映えて、威圧感のまったく無い、文字通り聖母(マドンナ)のような暖かい雰囲気を醸し出している。あまりに気に入ったのでファサードだけで何枚も撮ってしまった:)

中はかのティントレットの絵画で溢れ、またファサード同様紅白の大理石で色彩が統一され、石造りなのに温かみがある。こうして教会をいくつも巡っていると、宗教画というのは教会にあってこそ栄えるのだな、と思う。特に個々の画家に詳しいとか、宗教画に造詣が深いというのでもなければ、わざわざアカデミア美術館辺りでずらずらと似たような(失礼!)絵を眺めるよりも、よっぽど雰囲気に満ちた幸せな時間を過ごせてしまう。

今日の最後は聖マルコ区へ戻り、聖ステファノ教会へ。実は教会目的と言うより、ここの聖ステファノ広場の雰囲気が好きで、ホテルに戻る前にカフェに寄りたかったからだったりする:) (教会内の写真は雑多写真に。) ちょうど夕暮れ時、カフェで寛ぐのは何も観光客のみならず、地元のおばちゃんが数人集まってスプリッツ(酒)を飲んでたり、また広場では子供達と母親が遊具を持ち寄って遊んでいる。遊具付き公園などないヴェネツィアでは、滑り台とかもミニサイズを持ち込みらしい:) またその横では、歴史的文化財の井戸の上で戯れるヴェネツィア美少女たち(ぇ)や、15世紀の教会の壁にバンバンサッカーボールをぶつける少年たち。──ああ、歴史の中で暮らすってのは、こういう生活なのかもしれない。今や現代人には苦労の多い街だけど、それでも人々の生活は昔と変わらず根付いているんだなぁ、などとぼんやり考える──暮れ行くヴェネツィアの空の下、アマレットの香り漂うクレープとカプチーノと共に。


【至福のマグロとグラッパ】

夕食はホテルで予約を入れといてもらった「Alle Testiere」へ。

ちなみにトラットリア程度で予約……?と思う向きもあるけれど、この時期ヴェネツィアの「ちょっと知られていて地元民も使う店」は、昼前に予約を入れておかないと軒並み埋まってしまう。観光客の多い時期は平日も週末みたいなもんだし(そして地元民の増える週末は当日昼じゃもう無理)、それに立地柄狭い店が多く、元々席数が少ないのである。 電話で予約するなら店の空いてる時間に掛けることになるけれど、日中は当然街中に出てるし、そのためにホテルに戻ったり外で電話を探すのは面倒。直接ランチタイムに出向いて予約してもいいし、素直にホテルに頼んでしまうのが一番イタリア語の心配がいらない(笑)。ま、ヴェネツィアは他のイタリア都市よりよっぽど英語通じるけどねー。

さてこのAlle Testiere、創作風に近いイタリアン。フロアが二人とも惚れ惚れするような若いイタリア人男性で萌え。食材に関してはなんと日本語も通じる──決して観光客狙いというわけではなく、サービング精神の賜物といった感じで、サービスもカジュアルかつ丁寧で心地よい。

肝心の味の方も流石、とかく魚の食わせ方が日本人を唸らせるほど巧い。今回メインにしたのは「マグロの炙りハーブ添え、バルサミコと苺のソース(細かいメニューのない店なので名付けは如星の適当)」なのだけど、まぁ海外で魚というと焼き物を想定してしまうだけに、表面を軽く炙っただけのマグロにはちと驚いた。苺とマグロ……いやこれが合うんだから面白い。また前菜を適当に盛り合わせで頼むと、隣のメリケン人には出さないイカのタマゴ等を出すのには笑ってしまった。分かってるね君ら:)

最後はフロマッジョとグラッパで締め。グラッパの味の好みを英語で伝えるのはしんどかったけど、出してもらった一杯は大当たり。葡萄の種のような香りも樽香も深みがあり、それでいて飲み口は柔らかい。しかもこのグラッパ、一杯たった5ユーロなんですが(涙)。あまりの旨さにその名前をしっかりとメモ、これは探して買って帰ろうと決意する。サルデーニャのブルーチーズなどをつまみながら幸せなひと時を過ごし、最後は当然エスプレッソで。しかし嗚呼、俺酒飲みで本当に良かった……(笑)

