MACHINA EX DEO
如星的茶葉暮らし

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酒の一滴は血の一滴。茶の一杯は心の器。ネタの一つは人生そのもの。

【2004-11-12-金】

【AceCombat5総論:オヤジ万歳】

ここ半月、如星のプライベートタイムを捉えて放さなかった「AceCombat5」について、ここに対冬執筆体制下における封印の意味も兼ねて、つらつらと感想を。

結論から言うと面白いの一言に尽きるのだが(笑)、このシリーズ共通の、空を飛ぶ楽しみを追求する姿勢は今回もよく現れていて、もうひたすら飛びまくって楽しい。もう今更ACシリーズに対して「リアリティ」とかいう的を外した批判をする人はいないとは思うけど、航空力学や軍事常識は「再現」されるのではなく、ゲーム性を高めるために「取り込まれてる」と言ったほうが良い位置づけで、フライトシミュレーターではなくゲームを求める如星のような人間には最適のブレンドなのである:)

前作のグラフィックが、新ハード移行という事もあって前々作から世代交代的な進化を遂げたのに比べれば、その面では今回は順当な改良のレベルなのは当然だけど、それでも質が上がっているのには驚き。またゲーム的には、前作のミサイル連打可能が是正され弾数がきつめになり、補給も無くなったのでミッションに寄ってはミサイルが不足する造りになっている。このため従来にも増して特殊兵装の選択と、そして機銃の使いこなしが求められるわけだ───この変更は「厳しい」という声も聞くのだけど、個人的には敵のケツに食らいつく空戦技術を否応無しに駆使させられるという意味で、よりゲームの面白みを引き出してると思う。

そしてシナリオ。前作はプレイヤーの存在をぼかしつつ、ある種淡々とした良質の戦中手記モノの雰囲気を漂わせていたけれど、今回はプレイヤーをぼかしたまま所属飛行小隊を主役に据えることによって、シナリオへの没入感を格段に増している。また話自体が結構派手な(ある種ハリウッド的な)、英雄譚あり陰謀ありのてんこ盛り、心くすぐる軍事ヒロイズムも振り掛けられたシナリオに仕上がっている。……この辺りは好みの分かれるところだと思うけど、すまん、俺は不覚にもケストラルのラストで泣いてしまった。いい話じゃねぇか(;´Д⊂) ……こほん。とにかく出てくるオヤジが皆渋い。ヤバイ。カコイイ。腐女子はとりあえずプレイしる(笑)

さてACシリーズと言えば飛行中に飛び交う無線通信も売りの一つだけど、今回からようやく音声・字幕双方を日本語と英語の組み合わせから選べるようになった。軍事英語好きの如星は迷わず英語音声日本語字幕、また聞き取りづらいところでは英語字幕にして確認し悦に入ったりしている:) 今回戦闘中にYes/Noの会話を求められることがあり、字幕を見る余裕の無い場合も多いので、世の評判では日本語音声もあってよかったと言う声も半々の模様。つまりは、選べるってのが最適だったってことだろう。……が、個人的には日本語音声はイマイチ馴染めない。言い回しや用語については正しく(?)航空自衛隊を参考にしているらしいけど、どうしてもゴジラ映画でも見ているような気分になってしまう(悪いことじゃないんだが)。そして何より、声優の演技がイマイチ……。英語版は基地司令官やブリーフィングも含めて大変雰囲気が出てて良いのに比べると、例えば日本語版はオープニング一発目の「レッドアラート」の台詞がいきなり緊張感に欠けていてもにょってしまう。うーん。

実はまだアーケードモードを未プレイだったりするのだけど、機体集めやネームド機撃墜等、なかなか長い時間遊び倒す事ができる感じ。その意味でも、空戦モノに興味さえあるなら、とりあえず買っといて損の無い一品であった。……Very Easyでも結構難しいという声も聞くけどね。

今日の一滴="グラッパ:トスカーナの……名前忘れた(笑)" (2004/11/12)

