以前大量購入した一連の書籍のうち、異星文明モノを2作立て続けに読破。
見事、の一言。久しぶりに読んだ “Good'n Old Standard Sence of Wonder”、すなわち王道SFと言えるかも。人類が銀河系覇権種族たちに「発見」されて以後の物語で、この本のメインは知性化されたイルカ。人類とイルカで構成された宇宙船のクルーが、列強を逃れて逃げ込んだ水の惑星から脱出計画を練りつつ惑星の探索するという、舞台装置も登場人物もテクノロジーも、そしてプロットも全て「王道」なのである。
テクノロジー面は置いておくとしても、知性化、という「文化」に基づく人間側の行動や、イルカが人類と鯨族の中間を取る思考をする様など、新たな技術に基づいた社会/文化をリアリティをもって描くという、一級SFのラインを軽く満たしている。各覇権種族たちの異質な文化もなかなかのレベルだし。
しかしこの作品、特に訳者が巧いなー。これは後述。
話自体は面白かった。いいSFと言えるレベルではある。
少年、というより子供のエンダーが軍の思惑で「未来の司令官候補」として超スパルタ教育を受け、意図的に子供たちの中で孤立させられ、いじめの中で自立解決を求められていくとゆー物語である。
……なんだけど、どーしても俺はいじめのシーンが読むに耐えないんだよなぁ。この手の話には弱い。グリグリの朽木双葉シナリオが好きになれなかったってのと同じコトなのだけど。
まぁそれを差っぴいても、オチの持って行き方は見事だし、その後のエピローグ、エンダーの人生のまとめ方なんかはかなりグッとくる。そういう読みどころは多いんだけど、一方でエンダーの兄弟たちのエピソードは蛇足に見えるんだよな…。
そして最後に。この作品、訳が酷い。これも合わせて後述。
誰かが「海外SFの面白さは、翻訳の出来で75%〜120%の間を可変する」
と言ってたらしいけど、この2作品はその上下を対称的に感じさせてくれた小説だった。
上にも書いたけど、「スタータイド・ライジング」は120%に仕立てられている好例だと思う。イルカたちが会話の端々で織り成す「俳句」の訳も見事だし、各銀河語や韻を踏む表現など、英語でかかれている原著の直訳では決して得られない雰囲気がばっちり表現されている。イルカ語や軍事用語なんかは、「当て読みふりがな」の連発に頼ってしまうケースが多そうだけど、このスタータイド・ライジングではそういうコトは一切無い。原作自体が、説明台詞をほとんどナシに世界を理解させるという、異世界作家としての資質を備えていることもあり、とにかく日本語として読みやすいのである。
一方で、「エンダーのゲーム」は75%の例だろう。作品内の台詞のほとんどは「子供言葉」と「軍人言葉(not軍事用語)」で占められているんだけど、これが直訳カタカナや振り仮名の連続で非常に読みづらい。エンダーが考案するゲームの戦術説明も、これは原文が悪い可能性も高いんだけど、何度読み返しても情景がサッパリ湧いてこないこともある。なまじ英語をかじっていると原文を想像できてしまうだけに、翻訳の酷さが分かってしまうという現実。そういう意味で、設定やプロットは悪くないだけに、エンダーシリーズは随分と惜しいことをしている気がするぞ。
そんな訳で、次に読む本は「スタータイド・ライジング」続編の「知性化戦争」に決まったのである。
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死者の代弁者 上 (ハヤカワ文庫 SF 884) | |
死者の代弁者 下 (ハヤカワ文庫 SF 885) | |
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知性化戦争 下 (ハヤカワ文庫 SF 873) | |
