まっとうな酒とまっとうなフードに飢えて石@横浜へ。
バーで飲む、ということについての軽いコラム日記でも書こうと思っていたところだったので、その前に現実のバーの空気を身体にもう一度染み込ませておかないとね:)
今や珍しいローランドモルト。このセント・マグダーレンも1980年台に閉鎖された蒸留所らしく、今日飲んだのは1978年にボトリングされたもの。例によって一期一会になりかねないモルトなのと、一杯目のスターターでいきなり寛ぎの気分を、ということで選んでもらったのだけど、これが破格の旨さ。一瞬バーボンを思わせるほど濃厚で甘いメイプルのような香り、それに従って甘みと丸みを持つ味わい。後から聞くとあまりピートを炊き込んでないのが特徴らしく、あの樹液の甘さは熟成された木の香りだったようだ。定番のオイルサーディンと合わせて、いきなりトップギアで酒飲みの幸福まっしぐら。
ちなみにレアモルトだとか、ピート炊いてないとか、そういう薀蓄は知るにしても「飲んだ後」に限るね。自分の感じた幸せを素直に味わえるのだから:)
これまた良いボウモアが入ってると聞き、せっかくだから飲み比べてみようかと軽い気分で頼んだ一杯。ところがコイツもまた格別。飲み慣れている普段のボウモアをより丁寧な造りにしたというか、複雑なのに全てのピースが正確にはまり、透明感すら感じさせる香り。アイラ臭を求めてしまうと少し肩透かしかもしれないが、全てにおいてバランスの取れた味わいに思わず唸らされる。
先のマグダレンと同様「熟成」の丁寧さがしっかりとでていて、それでいてコントラストもばっちりと、実に理想の「酒の組み立て」になってしまった。うーん、逆にこの後に繋げるのが難しくなってしまったではないか(笑)。
予想通り_| ̄|〇 チーズを食いがてら合わせてマール、というわけで以前飲んだ幸せのマールを選んでみたのだけど、前2杯の「老練さ」の後では、ちと華やかに過ぎた感じ。いつもなら愛すべき華やぎが、今日に限っては軽すぎるのである。……とはいえ、こいつでやるシェーブルは最高なんだけどね。
大体いつも3杯で締めるのを常とする如星だけど、今日は何処か呑み足りない。しかし生半可な選択では今日の組み立ての締めにはなりえないので、そこであえて荒っぽい直情の酒、ウォッカを呷ることにした。胃の腑にズドンと落ちてそれから味わう、そんなパンチで今日は終了。
このウォッカ、実は昔如星が酒など大して飲めなかった頃に(何歳とか聞かないように)ロシア小説を読んで憧れ、自前で初めて購入したボトルの蒸留酒という思い出があったりする。無論当時はこんな、重厚な杯を重ねた後のカウンターに使う、なんて酒飲みの道は想像もできず、ただ胃に落としてその後の酔いを感じるだけだったのだけど。……それを思い起こすと、なんだか随分遠くへ来たもんだと感慨が湧かないでもないね:)
今日の一滴="モルト:Bowmore16年" (2004/09/11)
普段の仕事上での如星は、大体60%の出力が「定格」だというのは何度も日記で言ってきた通りだけど、今週はちとその定格を越えた出力を安定維持している。聞く限り、普段から80%以上の定格を叩き出していると、逆に90%以上の出力を出し続けようと思っても、数日も長続きしないという傾向はあるのかもしれない。いざ着火すれば一週間以上高出力を安定して続けられる集中力は、日頃の低出力の賜物なのである───んなわけないですが勿論。平時サボる根拠が欲しいだけなので悪しからず:)
あ、当たり前だけど、この「出力」は努力度とか時間のことではない。連日深夜作業を続けて自身の効率が落ちれば、当然それは「40%」等の出力としか見なされないわけで、ここでいう「持続」とは、高品質の出力を続けられると言う意味である。間欠的に出せるのはある意味当たり前のことだしね。
問題はこういう高格出力、決して業務上の必要性や、やり甲斐のある仕事から生まれるのではなく、来週のヴェネツィア行きみたいな邪な原動力でのみ着火されるというのが問題なのであり以下略。世の中の真面目なリーマンさんごめんなさい。
……まぁ質問者や回答者はともかく、ここからリンク張られてる先の人々は、物の値段は「原材料費の合計」でできていると信じてるんでしょうかね(苦笑)。いやま、実際に凄まじい価格体系なモノも混ざってるんでアレなんですが、原材料費以外を一切無視して取り上げるとゆーのは誘導に過ぎるかと……。食い物の「原価率」がアレだけ低いのに飲食店が潰れまくってる現実とか、あるいはいわゆる「後発薬品」が何故安いのか、ちょっとでも考えたことはないのかなー。「ここでは貴方の御国より人生がもうちょっと複雑なの」
とでも呟けばいいのかな。
その辺を例えば業界の構造にまで踏み込んで「ぼったくりだ」と言うならまだしも、ただ「構成物の原価」だけを示して鬼の首を取ったように騒がれても、微苦笑して生温かく見守ることしかできませんぜ旦那。
2行目以降を読まない方の為に要約すると、スルーできない俺の負け(笑)。
今日の一滴="−−−−" (2004/09/14)
もはやFateの「レビュー」と言っても今更感が強すぎるので、とりあえず大上段にレビューなどとは言わず、つらつらと他の事と絡めた雑感を書いてみよう。