【2004-11-13-土】

【プレチェネッラ:初ジビエで買う時間】

昨日の夜は本当に久しぶりにプレチェネッラ@横浜へ。

この如星の中では最強のトラットリアに位置付けられているプレチェだけど、数えてみると実に4ヶ月も御無沙汰していたことが判明。それでもきっちり覚えててくれて、電話口でフレンドリーに対応してくれる辺り、逆に申し訳なくなってしまうぐらいだ。……ともあれ、寒くなってくればジビエの季節ということで、予約時にウズラと猪があることを確認。肉の悦びを求め(違)、喜び勇んで出撃である。……久しぶりに訪れてみると、目の前の川岸にあった柳が見事にへし折れててちょっとびびる。やっぱり今年直撃した例の台風だそうで、店が若干坂の上にあったおかげで浸水はしなかったものの、ほんの十数メートル先の坂下を車が流れていったとかなんとか……。また無事だったとは言え外装は結構被害を受けたそうである。合掌。

さてさて、例によって味もサービスも相変わらず最高でした:) 外で干してた自家製カラスミと太刀魚辺りから始め、甘鯛をオレンジを練りこんだパスタでいただき、メインは当然ウズラと猪。グラッパもチーズもイイのが揃ってるし、これでデザートも旨いんだからねぇ……。ちょっとシェフとは話せなかったけど、キッチンから姿がのぞいた時にブロックサインで感謝の念を表明しておいた(笑)

それにしても、やっぱりここの売りは、味に加えてのサービスだと改めて思う。これだけどんどん流行ってきても、まるでその質が落ちないというのも凄い。これがまた馬鹿高いリストランテなら分かるけど、全然そんな事はない価格帯にも関わらず(味はそこらのリストランテを軽く凌駕してるけど(w)、フロアの誰を捕まえてもその人ならではのお勧めが聞けて、ドリンクも絶妙なタイミングで注ぎに来るし、当然「〜をご注文のお客様はどちら」なんて台詞は一切なく、誰がどれを頼んだのか完璧に覚えている。──ふと後ろを振り返ると、6人ぐらいの卓で似たような赤を別々に空けて飲んでいる。ある種ウェイターにとってはイジメみたいな状況だけど(笑)、もちろん何の問題もなく対応されてて、こっちが感心してしまうくらいだった。

なんだろう、やっぱりこういう場所には、そりゃメシが旨いというのは当然重要だけど、と同時に我々は「時間を買いに」来てるんだな、と思う。実際、最近は「味は価格的にも中の上程度を目指しつつ」「トータルのサービスで食わせる」傾向の店やフードチェーンもジリジリ増えだしてきているし。単に旨い不味いだけじゃなく、そこでゆっくり時間を過ごすという楽しみ方が裾野まで広がってきたかな、と思うとちょっと嬉しい。……その一方で、相変わらず折角こういう店に入りながら、随分ちょっぱやで会話も少なくメシを食うカプールとかいて「もったいねー!」とか思うこともまだあるんだけどね。

今日の一滴="黒茶:99年野生古樹餅茶" (2004/11/13)

【2004-11-14-日】

【キハチ:禍転じてウェルコネ。】

ちょっと昨日と連続してしまうけど、もう一つサービスの話。

今日は新宿で映画「山猫」を観ようと思っていて、その前に横浜で昼飯を摂取。たまたま当て込んでいた所が混んでいたので、あまり深く考えずにキハチ無国籍に切り替えてしまったのだが───冷静に時間を計算してみると実は上映時間まであまり余裕が無いことに、席について注文を済ませてから気づく(汗)。本来この店はゆっくりと飯を楽しむところだし、おまけに店内はほぼ満席状態、厨房も余裕はなさそう。しかしもう一杯食前酒まで入れた状態から注文をキャンセルして店を出るというのも憚られる。

というわけで、ダメもとで皿の間隔を急いでもらえないかと頼んでみた。まぁ若干のスピードアップぐらいは見込めるかな……という程度の期待だったんだけど、逆に向こうから何時頃までなら大丈夫か、という打診が。その時間を聞いて、さらに厨房とも相談して来たらしく、わざわざ「では〜時頃店を出られる感じでお出しいたしますので」という丁寧な反応が返ってきた:) こちらが遠慮して告げた時間より10分ほど早まっている辺りが芸が細かい。