覇者の戦塵・急進真珠湾の蹉跌 (C-novels) | |
覇者の戦塵・反攻ミッドウェイ上陸戦 上 (C-novels) | |
覇者の戦塵・反攻ミッドウェイ上陸戦 下 (C-novels) | |
覇者の戦塵・激突シベリア戦線 上 (C-novels) | |
覇者の戦塵・激突シベリア戦線 下 (C-novels) | |
覇者の戦塵・オホーツク海戦 (C-novels) | |
覇者の戦塵・北満州油田 (C-novels) | |
覇者の戦塵・激闘東太平洋海戦 1 (C-novels) | |
覇者の戦塵・激闘東太平洋海戦 2 (C-novels) | |
覇者の戦塵・激闘東太平洋海戦 3 (C-novels) | |
覇者の戦塵・激闘東太平洋海戦 4 (C-novels) | |
覇者の戦塵・謀略熱河戦線 (C-novels) | |
覇者の戦塵・ダンピール海峡航空戦 上 (C-novels) | |
覇者の戦塵・ダンピール海峡航空戦 下 (C-novels) | |
覇者の戦塵・ニューギニア攻防戦 上 (C-novels) | |
覇者の戦塵・ニューギニア攻防戦 下 (C-novels) | |
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前途尚遼遠也……。幸せ、と同義だけどね:)
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/04/11)
祖父さんの一周忌で長野・安曇野へ。もう一年か、早いモンすな。
行きは家族車での移動。生憎の土砂降りで景色を愛でるどころではありませんでした。去年の納骨ん時には、中仙道の山越え中、高地ならではの黒いほどに青い空を眺め上げてた記憶があるんすがね。それにしても中仙道は本当に山の中ばっかですな。「なんとか平野」「何とか平原」の間を辛うじてぐねぐねと繋いだ感じ。視界が開けると必ず中規模都市ってのが面白い。
かくてようやく信州の地へ。ここは桜の開花もまだで、それどころかまだ残雪がちらほら見られたり。
後ほど記述。
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/04/12)
弟が就職活動の都合で朝方電車で帰るとのことで、ついでに俺も電車で帰還。
やっぱり長距離移動は列車に尽きる。同じ車内缶詰でも、車での長距離移動はどうしても疲れてしまう。電車のほうが閉鎖感がなく広い車窓を楽しめるし、何よりどんなにいい車であっても、その座り心地は路面問題や渋滞の苛立ちがある以上、滑らかに一定のリズムを刻んでゆく列車の特急席には敵わない。
ホテルからバスで穂高駅まで出て、地元ローカル線であるJR大糸線で松本まで出る。特急の時間の都合上、駅前でコーヒーでも飲んで時間をつぶしてから行こうと思ったけど、当然そんな駅前に店はありませんですた…。いや、あの木造の鄙びた駅舎で、クレジットカードで切符が買えたのに驚いた私は失礼さんでしょーか(ぇ)。ともあれ時間をつぶすのは松本駅に決め、次に来た電車にさっさと乗る。単線のその電車、ドアが文字通り手動なのに気づかずしばし立ち尽くす罠。「ボタンを押して開ける」は相模線(ガミ線)で知っていたけど、電化線で本当に「手で引き開ける」とは……。ほのぼのと。
やっぱりこの辺のおにゃのこは原宿臭くなくて非常にヨイ、と思ったのはまぁ置いておこう。