ともあれ、最初から最後までひたすら気分良く過ごせた店。メニューもお勧めを「じゃあそれで」とやるだけで十分楽しめる安心の味で、あと俺と違ってワインを飲める人は、この面でも充実している模様。お勧めである。

ちなみにこの店、今見たら「ぐるなび海外版」なんてのにも載ってたのね。しかしこのページ、少なくとも俺の知ってる店は軒並み地図上の位置が微妙にずれてるんですが。迷路のようなヴェネツィアで道一本違うって、日本じゃ路地裏と呼ぶ道にひっそりある店が多いんだから、現地じゃ発見不能に等しい気もする……。特にこのAlle Testiereなんて、この地図上の道の名前と住所が違うって気づかんのか(苦笑)。というわけで、この地図の場所に行ってもこの店は無いので悪しからず。

【DAY-2:雑多写真】

今日の雑多写真はこちらから。

今日の一滴="グラッパ:Bocchino Cantina Privata 1992" (2004/09/23)

【2004-09-24-金】

【DAY-3:itinerary】

緑:朝、橙:昼、紫:夕方、青:夜。

この日は午後から雨が予報されてたので、重い酒の購入等、単発目的で出撃してホテルに戻るの繰り返しでダメージの軽減を目論む。ちなみに紫はカステッロの端のビエンナーレ会場行き。元々雨が降り始めたら街中を歩くのは辛いので、丁度いいのでおたく展にでも行こうと思っていた:) ……雨どころかヴァポレットが一瞬止まるわ木の枝が吹き落ちてくるわの大豪雨になった中、それでもネタだけの為にビエンナーレに行った俺はただの大ヴァカエラい。


【ヴェネツィアの碧い水】

「水の都ヴェネツィア」と聞くと、なんとなく街中を川が流れていて橋がたくさんあって……という、いかにも山紫水明の「水明」な街を想像しがちである。が、オランダやベルギーの「運河」を見たことある人なら分かるかも知れないけど、この想像は見事に裏切られる。

そもそもヴェネツィアは、干潟、海の上に「浮かぶ」街である。川の河口とか、三角州や干潟、あるいは港の埠頭から見下ろす海面を想像して欲しい。淡水と海水の交じり合った、不透明で緑めいた、時に少々臭ってくるような水。ヴェネツィアに無数に走っているのはこれらの水を通す「運河」であって、川からの流れと潮の満ち干で水は動いているけれど、決して「さらさらと流れる川」ではない。どちらかと言えば、釣りで行くような埠頭を細切れにして橋で繋いだ感じ、と言えばいいだろうか──覗き込む水面は海のそれなのだ。

もちろん、ヴェネツィアの美しさはその「海に浮かぶ街」というところである。海面と同じ高さにある石造りの街、という不思議が生み出す美しさ。ま、一応誤解が無いようにと思って書いてみました:)

【フラゴリーノ購入顛末記】

先日寄った立ち飲み屋“Cantinone Gia Schiavi”に、とりあえず土産にする酒の買出しに。重い酒を持って歩きたくは無いので、朝一番直行直帰で。

この酒屋兼飲み屋、おっちゃんおばちゃんの英語は片言で、息子さんだけが結構喋れる状態。先日行った時に欲しい酒は息子さんを通して目星をつけておいたのだけど、今朝はオヤジさんのみ。ま、酒飲みプロトコル発動で(後述)、無事狙いの「フラゴリーノ」の白と赤をゲット完了である。

歴とした葡萄で作られながら、ふんわりと苺の香りが漂う「フラゴリーノ」。後から苺の香りをつけた「フラゴリーノ」なるワインは他でも売っているけど(キチンと「苺フレーバーつけました」と記してある)、ウヴァ・フラゴラ種から作られたワインはイタリア国内でもここヴェネツィアでしか飲めず、さらにグラスではなくボトルで購入できる店はさらに少ないのである。\