実際、この混雑状況では厨房の余裕はほとんどないはずなんだけど、こちらの食べるスピードをしっかり見守っている(笑)ようで、こちらが食べ終わると次々と皿を持ってきてくれる(本来皿の間隔はある程度長めに空けて、ゆっくりお喋りなど楽しむのが筋なのは言うまでも無いが)。それでいてガチャガチャと慌しくはならない絶妙の間で、最後のデザートとエスプレッソまで堪能し、無事定刻に出ることができてしまった。

この話のポイントは二点。第一にこちらの、ある意味ふざけた申し入れ(時間が無いなら豚丼でも食えばいいのである、本来)を、嫌な顔一つせず、むしろ向こうから更に提案してくる形で受け入れてくれた姿勢。第二に、現実に猛回転している厨房とフロアから、他のお客さんの手前を考えながらも、実際にこちらの要求を実現してしまった手際。昨日のプレチェでも思ったけど、キハチのこのラインは「そこそこのお値段」程度のクラス。そのクラスでこれだけ丁寧なサービスをされてしまうと、そりゃもうこっちは参ってしまい(笑)、再訪を心に決めてしまうのである。「時間を売る」という昨今のフードサービス、当たる店というのはこういうものか、と改めて実感した一幕であった。

【補足余談・やる気のなさ】

客に気持ちよく過ごしてもらう体制が作れないことに、価格帯やコストを言い訳にしてはならない、と思う。お一人様800円でも、フロアに十分教育された人間を十分に配置するのは決して不可能ではない、とあちこちで実証されているわけで。前項で挙げたような例は無理だとしても、たとえファミレス程度の価格帯であれ、店員の対応一つで実に気分良く飯が食えるのだ。

……だからさ、持ってきた飯の説明、言い終わる前に踵を返しだすのやめようよ、新宿茶語。だったら無言でガチャ置きしていく方がまだいいよ、そういうタイプの店と思うからさ。こんなの店員に毎朝5分リマインドすれば十分なレベルだと思うが……やる気の無い店はダメなんだよなぁ。実際、新宿の茶語は色んな面でやる気の無さが見えてしまってダメダメ。横浜の茶語は割りと良いんだけどねぇ……。

今日の一滴="紅茶:プリンスボーディダルマ(マリアージュ)" (2004/11/14)

【2004-11-15-月】

【IL GATTOPARDO】

昨日の日記で、肝心の目的だった映画「山猫」IL GATTOPARDOに触れなかったので若干感想を。

今回観に行ったのは、ヴィスコンティの伝説的な名作とされる「山猫」のイタリア語完全復刻版である。……が、如星は恥ずかしながら古い名画についてはあまり興味も知識も無く、いわゆる「名前だけは聞いたことのある名画」もほとんど観たことが無い。この山猫のタイトルだって、今回日本上映を宣伝するWeb上で初めて知ったぐらいである。

しかし曲がりなりにも名作の評価がついている作品。元からイタリア史や文化にも興味のあるところに加え、先々月のヴェネツィア旅行以来、如星の中には空前のイタリアブームが巻き起こっている(笑)。そして19世紀当時の衣装に気合入りまくりという評判が、相方の被服趣味と一致。双方観ておいて損は無いだろうと判断になったのである。……映画はテレビよりスクリーン派だしね:)

結果。やはりイタリア好きとして存分に楽しめた。画質が元々最近の映画ほどはよくない上に3時間超と長い映画を、スクリーンに近すぎる席で見てしまうという愚のせいで途中ちょっと身体の方が辛かったけど、描かれる貴族文化も、奏でられるイタリア語も、語られる近代イタリア史、そして匂ってくるシチリアの歴史も、全てが一体となって流れてくる。台詞の端々にも皮肉と諦観が含まれていて、劇中の「我々は25世紀間植民地だったのだ」という台詞は、歴史好きの胸を打たずにはいられなかった。