松本駅には流石にそれなりの設備アリ。待ち時間を利用してとりあえず駅弁購入。事前にウェブで「安曇野釜飯」なるモノがあることを調べておいたのである( ̄ー ̄)。弟も一緒だったので、軽くつまめるよう「岩魚ずし」なるモノも合わせて購入。やっぱ長距離列車となれば駅弁でしょう、断固:) 待ち時間にそば粉を使ったどら焼きなんてものを摘みながら、流れる雲をぼんやりと眺める。……昨日と違って晴れてよかったねぇ。
諏訪〜甲府と抜けてくると、桜が徐々に開花していく様が眺められる。桜前線を逆行しているわけですな。何処までも蒼い峡谷や山霞、所々に見える山桜を眺めつつ、日記を書いたり弁当を食ったり。「安曇野釜飯」は山菜メインで、山菜独特の塩気と酸味が、基本的に冷えてから食う弁当釜飯にピタリと合ってなかなか旨し。こんな時だと普段大して気にも留めない人参のお新香が妙に旨く感じられる──ってのは椎名誠の台詞だったかのぅ。岩魚ずしはまぁ、普通に川魚の押寿司。美味しかったけどね。
八王子を過ぎて中央線に入ると、一気に見知ったる風景になってツマランね。まぁ立川の辺りなんて滅多に通らないから厳密には知ってるわけじゃないんだけど、旅の風情はこの辺まで。やっぱ都市圏のおにゃのこの価値は制服にあるんだなー、などと車窓を眺めて思ったことはまた放置。
というわけで新宿駅到着。お疲れ様でした。……今回のんびり温泉浸かりながら小説でも書こうと思っていたところ、ノートPCの電源を忘れ、この帰りの日記しか書けなかったってのはご愛嬌で(w)。
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/04/13)
ぶどうさん、とりあえずは、あげぷらおめ。
というわけで、メイドの旅の一里塚。思えば一年前の某君望即売会に、滑り込みで委託をお願いしたのが彼との最初のコンタクトでありました。その日はぶどうさんと一緒ではなかったけれど、イベント後に師匠に連れられ、初めて「ひよこ屋」なる店に顔を出したのでした。
君望やひよこに始まり、紅茶や酒やアフォなホスピタリティ系の趣味に至るまで、のっけからいきなり意気投合した凄い人でありました:) その後諸事情によりひよこ屋にはほとんど足を向けなくなってしまいましたが(そこ、笑わないように)、如星がこの1年間あちこちで出会った多くの人の、文字通りハブとなった方でもあります。「お世話になった」などという言葉から大きくはみ出した、有栖山興業社長(ぇ)ぶどう氏に、ここに感謝と共に祝いの言葉を。誕生日、おめでとうッス。
ぶどうさんのお祝いはやっぱりCafe Serieで。マスターさんに頂いた祝い酒──ガラスのお猪口に注がれたテキーラのショットが祝い酒ってどーゆーことよ──でキックオフし、今日ばかりはシャンパンをハーフばかり奢らせていただきました。ぬるい空気の春の夜に、少々コミュニケーション談義などかましながら。
先日の「スーパーあずさ6号」、実は何枚か写真を撮ってあり、はよちょこちょこっと編集して日記に挟みたいんだけど……時間が……取れねっすよ……_| ̄|〇
この他にも、ふと日中何かを思いついたり、折角ネタになりそうな行動を取ったりしたときはあるにも関わらず、日記に落とし込まれることなく、書きどころの旬を逃して消えゆく罠。もどかしい。
なんで仕事如きでこんなに真面目に考え込んでいるのだろう。そんな暇ないのに。
人を使う、人に指示して仕事をさせるってのが、かなり負担になっている模様。別に人の上に立つのは嫌いじゃないからいいんだけど、それは例えばグループ等で周りを見渡して、能力的に自分で自分の指揮権を認められるときのみである。ただ相手が協力会社だからというだけで、年季も仕事力も上の人々を相手に偉そうに指揮を振るうというのは根本的に性に合ってない。だがそんな行動を要求され、結局神経も使うし滅入ってくる。
叩き上げの軍曹や曹長相手に、初めて任官してきた少尉が抱く気分ってこんなモンだろーか?
