MACHINA EX DEO
如星的茶葉暮らし

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酒の一滴は血の一滴。茶の一杯は心の器。ネタの一つは人生そのもの。

【2004-06-12-土】

【あるいは記憶さえもあやふやな】

また長いこと日記の間隔を空けてしまいました……。

先週、そして今週はちと仕事的山で苦しいわけですが、本当に苦しいか、と言われると、むしろ山なのにやる気が湧かなくて仕事の進みが遅いという方が問題だったりします(苦笑)。これ、やる気が湧かず手をつけてないなら楽かという訳でもなく、現実に潰されている状況の方がむしろ苦しいぐらいなのですな。実際、仕事時間中に仕事に手がついていない時間の記憶が非常にあやふやで、さて先週の日記でも補完するか、などと思い立っても、先週の「印象」すら残っていなくて愕然とします。うーん、まずいな。

ま、本質的には「現実的に逃げの効かない締切」が近くなれば、やる気などは自動的に出るもの──というのも、人生を瞬発力で生きている如星のような人種の持つ、悪弊ともいえる発想なのですけども。締切近くの瞬発力で、とりあえず何とかはして来てしまっている、継続的努力と言う後天的能力を身に付けることのできていない不幸な人間の悪癖。今回もまたそれを実践せざるを得ない状況なのですが、ま、瞬発力でも発揮しないよりはマシか、ということで。

【act of insanity】

そんな気分を振り払わんと、久々に付き合いカラオケやら出撃し、その後3人ほどで湯島某アニスにてオールナイト。 仕事が苦しいときにアフォかと我ながら思いつつ、同時に相変わらずこういう馬鹿をやる度に、マキアヴェッリの「脳にへばりついたカビをこそげ落とす」という歴史的言い訳を持ち出してきて自己内正当化してる辺りはご愛嬌(笑)。噂に聞く意外な美声とハニトーを堪能。

さて、「酒の分かる人」と「話のわかる人」とで飲み食いをするのも久しぶりかも。酒の趣味を語れる友人と言うのは結構貴重な存在だし、ともすればただの愚痴大会に堕するネタを面白く語れる、というのは精神衛生上も大変よろしい:) 両者が揃うというこの機会に密やかな感謝を捧げつつ、彩花姉さんと酒雑談をしながら今宵の友を決めていく。姉さんのいる深夜は、こういう普通のバー風な飲み方ができるのも嬉しいね。オランチョにビターを一振り、香ばしい話をも笑って炭酸に紛らせながら。その後一人の相方さんも到着し、話のネタはもう少しは建設的な方向へ(笑)。成熟したカプールと会話する、ってのは相変わらず楽しいねぇ。

ちなみに酒は飲むがモルトはやらない、という人でも、一方で茶飲みでありさえすれば、そこは「琥珀色の液体仲間」。アイラの魅力をスモーキーフレーバーに例えてサクっと理解してくれる、なんて幸せを楽しめるのが、趣味人同士の飲みというモノである。……なんだ、重苦しい空気なぞは、所詮会社の門をくぐれば忘れる類のものなのか:)

今日の一滴="モルト:ボウモア12年" (2004/06/12)

【2004-06-13-日】

【ペイパーワークの資産残高】

朝から晩まで仕事ニセの始末、先日曰くの「瞬発力の発揮時」、平たく言えば「ツケの払い時」の到来中。ま、先日も書いた通り、追い込まれているほうが精神的には楽だし、そもそも「ツケに回す」という選択肢を持てていた、というだけでも、まぁ本当にしんどい時とは比べるべくもない:) ……というのも救いがたい性だとは思いつつ、かくて、日がな設計書を書いたり資料を作ったり。延々と終わらぬ作業に、さすがに深夜近くにはツケに回した自分を呪いもしたが、まぁそりゃ一週間分の年貢を一日で納めようというのだから、当然の報いなのだ(苦笑)

最後にコンビニに走って明日の説明資料をコピーする。当然ただの単機能コピー機なわけで、ソートもホチキス止めも全部手作業、改めて文明の偉大さを思い知る_| ̄|〇 ……ま、今時のコピー機のすばらしさを改めて思い出しつつ、またどう足掻いても無くならないペイパーワークにうんざりしながらも、高機能コピー機慣れ、あるいは手持ちのホチキス一つにしても、同人コピー誌ワークで紙作業に慣らされている自分に苦笑い。ノウハウを知っているだけで作業効率が数倍違いますなぁ……。

今日のお勧め品:奥行き固定ホチキス

紙端から打ち込み点までの「奥行き」を5mm単位で固定化できるガイドがついているという「だけ」なんだけど、連続して一定の位置にホチキス止めをする時には絶大な威力を発揮するのである。「針を打ち込む位置を狙う」というのは、意外と集中力を消費する上に安定しないモノなのですよ:)