先日ふと湧き上がったのは、Fateの「Heaven's Feel」ルートのことである。種明かしとも言えるこの話の評判は、解決編として評価する声と、蛇足という声に二分されている(あ、ちなみにこの話は、同様に巷に流布する「桜本人に対する好き嫌い」とは一切関係ないのでご注意を)。如星個人的にもイマイチ好きになれないシナリオなのだけど、その理由を考えた時に浮かんだ作品が2つある。1つは「Matrix」とそれ以降の作品。もう一つはダン・シモンズのSF「ハイペリオン」と、その続編の「エンディミオン」だ。
かの映画「Matrix」、如星の評価は結構高い。しかしそれ以降の作品は、エンターテイメントとしては否定はしないけど、やっぱり蛇足の感は否めないと思う。初代Matrixの「架空現実内で『格闘』するという発想自体が愚の骨頂、所詮こいつはコードの塊」という、衝撃的で唸らされるラストは印象的だ(これを「超人化して解決しちゃったジャン」という人は、SFの何たるかを知らない人である(笑)。最後の余韻を感じさせる締め方も良かったと思うのだが、この余韻が仇となって(?)次回作が作られてしまった上、Reloaded以降では初作のエンドは何だったのかと言わんばかりに格闘の連続、エージェントを「アンロードする」というメタファーはさっぱり消えてしまっている。人類をただの電池ではなく、デバッガにしてるという発想は面白かったんだけどね。
如星が最高のSFの一つに数えている「ハイペリオン」は、その「人類の使い方」ではMatrixなど足元にも及ばぬ設定が盛り込まれている(ネタばれ禁止)。転移ゲートで編み上げられた人類社会の描写、そこから一歩距離を置くAI群の設定、更にはストーリーテリングも一級と、SFの幸せを体現するかのような作品だ。が、これに続く「エンディミオン」の残念度は以前書いたとおり。端的に言うと、前作で構築した設定、結末を端から否定していく物語になってしまっている。「ハイペリオン」もラストに素敵な余韻を残してくれるのだけど、これもいきなり全否定。前作と矛盾すら生じて「アレはこういう意味だった」などと言い訳する始末、どう見てもハイペリオン完結当初は続編の刊行など考えてなかったように思える。
昔少年漫画の宿命だった「敵のインフレ」は、まだ話が際限無くなるだけで何とかなる。しかし、過去に受け手に与えてきたイメージをそのダシに使ってしまうと、途端に受け手は小馬鹿にされたような印象をもってしまうのだろう。Fateの「Heaven's Feel」に感じる苦さも、これに通じるところがある。前2編「Fate」と「UBW」で組み上げられ、魅力的に描かれた登場人物が、ゴミのように消されていく違和感。いや意味があって死んでいくなら良質の悲壮作品となったのだろうけど、単に敵側に「超絶無敵さん」が登場してしまっただけという風情。夢を賭けた聖杯がディストピアだった、という流れは前2編でも語られているけど、その2編の達成感を無にしてしまうようなネタ晴らし。上記2作品と同じく、丁寧に作り込まれた前作(前編)を焚き付けに使ってしまい、しかも上がった炎の煌きは前作に遠く及ばなかったと言う残念さを感じてしまうのだ。まぁ、Fate/UBWが対になっているように、HFとは本来イリヤルートが対になって魅力を発揮するはずだったのかもしれないけどね。
あとHF編は、話がこなれきっていない事もあって、開示している設定が「世界観」ではなく「ネタばらし」めいてしまっているのもマイナス点だ。何処となく「楽屋オチ」の雰囲気というか、調子に乗ってタネ明かしをしてしまう素人手品師のようなイメージというか……刹那的には面白くても、結局は元の話をスポイルしてしまう。これもイリヤ編で話をキッチリとこなしていれば解決できたのかもしれないが。
……うーん、イマイチ話が落ちなかったな。まぁ再び要約すると、イリヤ先生を出せこの野郎ということで(違)。
我ながらここ数日の日記の文章がメタメタ。なんか調子悪いなぁ……。
今日の一滴="−−−−" (2004/09/15)
久々にぷく氏と仕事後に落ち合って呑み。彼の側の定番、Le Zinc@神泉に、俺としては久しぶりの出撃である。……しかし渋谷駅って、降りるだけで鬱陶しいな(苦笑)。例によってマークシティを抜けて、なるべくあの雑踏に触れないように移動:)
ザンクは何度行ってもあの構えと内装が素敵。とても入口とは思えない扉、開けるといきなり細長い白亜の廊下、鉄の格子戸を開けると小さな居間風に部屋があって、更にその奥がバーカウンター。……こう書くと随分広い店を歩かされるように聞こえるけど、実際の奥行きは普通の飲食店程度。けれど、奥まった部屋に案内されて呑んでいる、という気分にはなれるのである:)
今日はモルト、マール、ハーバードクーラー(カルヴァドス)、最後はニコラシカ。ここでニコラシカをやると、皮まで口に放り込める国産の小さなレモンを出してくれる……ということには、中身だけにしゃぶりついて呷った後に気がついた_| ̄|〇 ちょっともったいなかったなぁ。
二人で会話に興じながらバーで飲む、というのは、格別の「酔い加減」をもたらしてくれる、という話が出た。確かにそうかもしれない、一人でバーに行き、カウンター越しにぽつぽつ話しながら飲むのも悪くないし、自宅で幸せな酒を一人傾けるのもいい。あるいはもっと大人数で騒がしく飲むのも楽しい。でも話の合う人間のと二人酒というのは、酒の楽しみも弾む話も、両方を同時に味わえる唯一の人数だと思う。
今日の一滴="−−−−" (2004/09/17)