Summary="滅殺。" Physical:88 (2003/04/14)
製品でも手法でも娯楽でも何でも同じなのだけど、何か新しいものが出てきた際に、それが自分の長所で喧伝されてくるのではなく、それ以前の何か/対抗馬の短所ばかりを騒いでいるのなら、とりあえず放置しておけばそのうち消え失せる。
簡単にいうならば、「〜はもう古い」「今時〜の時代ではない」などと称して登場する一発ネタシリーズのコトである:) 以前のモノをリプレースすることに存在意義を持つようなネタが、本当に他を駆逐できることなんざほとんどない罠。それが本当に価値のあるモノならば、比較する何かを持たなくても、自らの存在だけで周りに提供できる何かを持っているはずだからねぇ。ま、その「以前のモノ」が論外なマイナスを持っているという例外もあるだろうけど、そもそもそんなに論外だったら前任者として君臨もしていないはずだし。
……いや、Webに新しい概念を色々持ち込んでくれるのはいいんだけどさ、所詮評価は「それが何をしてくれるのか」であって、「何を駆逐してくれるのか」でわないのですよ。そうでない喧伝は安っぽく見えるだけ。
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/04/17)
1分で出来たインスタントかっこいい人
なる人がカコイイと思われるのは僅かな間であるか、あるいはカコワルイ人々からしかカコイイと言われない気がする、とマジレスしてみる。
さておき、『かっこいい』は主観的な言葉だから人それぞれ、と言っちゃあ話が終わってしまうので:)、俺の場合を考えてみよう。まぁ端的に言ってしまえば、自分の価値基準に照らして、「共感」のレベルにまで達したモノは何であれカコイイ。生き様であれ、趣味であれ、アイテムであれ。どーすれば共感できるかと言えば、俺の場合それはやっぱり「何かに打ち込んでいる」とか、「(相手)自身の価値基準に照らして堂々と胸を張っている」って線になるのだろう。それがどんな方面であれ、それなりの気合を入れている人やモノはカコイイし、どんな趣味であれそれに自信を持っている人はやっぱりカコイイ。容姿のカコイイも実はこれに当てはまって、やはり容姿の格好よさってのはそれなりの努力(メンテ&サーベイ、まぁ本人は意識しないでやってるかもしれんし天性もあるが)で成り立っていると思うので。それは「粋」という俺の大好きな概念と近似しているのかも。
価値観の狭い人には、通じる格好よさも狭くなるのは確かだと思う。価値観の狭さというよりは、幅広い価値観の受け入れ度合いというべきか。俺なんかは例え本当の意味では理解できないエリアであっても(ライフスタイルだとか趣味だとか研究だとか)、その打ち込み方に惚れればやっぱりかっこいいと思ってしまう──自分も妙な趣味をいくつか持っているだけに。
要は、かっこよくあれ、というのは「人に誇れる一面を持て」と同義なのだと思う。表装の繕いなんて大抵はやがて見抜けてしまうし、それをカコイイという人間は何処と無くカコワルイ。不粋。……と同時に、そんなカコワルイ人々の雑音を黙殺して邁進できる根性と自信、というのはやっぱり真の格好よさに繋がっていくのだと思いますな。こうして一段落目に話が戻るわけである:)
ま、言葉遊びの類ではありますがな。
キハチ無国籍を見つけたのでふらりと入ってみた。
とにかく仕事から精神的に疲れていて、サーヴィスの悪い店に入りたくなかった、というのが根底に。……まぁその際の「サービスの良さ」って、別にラーメン屋とかでもいいんだけどね。あのサッパリさというか、それでいて(いい店は)客を大事にしてくれる態度は、実は立派なレベルの「ホスピタリティ」でしょう。……ま、今日は「河岸を変えずにマターリできる」という第二要素があったのでキハチの方に。
メシも旨かったし、スパークリング系のカクテル揃えは結構面白くてよかった。だがそれ以上に、価格帯以上のサービス・クオリティという、同店イタリアンで感じた印象をそのままに味わえたのが何より嬉し。メニューの出し方から酒の勧め方、皿の下げ方に至るまで、引っかかることなく滑るようにサービング──料理を出す、の意だけでなく、尽くす、の意を込めて──してもらえたので。良いサービスというのは、逆にいえば心をそちらに留めなくて良いということでもあり、メシと寛ぎを何ら邪魔されること無く、気持ちよく過ごせたのでありました。