普通の人生でそんなモノが必要かという指摘はスルーの方向でおながいします。

【いつの間にやら合間を縫って】

ぶつくさ言いながらも、実はいつの間にか「一応コラム群」other columnsを日記へのリンク型に改造していたり。まだ雛型を作った段階で、過去日記からのすくい上げは完了してないけれど、新日記を載せる仕掛けは8割方できた模様。

ま、過去の日記なんて本来は消し去りたい類の文章であることがほとんどなワケですが、ネタの為なら身体を張るのが正しいネタ師というものです。エエ。

今日の一滴="緑茶:掛川茶通人煎茶(露)" (2004/06/13)

【2004-06-14-月】

【フィール・グリーン】

午前中の客先ミーティングを気持ちよく終わらせた時点で、おさぼり分取戻しは完了リカバリー・コンプリート。玄関を出た瞬間に思わず「パーフェクト(ラスト・サムライの渡辺謙の口調で)」と呟いてしまう、そんな爽快感。……あーあ、今回もまた悪しき前例が一つ積まれてしまいましたな(苦笑)

おりしも六月とは思えぬカラリとした暑さ、まるで秋空のように遠い青。気温自体は高いはずなのに、上着を着ていても快適なぐらいの天気に気分は上々。皇居の緑と帝国のロビー前の雰囲気など愛でながら、足取り軽く移動である。……この時、日比谷から地下鉄で日本橋方面に移動したのだけど、たったそれだけで、駅を降りたときにはムッとする暑さに(少しだけど)変わっていたりする。皇居付近の涼風効果って、意外なほど高いのかもしれませんな──丸ビル勤務の時に見下ろすと、皇居が以下に巨大で貴重な緑の塊かが良く分かるしね。

【忙中の茶は命よりも尊し】

先日丸ビルに顔を出す機会があったので、いつぞやの緑茶屋に足を向けてみる。

今回の仕入れ品は「静岡煎茶・掛川茶通人煎茶(露)」前回のお茶よりも更に王道を狙ってみる。相変わらず、デパ地下小売場程度のサイズの店舗ながら、キッチリと試飲させてくれるのが嬉しい。……同時に試した炭火釜入の緑茶は、香ばしさの点で普段飲み慣れてる中国緑茶に傾向が似ていたので、逆に今回はパス。煎茶としての甘味の完成度に力の入ったお茶にしてみたのだ。

と、今日はその真向かいに、世田谷だかの紅茶店が臨時出店している。しばしふらふらと眺めてたのだけど、解説に来てくれたおねーさんと「紅茶は普段飲まれるんですか?」「ええ、お茶なら色々手広く。今もそこで緑茶買ってきたぐらいで」という会話を交わして以降、向こうの対応が茶好き仲間モードに切り替わる(笑)。今年のダージリン新茶の傾向から、ちと変わったフレーバリングまで雑談。何処のお茶屋でも、この切り替わりが毎度楽しいのである:)

今回は結局、ちと変わった香りのベトナム・ハス茶を選択。これベトナム料理屋で飲んでいた時は、茶とは違う植物を淹れたものだと思ってたけど、ちゃんとした半発酵茶がベースらしい。癖があるけど甘く香る蓮の香りは、疲れ気味の夜などに合いそうと思って購入してみた次第。

考えてみれば、茶にはまる以前には、シーンに合わせた紅茶を選ぶなんて行為は随分スノビッシュに思えていたのだけど、今こうして自宅に紅茶に留まらない茶葉を揃える身になってみれば、気負うことも無く、至って当たり前の感覚になっている。味も香りも千差万別のお茶、その違いを一度覚えてさえしまえば、数を揃えたくなるのはどんな趣味でも自然な流れといえよう。それに何より、「今日は何を入れようか」と考える瞬間こそは、茶飲みの至福の一瞬でもある:) 嗚呼、自宅で選択肢のあるすばらしさ。

お茶を入れるという行為も、ルーティーンになってしまえば楽しみなど薄れる、と思われるかもしれない。しかし少なくとも如星にとっては、楽しむという行為自体、あるいは気分を変えるならこれ、という行為がルーティーン化するだけで、茶葉自体への楽しみはまったく尽きないのである──いわば「日常に食い込んだ趣味」である。 週末に気合を入れて中国茶を飲みに行くという「趣味」、あるいは自宅で惰性で煎茶を入れるという「日常」。その双方を同時に持つ段階に「到達」した我が身を省みると、うん、我ながらイイとこまで来たもんだ、なんて感慨に耽ってしまうのである。