それを東洋人の俺がご指名したのが妙に嬉しかったらしく、先日目星をつけた時も、勿論あるともという感じでオヤジさんが酒瓶を出してきてくれたのだった。今日も単にボトルを買って帰るだけのつもりだったんだけど、「お前この酒指名だなんて好きモンなんだろ? まぁとりあえず飲んでけや(意訳)とバッチリ記憶されていたようで、速攻で一杯フラゴリーノ・ビアンコをグラスに注いでくれてしまった。ウム、朝の9時から飲む甘いワインが最高なのは確かである(笑)。なんとゆーか、酒好き間のプロトコルというのは万国共通なのかもしれないな:)

というわけで、フラゴリーノ・ビアンコとロッソ、それからフラゴリーノのグラッパを購入して幸せに帰還。

【教会巡りはヴェネツィア巡り。】

さて曇天の中、今日はとりあえず聖マリア・デッラ・サルーテ教会へ。ヴェネツィアの絵葉書には必ず登場する、ヴェネツィア正面玄関を睥睨する巨大な八角形のバロック教会である。……が、中は意外なほどさっぱりしていて、ほとんどモノトーンの世界(→雑多写真参照)。こりゃ拝観料も取らないわけだ、という感じ。

既に時折小雨がぱらつく中、今日の肝である聖マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ教会へ。ヴェネツィアの中でもかなり大きい教会で、先日のデッロルト教会と同じく薔薇色の大理石に覆われたヴェネツィアンゴシックが見事。また教会中央の木製の聖歌隊席も見事な彫り物で、こういう木製の聖歌隊席がそのまま残っているのはこのフラーリ教会だけだとか。……そして正面にはかのティッツィアーノの「聖母被昇天」。今回ヴェネツィアで見た中で最も荘厳な主祭壇である。手前の信徒席に座り、しばし呆然と時を過ごす。

こうして教会ばかり見ていて飽きないかと言われるけど、教会巡りは最初に書いたとおりヴェネツィアの街並や広場を巡る旅でもあるし、教会自体、他なら町に一つあればいいような美しさの教会がゴロゴロしているわけで。また教会内には単なる宗教画ではなくヴェネツィアの寓意や歴史を表す絵画が飾られ、あるいはヴェネツィア史の何処かで聞いたことがあるような人間の墓とレリーフがあったりと、ヴェネツィア自体を楽しむにこの上ない行脚だと思う:)

初日にも少し書いたけど、ヴェネツィアのこの教会の多さと力の入れ方を見ていると、信仰が深いということと、狂信的ということはまるで無関係なのだということがよく分かる。ご存知の通り、ヴェネツィアは当時の教皇をして「余はヴェネツィアでだけは教皇ではない」と言わしめた政教分離を実現した国家だが、一方で本質的に船乗りという「人知を超えた海」を相手にする人種として、やはり信仰はむしろ他よりも深いぐらいだったのではと思う。世から恥じ入るように内側に向いている宗教や、逆に罪の意識で信者を縛って豪遊する宗教とも違う、生活に根付き、純粋な敬愛と文化を捧げる対象だった宗教というモノの名残を、この街は其処彼処に残しているような気がする。


【海の雨。】

ランチを地元の評判の店“Alla Vedova”@カナレッジョで軽く済ます。夜は大混みで入れなかったので、とりあえず昼に来てアンティパスト盛りとイカ墨パスタを。慣れたと言っても相変わらず魚介が旨いんだけど、さらに「カルチョーフィ」という根菜?の塩漬けがお気に入り(ヴェネツィア産のアーティチョークらしい)。海の上なのに野菜が旨いんだよねぇ……。