……柱向こうの卓で、宴会場と勘違いしたかのよーに類人猿手叩き馬鹿笑いを繰り返すアフォ男女集団がまぁ興醒めではありんしたが:p ゴルァするレベルには辛うじて至らなかったのでまぁヨシ。
Summary="染み入るのは人の温かさ。" Physical:92 (2003/04/18)
奇縁とはよく言ったもの、あの日々から10ヶ月以上の月日が過ぎて、ふと「ひよこ家」なる店を再訪する機会がやってきたのでありました:) いや、単に知人の誕生日祝いに招かれたというだけでありますが。
ひよこ家といえば、先にも書いた「人的ハブ」たるぶどう氏を始め、如星としての顔で色んな人との出会いを演出してくれた店であります。まぁその後諸々の事情で足が遠のいていましたが、久しぶりに引き出してきた「ひよこカード」に奇妙なまでの懐かしさを感じたとき、出席を決めたのでありました。
末広町のセガフレード辺りで予約時間までの間を調節して、やがて大東銀行の角を曲がる──うーん、懐かしい。人間どんなモノにでもノスタルジーを感じられるという良い証左でありましょう:)
……ちなみに店は全然変わってませんでした。メイドさんはみな顔ぶれが変わっていたのが(分かってたけど)ちょっと残念だったのと、壁に掛かった色紙の数が増えてたことぐらいですかねぇ。カウンター洗い場前のポジションを確保して、スツールを軽く斜めに傾け、10ヶ月ぶりに呑む「ひよこサワー」。なかなかに可愛い中のメイドさんと雑談などし、すなわち「ごく普通に」ひよこ家での呑み会は過ぎてゆくのでありました。
土曜の夜だから当然といえば当然だけど店はほぼ満席。その意味じゃ、なんだかんだ言ってこの店の運営意図はなかなかに当たっているのかもしれませぬな。
弁が立ち過ぎるから怪しいと言われましても、これが私の素ですからねぇ。それは弁が立つのではなくて、素直に日頃から練っている考えをそのまま口にしているだけなのですよ。だからこそ淀みも戸惑いもない。もちろん、日頃から各々のネタに関して掘り下げておく、ってのはある意味特性かもしれませんけど。それにしたって、私は逆に掘り下げずに生きていくことが出来ないだけなので、本質的には特筆すべきことでもなんでもないのでありますよ。
ま、こりゃ相手とは平行線だと悟れば、少なくとも酷い感情論をぶつけて来ない限り、こっちも無駄に押すような真似はしませんが。第一相手の論理を一切認めず、お互いの妥協点を見出す行為を放棄するってコトは、相手が「納得した振りをして対応を地下に潜らせる」とゆー、実に対応の面倒な戦術を取ってくるだけな気がするのですがね。
さて。まぁこのまま何もしないってのも一興ですが。
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/04/19)
「探しものは、いつだって自分の足元にある。」
「その存在に決して気づいていないわけではない、むしろ大切だとすら思っているけれど、それこそが自分の願って止まないモノだとは、認識せぬままに。やがて気づいたときには、それは既に自分の手の中から飛び去っているかもしれない。だけど、それでももし気づけたのなら、せいぜい気合を入れて、女神の細くて僅かな後ろ髪へと手を伸ばそう」
……いや、とあるモノを読んでいて浮かんだネタです:) 思いつきが消えないうちに急いで手近な紙に端折り書き。だって上の文章、「エクストラ」の隣人、「アンリミ」の幼馴染の話と重なるモノがないでしょーか。プロットがあるのにテーマが無い、というダメダメな状態で進んでいたマブラヴ短編に、これでよーやく背骨を込めてやる事ができるかもしれません。フフリ。
馴染みにさせていただいている「Cafe Serie」と「Bar STONEfree」の「飲み放題」の日である。「飲み屋の安酒」とは無縁のこの店では信じ難い話だけど、ここのマスター、パティシエさん、そして常連さんの誕生日祝いを兼ねた「お客様感謝日」ってコトらしい:) もちろんありがたくお邪魔させてもらう。