……うーん、茶飲みによる茶飲み自画自賛だな(苦笑)。とりあえず、オチなし。

今日の一滴="茶:ルイボス(ルージュ・ドトンヌ)" (2004/06/14)

【2004-06-15-火】

【デッドリー・ペイメント】

朝目覚めると、体調絶不調……普段なら迷わず休んでしまうところ。

が、いくらツケの支払いが完了しているとは言え、投資(余裕)にまで手が回っているわけはないのである。なんだ、これもツケの支払いの一環じゃないか……と悪態を付きながら泣く泣く出勤。うーむ、やはり良い子の皆さんは、ギリギリまでエンジンを掛けない、なんてことをしてはいけませんよー。

【ひつこいようだが仕様です】

だーかーらー。

「努力」も、「数学」や「物理」と同様、後天的訓練によって身に付ける「能力」の一つだっての。「努力」も「努力」しないと身に付かないのは皮肉だけど事実だし、「努力さえすれば」という台詞自体、努力が如何に困難な能力かを表してるとは思わない?:)

ま、正確には「計算能力」や「論理的思考力」、「文章力」や「誌的表現」辺りとの比喩の方が近いのだろうけど、世の中ではこれらのスキルも「先天性でしかありえない」と思っている人が多いんだよなぁ。天性の感覚を否定はしないけど、モノにするための訓練はいずれにしても必要だ。

今日の一滴="茶:ベトナムハス茶(半発酵)" (2004/06/15)

【2004-06-16-水】

【自分の子供を残虐な殺人者にしないための一考察】

特に今のままでいいんじゃないすかねぇ?

考えてみれば、17歳以下の人口約1800万人に対して、少年殺人は毎年100件程度。まぁ世のシステム屋が求める信頼性ぐらいには、世の親はなかなか良くやってると言えましょう。別に少年犯罪が急増しているというわけでもないんだし。もちろん、子育てに原子力や航空産業並みの信頼性、エイト・ナインズ(99.999999%)を求めていく、というのなら話は別ですが:) ……ただ上のリンクにもあるように、犯罪傾向に「質的変化」というのはあるかもしれないし、今後を注視しなくて良い、と言うわけでもないだろうけど。

要はヒステリックに今のやり方を否定する理由はない、ということで。

【自分の子供を素敵なネットワーカーにするための一考察】

一方で例の惨殺小学生事件依頼、世の焦点は小学生のWeb持ちという「未知の世界」に当たっている模様。この辺りを読む限り、彼らとは同じ基盤に住んでいるという以上の共通点のない、水素生物みたいな存在なのかとガクブルしてしまうけど、まぁ冷静に考えてみれば彼らはホンモノの小学生なのであり、クソガキはクソガキなのである。彼らがあれ以上「お作法」を身に付けていたら、遥か年上で「厨房」と呼ばれる連中は文字通り立つ瀬がない(苦笑)。あと携帯文化とのマージというのも自然な流れだろうし、こちらについては個人的には特に不安を感じてはいない。携帯文化とネット文化は決して対立項ではないし、またあくまで個人的な経験がベースに過ぎないが、現職中高生女子辺りでも、携帯文化から入ってネットメディアとの使い分けにたどり着いている子も少なくないようだしね。

つまり、問題は「今彼らが如何にクソガキか」ということよりは、今後彼らが、何処で、どうやって「お作法」を学んでいくのだろうか、というコトかもしれない──敢えて「リテラシ」と書かなかったのは、胡散臭いネチケット方面を指したくなったからである。どちらかと言えば、そもそも基本的な「何故規約があり、規約を守らねばならないか」辺りに始まり、例えばネット上の著作権であったり、逆に自分が守るべき個人情報とは何かということであったり、あるいは匿名とはどういうことかも含まれるかもしれない。ネット世界は「彼らの世代に荒らされるもの」などではなく、逆に彼らを貪欲に食い散らかす可能性のある存在であり、と同時に彼らが社会環境として使いこなしていく必要に迫られる世界でもあるのだから。

思えば「教育」というのは、基本的に富国強兵を求めて制定されているモノである。質のいい単純労働者や兵士が求められていた時代、ある程度の学識と組織行動力を持つ労働者が求められてた時代、それら相応の「教育」をひねり出した国は、やっぱ強かったわけで。……とすれば、今や情報と金融が支配するこのご時世、もー少し「ネットの話」と「カネの話」を義務教育に織り込んで行っていいんじゃないかと思う今日この頃。使えない「情報」の授業なんかじゃなくてさ。

今日の一滴="−−−−" (2004/06/16)

【2004-06-18-金】

【エクスキューズ】

何もかもが滞ってオリマス。新ノート・X40が来てたりするのに一向にセットアップする時間が取れないし。来週末まで全然身動き取れない予感……。

今日の一滴="−−−−" (2004/06/18)

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