さてそんなこんなでヴァポレットで大運河をくだっていると、ポツポツと予報通りの雨が。あー、こりゃ予定通り夕方はビエンナーレ会場かな、などと気楽に考えていたら、一瞬の後に大豪雨に。降り始めには一度ヴァポレットが止まるほどの横殴りの雨と強風で、むしろ暴風雨という方が正解。一瞬弱まる隙を突いて運河沿いから小路に入り、何とかずぶ濡れを避けてホテルへ一度帰還する。……つーか俺本当にこの天気の中でオタク展行くんですか。今しかできない、滅多にできないネタの為とは言え、こんな雨の中カステッロの端の端まで言って、しかも見るのが普段アキヴァで見てるようなえろげ絵ですよ君、でもこんな雨の時じゃないと時間がもったいないし云々……。

【オタク・イン・ヴェネツィア】

逝ってしまいました。この他の展内写真はこちら

ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2004、カステッロの端でヴァポレットを降り、雨こそ普通になったものの強風の中そそくさと会場へ。会場前の広い公園は見事に誰もいません。何とかチケット売り場を探して会場内に入りますが、ここでも人影が実にまばらです。いくら各展示が室内でも、この天気で海沿いを歩いてくる酔狂もいないわけで……。しかもその中をわき目も振らず日本館に向けて直進する日本人。……あ、今なんかでかい木の枝が千切れ落ちた音が。

しかし実際に館内に入ってみると、何処か故郷を感じたのは秘密である(笑)。本当に秋葉のその辺の店に入った気分で、つい30秒前のヴェネツィアの街から精神が切り替わらず何とも不思議な感覚に。ちなみに欧州での展示の割に、堂々と18禁エロゲや同人(それも汁気ロリ気たっぷりの)があったのにはちょっと驚いた。アート、という建前ことなのかねぇ。

大体の内装は公式サイトの写真や雑多写真側を見てもらうとして──とりあえず全体への雑感として、非常に良くできてるな、と感じた。流石は監修が監修といった感じで、例えば日本で日経辺りが秋葉を3往復して書いたような記事などと較べると雲泥の差がある「正確さ」で、かつそれが英語とイタリア語に訳されており、少なくとも誤解はされないだろうなぁ、というところ。正しく認識された上で嫌悪されるかどうかは知りません(ぇ)

同人関係は相当なスペースを割いた主力展示で、C翼から801June月姫創作までジャンル解説が丁寧にされていた。また「初期コミケカタログやペーパー」等、むしろ日本のオタクが見た方が喜びそうな展示もあって、それこそ万世橋辺りでこういうのを常設展示してくれた方が日本での理解も深まるのでは、と思ったぐらいである。

それ以外にも展示は同人に留まらず、レンタルショーケースを模した展示エリアには、それこそ食玩から特撮、軍ヲタモノ、アニメ雑誌、同人ラミカ、フィギュア、ドール、ガレキ、衣装、トレカやTCG、手作りアクセサリに至るまで、あらゆるジャンルの「オタク的アイテム」が揃っていた感じで抜かりが無い。もっとも、個々のジャンルについて解説があるわけではなかったが。個人的には同人エロ綾波マウスパッドを収めたボックスの前でバシャバシャ写真を撮っていたイタリア人が印象的であった。……根強い勢力を持つ彼らイタリアオタクにしてみれば、「聖地の展示会」という希少な機会だもんなぁ。

また「オタクの部屋」のミニチュア展示には思わず大爆笑。ご丁寧に展示自体が収納ベッド仕立て、おまけに上はでじこ枕に抱き枕、リネン部という丁寧さである!(笑) あまりに大爆笑してしまい、リアルすぎて笑っちまったんだよ、と周りのイタリア人に弁解するのが大変であった。もー自室プロジェクタさんから1/1設置屋さんから大雪崩直前やら同人腐女子デスクやら! その横には「オタクの本棚」と称したミニチュア本棚があり、そのラノベとコミックが雑然と並ぶ様が実にリアル。