ぶどうさんと話を合わせて、「Serie風」に見えるよう緑を多めにと注文したフラワーアレンジを誕生日プレゼントに持参。先日の某雛家辺りでやれば目立つのだろうけど(w)、結局行ってみればここのお客さんは皆同じようなことを考えてくるよーで、何気ない話ではあるけど、ここの店や常連さんの「粋」が垣間見えた具合である。
まぁなんというか、店で時折見かける顔ぶれが三々五々集まってくるのだけど、同人系の付き合いとはまた違った、濃ゆい人々の集合である。しかし中には夏冬の有明当選に願いを掛けている人や、西の上で着飾る人(コスちうより服飾だが)等々がいたのはご愛嬌:) ま、良くも悪くも「独特の個性」を持つような人が好む店ではあるので、さほど意外ではないのだけど……ねぇ。
ちなみに店では見事なクロカンブッシュ(シューを飴で固めた巨大ケーキ)がお出迎え。如星が日頃絶賛しているあのパティシエさんの力作である。そいつを横目で眺めながら、酒はペースを抑え気味に、先を長く呑む構えで……途中から早くも甘味に手を出してしまったりもするのだけど。
お祭り状態のSerieから一度河岸を変え、値段上Serie以上に「ありえねー」飲み放題チケットを握り締めてStonefreeへ。ああいう騒ぎもいいけど、物静かなStoneはさしずめパーティー会場のテラス風。ホッと一息ついて、早速ドリンクを注文する。……流石に「規格外の酒がありますんで」と最初に伝えられる(^^;; そりゃ一杯の値段が青天井だから当然っすな。そんなわけで「規格内で飲めるアイラないすか」と聞いてみたのだが……全部規格外だったらしい。そういえばこの店で値段を聞いてアイラ飲んだことなかったので知らなかったよ(ぇ)。が、「如星さんとぶどうさん(仮称w)ならいいっすよ、コソーリと」と言われ、無事アードベッグの17年モノにありつく事ができたのでありましたヽ(´∀`)ノ
Serieに戻ると、パティシエさんの昔の同僚さんがケーキを焼いて持ってきている。その時点で既に如星は飲みすぎでヘロヘロで、ソファーに半ばふんぞり返る形でへばってたのだけど……そのイチゴとチョコのケーキを一口食った瞬間に、文字通り跳ね起きた。いやマジで。丁寧な作りが感じられる、旨さはここのデザートと良い勝負の逸品。当然その「前の職場」なる場所が気になって聞いてみたのだけど……そのレシピの起源まで聞いてみて、今まで食い続けてきた旨さに納得。いわゆる一流店やホテルで食えるレシピが、Serieで食えてしまうのだから……。ちなみに前の職場とは横浜シェラトン。今まで知らなかったけど甘味のレベルは高いらしい。そのパティシエは元々タイユバン・ロブションのヒトだったとゆーのだから……( Д ) ゜ ゜
もちろん、Serieの価格帯では材料等で太刀打ちできない。しかし彼女曰く、「その代わり、大量に作らざるを得ないそれらの店と違い、この店の規模なら作り立てを出すことができる」、と。やはりケーキにせよデザートにせよ、作った瞬間から劣化していくものなのだから。それにパティシエというのは普通、お客さんと触れ合うことは滅多に無い。例えオープン式の厨房を持つレストランにしたって、パティシエの仕事は奥まった場所で為される事がほとんどで、自分の作品を食う客との接点は一枚の伝票のみ。それが、この場所でならカウンターの目の前で、にやけまくる俺の顔を見られるというわけである。
作りたての甘味を、喜ばれる顔をその場で見られる相手に提供する。……そう語ったパティシエ氏に、俺はこの店の底力を見た気がした。彼女に限らず、マスターも、料理長も、Stonefreeのバーテン氏も、恐ろしく高いレベルの各々の力量を、本当に「我々をもてなす」という一心で注ぎ込んできてくれている気がするのだ。もちろん、と同時に、SerieやStoneが彼等「職人」にとって、自分が本当にやりたい事に腕を振るえる場所であることも加味されているのだろうが。
都内でそれなりの金を出せば、それなりに旨い物は食える。でもこの店を知って以来、都内で同じ値段を出すくらいならSerieの方がいいや、と思う自分たちがいる。横浜で気楽だってのもあるけれど、この店では本当にそれだけのレベルのモノに出会えるし、今日その事情の一部を垣間見て、日頃感じていた職人のホスピタリティを改めて再認識したのでありました。
願わくば、我々のほうこそ、今後ともご贔屓に:)
Summary="心の底から、ご満悦。" Physical:88 (2003/04/20)