VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.

如星的茶葉暮らし

■ 09月中旬 ■

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酒の一滴は血の一滴。茶の一滴は心の一滴。ネタの一滴は人生の発露。


 

【2007-09-15-土】

書き込み遅延の理由という名の言い訳

如星の傾向として、あるネタについて自分の言いたい事に近いレベルで巧く書けてる他人の文章を読んでしまうと、もう自分が書くまでもないかなと思ってしまう面がある。いわゆる「旗幟を明らかにする」ための雷同文章には興味がない、というのは前々から言っているところ。ポジティブな話ですらそう思うので、いわんや自分が落とした訳でもない水中の犬を乱打するが如き趣味は論外だし(注:自分がFA取って叩き落せる、あるいは止めを刺して沈められる場合は別。余は聖人に非ず)

とは言え、自分の思考と完全一致する文章なんて滅多に見かけないし、文章が巧ければ巧いほど書き手の考えを的確に表現している為、自分と違う部分はよりくっきりと浮かんでいたりする。それにこの日記を自分用の備忘録として使っている以上、それでも自分の思考をメモしておくのは有益ではあるはずなんだけどね。

……や、何が言いたいかというと、いくら公開日+その翌々日に2回目を観てきたとはいえ、もう俺が新エヴァについて書く必要ないかなぁ、というコトなのだが(苦笑)。数々の名レビューを読んでると、世の中の人がどれだけエヴァスキーだか良く分かって嬉しくなってしまい、俺如きがこれ以上弁を尽くす必要性を感じなくなってしまったのだ:)

とりあえずヱヴァンゲリヲンは2回見てきたよ

ま、2パス観てきた時の感想に、各地のレビューを眺めた印象を交えてつらつらと。

とりあえず前回見直す動機となった映像面は、やっぱりスクリーン間近でドドンと見ると細部の神から臨場感から何から何までパワーうp。今時の新しい映画館は割りと前のほうでも首が疲れないようにシートが作られてるので、今まで最後部フェイバーだったけど心を改めようと誓ったほどである。

何処のレビューで読んだか忘れたのが悔やまれるが、この映画を「久々に情報量の多い映画を見た」と評してるところがあった。また別の所で「初号機が一々カッコいい。カット毎に感想書けって言われて書けるぜってぐらい」という声も。実は、俺の中でこの二つの声はリンクしている───情報量とは何もシナリオや世界設定や台詞回し等々に限らず、音や映像で伝えようとしているモノも含むのだと強く感じたからだ。まさに新ヱヴァは「作画キレイにしてみました」なんてレベルではなく、アニメがアニメーション=動画たる所以、アニメとしての映像の快楽をとことん追っている。例えば初号機のせり上がるモーションにしても、そのシーンで増やされた射出口の細かい描き込みも、リメイクされた使徒も、もちろんあの多面体ラミエル君の動きも、音も、叫び声も、それら映像と音そのものが「伝えたいモノ」に直結している───すなわち「情報量」として存在しているのだ。

近年、シナリオや演出という方向には凝っていても、作画については「綺麗であればいい」というレベルしか目指していない(あるいはそもそも作画とかどうでもいいw)モノしか見ていなかったので、この「アニメそのもの」から得られる情報感には新鮮な驚きがあった。今まで何となくそういう方向性だと、イノセントやアップルシードみたいな3Dぶりばりな方向か、ジブリや新海誠みたいな静止画的描き込み量命みたいな方向を想像してたのだけど、これは何と言うか……「ジブリではない日本アニメ」の正統進化系とでも呼びたくなる感じで心地よい。

例えば京アニ系はどうなんだ、と言われても俺はKanonぐらいしか例示できないのだけど、彼らともまた少し方向性が違うと思う。例えばKanonの無駄に細かく綺麗な背景及び動きは、とは言えそれ自体が主張性を持っていたわけではないし、Kanonの物語性にも繋がりがあった訳ではないだろう。むしろKanonのソレは、「へうげもの風」に言うならば「存在を感じさせず茶のみを引き立たせる茶器」という感じで、画として綺麗に透明感ある背景を描き出すことで、透明感のある物語世界への没入を妨げないよう、引き立たせるよう出来ていたと思う(単体で切り出してみれば茶器の如く黒く美しい事に変わりはない)

一方の新ヱヴァは、初号機の蛍光カラーもラミエルの多次元三次元投影体も、それ自体に作品としての意味があり、それ自体が主張をしている。いずれも作品に貢献はしているけど、その手法に受動・能動のような違いがある、というか。これは別に優劣の話ではなく、動画メディアというアニメのみが持ち得る快楽を主コンテンツのひとつにしているか否か、というだけに過ぎないのだけどね。