実際、例えば同人関係は既に海外にも知られているとは言え、コンテンツの開陳という意味でも貴重な資料だったろう。しかし日本オタクの生態なんてのは、海外の人間にとっては貴重どころか初めて触れるモノだったのではないだろうか。「萌え」や「やおい」等の概念についても、オタク自身の手で海外に向けて真面目に語られたのは珍しい気がする──なんせ日本国内ですら定義しきれず、半歩ずれた印象がマスコミに流れているような状況だし。

というわけで、あれらコンテンツの土壌たるオタクにどういう感想を持ったのか大変興味のあるところだが、いかんせんこの天候では来場数も少なく(苦笑)、聞けそうな人は捕まらなかった。……と言っても、この天候にしては結構人が入ってるなぁ、という印象。少なくとも入った瞬間に顔をしかめて出て行くような人はおらず(笑)、皆しっかりと英語かイタリア語の説明を読み、あちこち写真を撮っていた。ま、そもそも足を向けるような人は興味のある人だろうけどね。

というわけでネタとしては一級品の展示だったけど、まっとうな論旨としてはどうなのかは今ひとつ判断が付かない。その辺りはカタログ内の文章で補完されるのだろうが……。こちらはざざっと流し読んだ状態だけど、読み物としてはかなり面白かった。ただ実証面にはあまり触れられていなかったのと、その「都市がネットを模倣する」という主張、展示に2chのAAを使っている割に、オタクとネットワークの関連や2chについての視点が欠落していたのは気になった。とは言え、例えば心理学者のこういう論調がマイナーなサブカル誌等ではなく、こういう国際的な場所での発行物として世に出たのは喜ばしい。日頃サブカル系Webに触れてるような人には既出ネタなのだろうけどね。

最後にそのカタログを購入して──流石は「輸入物カタログ」、20ユーロもしたが(日本では2000円以下だったはず)、このイタリア語の領収書と言うネタ画像の誘惑には勝てなかった(笑)。タダでさえコンパクトにまとめたトランクに入るのかという不安を残しつつ離脱。会場を抜け、木立を抜けると不意に「いつもの」ヴェネツィアが広がっていて、なんか秋葉のメッセを出たらヴェネツィアだったというような、夢の中みたいな異常感覚を味わえた:)


【反対側のホームで上り電車待ち】

今日の夕食は“Vecio Fritolin”@聖ポーロ区へ。いかにも「イタリアのマンマ」みたいなおばちゃんがやっている、魚介も野菜も冷凍缶詰一切ナシという店である。 ヴァポレットで大運河を上り、近くのヴァポレット乗り場から歩いたのだけど……正確な地図持ってて良かった。店のあるエリアは迷宮都市ヴェネツィアの中でもさらに有名な迷路で、軒下を潜りまくる道や曲がってすぐの橋の連続。おまけに店のある通りは壁ばかりが続く、こんな所に店などあるのかと不安になるような路地。ふぅ。

味はやはり折り紙付き。マグロとカルチョーフィの「たたき」なんて本当に日本人好みだし、パスタに使われてたポルチーニも、新鮮なモノは「なめこ」の様な触感なのだと初めて知った。最後はウナギと白ポレンタで締め──ポレンタはヴェネツィアでよく見かける、とうもろこし粉をスポンジ状に焼いた黄色いつけ合わせなんだけど、この白は小麦製。ここでふんわりとした白を食べて初めて、ポレンタとはむしろ「炊き上げる」感じの食い物なのだと実感した。

……とまぁ今日もメシには満足して帰途に付いたのだけど、食前酒のスプリッツからプロセッコ、食後のグラッパと普通の飲み方をした割りに、疲れが出たのかエラく酔っ払ってしまった。おかげでリアルトで降りれば歩いてすぐ帰れたものを行程図の青線を戻る)、聖ザッカリアまで行ってもいいやと乗り過ごし(大運河上を大回りする)、その聖ザッカリアを見事に寝倒してアルセナーレ(ビエンナーレ会場に近い)まで運ばれてしまった。……海外でこれをやるのは本気で危ないので、流石にアルセナーレで目が覚めたときにはヒヤリとした。まぁヴェネツィアの治安もあってか幸い物盗りにも合わず、ただ雨上がりの寒さに凍えて帰るだけで済んだのであった。ふー。