ただ、誰にでもお勧めできるかというと微妙な線。如星も端々のイタリア的な要素があってこそ楽しめた、という気がする。多分、この物語の一番の核の部分に胸打たれるには、俺はまだ若すぎるんじゃないだろうか(苦笑)。だから自分にとっては世代交代というよりは、貴族的なるものの最後の日々、というイメージの方が先行する作品だった。例えばビクトリア朝の英国貴族を描いた作品にも同質の苦さがあるのだけど、イギリスの方はまだ国自体が最盛期を迎えるところであり、交替してくる階級の力強さを感じることができる。一方でこのイタリアの方は、最盛期なんて2-300年前の話なのである。貴族的なるものの終焉の向こうには見えるものも実に怪しく、それゆえに最後の日々の煌きをより強く感じることができたんじゃないだろうか。

今日の一滴="−−−−" (2004/11/15)

【2004-11-16-火】

【名言】

某チャネルで流れていたURLより。原文の文脈とはまるで関係ないんだけど、あまりに端的に人生の要諦(笑)を要約しているので思わずメモ。

そして真に上級のユーザーであれば、単純なツールでは不適当だと確認できるまでは、一番単純なツールを好むものです。

いつものことですが、まず正しく動くようにし、その後で、さらに早くすべきかどうかを考えるべきです。

Brian Goetz

まず理/原則ことわりを踏んで、それから利/応用このしろを取る。これ大抵のコトに適用できてしまう原則だなー。

今日の一滴="−−−−" (2004/11/16)

【2004-11-17-水】

【時間と思考様式と人種に関する若干の考察】

  • 歴史学者:百年単位で流れを考える
  • 考古学者:千年単位で過去を推察する
  • 天体物理学者:一万年以下の単位には興味がない
  • 理論物理学者:時間の存在にしか興味がない



  • 経済学者:昨日何があったかは予測できる
  • 政治家:来月は選挙だ

【趣味道とは選ぶ事と見つけたり】

余所様のネタが続いてて申し訳ないし、古い文章なので果てしなく既出かもしれないけど、趣味人間の生き様を見事に表した名文だったので思わずメモ。まずは一読あれ。

如星自身、我ながら色々と「馬鹿なモノ」に金を掛けるなぁ、と思うタイプの人種である。酒・茶にしかり、ヴェネツィアにしかり、同人にしかり。そこに金を掛ける価値観を他人が理解すべきとは思わないし、むしろ「何でそんなことに、馬鹿じゃねーの」と言われるぐらい方が、自分のバカが極まった状態を再認識して嬉しくなってしまう救い難い領域にすらハマっている感はある(笑)

いずれにせよ、趣味の楽しみの最たるところは「自ら選ぶこと」にあると信じている。これは突き詰めれば「知ると知らぬのいずれが幸せ」という命題にも繋がってしまうのだけど、如星は断じて「知るが幸せ」と言ってしまうタイプの人間だ。経験を増やしていく喜び。知識を広げていく快感。それによって更に自ら楽しみを考え、選択する幅が広がるというポジティブ・スパイラル。それこそが「趣味」であり、「好きこそ物の上手なれ」の原動力だと思うのだ。

こう書くと必ず「無駄に薀蓄がないと満足できない貴方は不幸だ」などと主張する人間が出てくる。だが例えば紅茶の世界で言えば、上の考えは決して100円のティーバッグで得られる幸せ(小娘の生きる道で言う、ユニクロ服等)を否定するものではない。100円のティーバッグで満足できる方が幸せという主張に、断固否、と言うだけのコトであり、選んだ結果ではなく選ばなかった結果を上とする発想に疑問符をつけるというコトなのだ。……大体趣味にどっぷりはまっていくと、裾野の辺りにだって満遍なく愛を注いでしまうものですよ、駄目人間というものは(笑)

如星が「どんな趣味であれ」強い趣味を持つ人間に好感を抱くのは、例え方向は違っても趣味の志という単純な思いの他に、「同じでないと気持ち悪い」と社会的に均された価値基準に「否」と言えるだけの物差しを持つ強さをそこに見るからだと思う。そういう人は、揺るがぬモノを持っているだけに、逆に周りとは余裕を持って接することができる気がするからね。その心境に到れないのであれば、それはまだ趣味道の覚悟が足りないと言うことなのかもしれない:)

今日の一滴="−−−−" (2004/11/17)

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