しかし、アニメに新しい世代を引きつけようと考えた時に、この「とにかく見て快楽」というのは強いんじゃないかと思う。劇場から出てきた中学生と思しき制服の一団が、ラミエル及びネルフの迎撃システムの男の子回路っぷりに熱く萌え萌え騒ぎながら去っていったのを見て、娯楽作品の真髄ってここだよな、とか思わず考えてしまった。背景設定の複雑さとかテーマ性とか現代における少年という主人公云々とか、まぁそういう見方も面白くはあるし深みをつける要素なのは間違いないのだが、これをやりすぎると「この作品のテーマはアイデンティティとか後書きで言い出すイーガン(略)」の罠にハマる。また早速この新映画が旧作のループ世界なのでは云々等の考察ページなんかが出来てたり、君ら好っきやなぁ(愛の眼差し)と思う反面、正直エヴァのそういう面は如星にとって人間模様や映像快楽の背景でしかなく、奈須世界の魔法探しにも似た推測ゲームにはあまり興味が湧かなかったりする。こういう推測ゲームというか、設定考察言論スフィアみたいなのってオタクが内側で盛り上がるために必須ともいえる現象だと思うのだけど、その外側に十分突き抜ける魅力を新ヱヴァが持っていたことに、俺は何処と無く安心すらしたのであった。

おお、なんか評論っぽくまとまったぞ(苦笑)

ちなみに前回も感じた人間模様の変更っぷりへの違和感のなさは、やっぱり漫画版で記憶を修正していたからの模様。二度目を見に行く前に漫画を読み返してみたんだけど、シンジ君の性格がだいぶ強化されてたのに慣れてたんだな。確かに旧作の全登場人物の果てしないダメっぷりを思い出してから劇場版を見ると、こいつらがメイド・イン・ヘブンによって「覚悟」を持たされた一巡後の世界なんじゃと思うのも無理は無い(笑)。シンジの頬を引っ叩く代わりに自分を殴るミサトさん萌え。砂礫の中から立ち上がり、泣きながらもライフルを構え、そして最後にはただ隣で死に逝く戦友のみを想って敵を撃つ───すっかり兵士の心にハマっているシンジ君には素直に泣いた。いやあ、この面でも面白い、面白いよホントに。

それにしても、他人を追い込んで事実上の選択肢を潰した上で「選べるはずの無い」架空の選択肢を提示し、「選ぶしかない」選択肢を自らの意思で選ばせたことにし、以後「自分で決めたこと」とネチネチ追い込んでいく彼らの手口……旧作からこんなに徹底してたっけか。なんだか昨今の似非成果主義職場で似たようなシチュが量産されてそうだなぁ、と薄ら寒い思いも後から湧いたのであった。マジこえーこの女たち。

今日の一滴="−−−−" (2007/09/15)

【2007-09-20-木】

何故人はかくも憶測に基づいて他人を叩くのか

……について色々書きたかったが、なんか萎えてしまった。大した内容にならないし。本来書こうと思わせた(余所様での)具体的事案が2つ3つあったのでその例を交えながら書こうと思ってたんだけど、時間と共に事件性は風化しちゃうし、それだけのためにカタのついた話を蒸し返すのも気が引けるし。よって、以下は具体例を引かない俯瞰的な雑感。

この話の大元の着想は、はてダで書き散らしたキャラ造形の話である。キャラ造形の薄っぺらい箸棒作品ほど、属性を極端に(分かりやすく)出すあまり、この手の「思い込みに基づいて他者を徹底的に糾弾するキャラ」を作ってしまいがちだな、という話だ。いわゆる暴走系のヒロインは下手を打つと(というか過半が)ここに堕するとか、衛宮士郎のような勘違い正義の主人公もこれの亜種だよなとか。ただ、この話って別に架空キャラに留まらず、現実の人間でも同じだよなぁ。この手の奴は勘弁願いたいな、というか。上でも触れたけど、更にそう感じさせるイベントが2-3続いたこともあり、現実世界に広げて話を書こうとした次第だ。

勘違いして欲しくないのだが、叩かれるのが人ではなく何か作品であったり組織であったりすれば、別に憶測が混じるのもやむなしだとは思うんだよね。組織であれば対外イメージの作成は責任の一つに過ぎないし、作品であれば作品単体を鑑賞して得られる何かが全てだろう。いずれにせよ、それ以上の事情を斟酌してやる必要はないわけだ(深く真実を追ったほうが面白いけどね。でも批評なり批判する者にコストを求めちゃダメだろう)。また個人であったとしても、何か小さくは日記の記事なり、大きくは論文なりと、ある事象について自分の論を尽くした何かを開陳している場合、その語り尽くせなかった部分、論の抜けた部分を叩かれるのは致し方なかろう。

しかし、この場合相手は個人の「全てを見せざる一面」なのだ。その叩かれる事象について、意識して公に全て開陳したりしているわけでもない。何か偶然、あるいは別のモノを語る際に漏れ出た言動なり意見なりを元に、その背景はこうに違いないと断じて叩くような行為が不可解というか、不愉快なんだよなぁ。何故そこまで「自分の初期印象が正しい」という幻想に浸れるのか。まぁ、正確には他の件でも何度も書いているように、「一度決めた考えを変える」ってのは確かにコストの高い行為で、大抵の人間はこれを大変面倒臭がるモノであり、「正しい」というより「他の意見を持つのがメドイ」に過ぎないわけなのだが……。そんな程度の思念を他者への糾弾に向けるなよなぁ、というのが正直な感想だ。せめて自分の中に留めおき、その後相手を判断するときの材料程度に収めておけば良いものを。

雑感ゆえオチなし。キャラ造形の拙さについては他に書きたいものもあるけどそれは別の機会に。

今日の一滴="−−−−" (2007/09/20)


 
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