【DAY-3:雑多写真】

今日の雑多写真はこちらから。

今日の一滴="シャルドネのグラッパ(蒸留所不明)" (2004/09/24)

【2004-09-25-土】

【DAY-4:itinerary】

橙:日中、青:夜。というか昼間はあちこち歩き回りすぎて自分でも良く分かりません(笑)

というわけで、ヴェネツィア滞在も事実上の最終日。街歩きの勘も染み付いて、ヴァポレットに乗った方が早いのか歩くべきか、運河を覗いてヒョイと乗ることにしたり、なんてコツもつかめて来た。流石に二年振りでは色々と忘れていたしね。

とは言え、ヴェネツィアはとにかく「総員おのぼりさん」という点が確かに気楽である。いくら自分がヴェネツィア好きと言っても来られる回数は手指程度、慣れ親しんだと言ってもあくまで客として。それに観光地では素直に「おのぼりさん根性」でいた方が何かと得もする:) ま、ヴァポレット一つ乗っても、どの人種も切符の買い方一つでオロオロしている様を見ていると、東洋人だろーと西洋人だろーと同じ異国の客じゃねぇかと親近感も湧いてくるってモンだ。

ちなみにこの街で一番目立つ観光客はとにかくアメリカ人。彼らは同じ西欧系の顔をしていてもメリケンオーラが出てるのかすぐ分かる。何処でもマイウェイ、生魚は食わない、そして「St.Mark's Square」という単語をはばかり無くイタリア人にもぶつけるのが彼ら流である(苦笑)。また日本からの直行便が無く、イタリアと言えばブランド買い物ツアーな人々にはヴェネツィアは大して人気は無く、むしろ今回は中国人(台湾人かも)の方が目立った。ちょっとチャイナ風の編上げシャツとジャケットを着て運河沿いで朝飯を食っていたら、突然中国語で話し掛けられた俺はそんなに日本人に見えませんかそうですか_| ̄|〇(「Are you Taiwanese?」と聞かれる前に「是日本人儿」とでも言えば良かったか(w)

【火を!火を!火を!】

豪雨一過で大気が落ち着いたのか、この日は待ちに待った快晴。空にはまだ若干雲が残り、それが朝焼けを返して幻想的な空模様を生み出している。聖マルコ広場から二本の守護聖人の柱越しに聖ジョルジョ島を臨む、壁紙に最適の一枚をこの空で撮れるかと、喜び勇んで早朝の聖マルコ広場へと突入。数年前にも同じアングルで撮ってるけど、当時の画素数では満足できないのである(笑)

で。ナンデスカコレワ。

待て!冗談だろう!? 撮影だと!? はるばる最高の眺めを楽しみに海外から来ている観光客も多い夏期に聖マルコ広場のど真ん中で死刑台おっ立てて撮影だと!!! _| ̄|〇 せめて週末終わってからやれっつの! ……と言うわけで、聖マルコのベストショットという夢はあっさり潰えて終了。ま、それを補うくらい綺麗な写真が何枚か撮れたからいいんだけどさ、それにしても繁忙期にこれはないよなぁ。これで例えばヴェネツィア共和国時代の服装に身を包んだ男たちでもたむろしてれば、貴重なモンが見れたと肯定的に評価できるかもしれないけど、ただの観光客(のエキストラ)みたいなのがバックパック背負ってうろついてるんじゃねぇ……。

【ヴェネツィア、静かなる魅力】

さて気を取り直して、朝の散歩を続行。すっかり晴れ上がった空の下、この滞在の間手付かずだったカステッロ地区の東方へと入っていく。

まずは塩野七生の小説で実によく登場する、聖ザッカリア教会前へ。きっと女史はこの広場がお気に入りに違いない:) まだ早朝ということで教会内には後で来るとして、この時間の静かな広場を楽しみたかったのである。何処までも高い今日の空にも支えられ、静謐な、という言葉通りの蒼い空気が広場には満ちていた。 そういえばヴェネツィア共和国のフルネーム “La Serenissima Repubblica di Venezia” の “Serenissima” という言葉には、高貴なる、という意味の他に、静謐、という意味も含んでいたことを思い出す。ちなみに“La Serenissima”だけで女王や王妃という意味になり(こういう時名詞に性別のある言語は楽だ)──そう、ヴェネツィアの愛称「海の女王」を指す言葉になる。 この広場は別に運河に面したりしているわけでもないのだけど、何故かそんなヴェネツィアにまつわる連想を次々と紐解かせる、そんな魅力を持っている。


【フォローアップ】

以降の日記更新に挫折してしまったので(汗)、せめてもということで写真集にて写真だけでも公開。

今日の一滴="−−−−" (2004/09/25)

【2004-09-27-月】

【ただいま。】

生きて帰ってきました。積もる話は追々日記にて。

  • 結論から言うと、やっぱりヴェネツィア最高。
  • 教会巡りとそぞろ歩きと昼間っからの酒飲みと食い倒れ。
  • 1ユーロ以下で飲めるエスプレッソマンセー
  • おたく展大爆笑。
  • 帰国便がJALというのは何度やっても超運湖。

てゆーか明日から出社です_| ̄|〇 寝ないと……。

今日の一滴="−−−−" (2004/09/27)

【2004-09-28-火】

【ヴェネツィア紀行執筆状況】

「DAY-0.5:海の表玄関」完了。

「DAY-1:朝の散歩」「interlude:大工事中」公開。なんか旅行記を読み物調に書くのは無理な気がしてきました。私的備忘録としては列記だけでもいいけど詰まらないし、逆に面白いネタだけ拾っても自分向けにならないし。うーん、取捨選択悩みながら書いてみますががが。

しかし時差ボケはまったくと言っていいほど感じてないんだけど(日頃からの不規則な生活の賜物である(ぇ)、やっぱり妙に疲れた感じがしますね。なんか旅の疲れでも溜まった仕事を片付けた疲れでもなく、久しぶりの電車内の日本人のDQNっぷりに当てられてるだけな気もしますが

今日はこの辺で。……えーと、買ってきたフラゴリーノのグラッパウマー(何

今日の一滴="−−−−" (2004/09/28)

【2004-09-31-金】

【ヴェネツィア紀行進行中。】

ようやく初日分終わり。結構長くなってるけど、気にしないで進める事にした:)

2日目以降からはヴェネツィア自体の解説文は減るので、もう少しサクサク行くかのぅ。またおたく展のレポは3日目に(笑)。4日目と半分まで、今しばらくお付き合いくださいませ。

仕事は休み中のフォローアップも何とか終えて今日は早々に帰宅。フラゴリーノ・ロッソを一杯やりつつ、買ってきたブルーチーズ(ローリング)などつまみ、幸せなひと時を。……旅行記書きながらこんな話も書いてると、なんだか飲んだくれ人生に見えてしまう罠。ち、違いますからね!

そして2日目をこりこり執筆開始。

追記:10/05現在、なんとか2日目を終えられそうなところ→10/07、ようやく終わり……。

【今日のお茶・ペンガリー】

自宅のアッサムが切れたのでレピシエでさくっと補充。店頭に行ってみると、アッサムも夏摘みの新茶がいくつか入荷していたので、その中の一つを選択。最近はアッサムもミルクにせずストレートで飲むのが気に入っているので、ストレート向きの甘い香りを捜し求める。……ま、最近といってもイタリア帰国以来で、きっとエスプレッソに慣らされた身体が、紅茶らしい紅茶を求めているのだろう(笑)

実際に入れてみると、ポットから昇る香りは、チャイスパイスでも入れたかと思うほど複雑味があり甘い。味わいもどっしりしていて、それでいてミルクが欲しくなるほどな雑味もない。んー、なかなかに当たりのアッサムであった。好々。

今日の一滴="酒:フラゴリーノ・ロッソ" (2004/09/31)

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