MACHINA EX DEO
如星的茶葉暮らし
【2002-10-11-金】
◆
そろそろ日記内に「雑文系」の個所が溜まってきたので、ここらで「一応コラム群」に引抜き、独立した読み物になるよう加筆修正をガサッとやってしまいたい気分。……最近メインコンテンツの小説が書き悩んでるので、その代わりに……などという後ろ暗い面もあったりして(w
問題は気分を行動に結びつけるのはいつも困難だってことで……
◆
近視矯正手術、一週間後
術後定期検診終了〜。
現在の視力:
左1.5/右1.2(前L0.03/R0.02)
1.5キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!!!
もう今現在視力が普通にある人にはいい加減鬱陶しいネタになりつつありますが、まぁひとつ。
如星は
左右不同視で、右が弱いままで
(あまり強いレンズをすると目が疲れてしまうので)来たために、今まで
立体感というものが失われていたのですよ。
それが急に鮮明な視野を得て、おまけにモノがきちんと立体的に見える。この感覚、何かに似てると思ったら、立体視の写真を見たときの透明感なんですね。あの左右少しずつずれている写真を立体視することで、写真が立体に見えるアレです。経験のある方はわかると思うんですが、特に水面の写真などを立体視すると、透明感としか形容の仕様のない視点が得られます。
で、実際に今風景を眺めると、奥にある建物と自分の目の間に、透明な「空気」が存在しているのが感覚として伝わってくるんです。今まではある種「不完全な三次元」、一枚絵の写真を見ているようなもので、奥行きはかろうじて分かっても、その奥行きで生まれた空間に「何か透明なモノ」があるなんてことまでは感覚としてつかめない。てなわけで、この新しい目で得られた視界を一言で形容するなら、
「透明感が増した」という具合なのでした。
……ああ、物書きの癖に描写が稚拙だのぅ。
これで見ているものの何パーセントが伝わるモノやら……
(泣)
◆
夕食まで人を待つ間、
Cafe Serieでマターリ。
甘めのシェリーと鴨ハムで週末を祝いながら、カコカコと日記書き。ああ、この情景を「マターリ」以外のどの言葉で形容すればよいのやら
(^^;; 少し身体が冷えたので、何か暖まるモノないすかねぇ?と聞いたら、出てきたのがホットラムでした。バターを浮かべて、砂糖を入れて、確かに温まるねぇ……。
食前、人待ちの時間の過ごし方としちゃ上等上等。
晩飯代と同じぐらい金掛かったのはまぁご愛嬌……
(;´Д`)\
◆
RO初
イベント体験。
ああ、俺も遂にこういうモノを日記に上げる人になってしまったか
(苦笑)
アーチャー整列してただけが、いつの間にか前に女性を並べて合コン状態に……アドホックな繋がりちう意味では楽しめたし笑えたし、参戦2日目にして面白いもん味合わせてもらいました
(^^;;
しかし俺はオンラインRPG初めてなんだけど、こうして体験してみて、ふと「これは日本でTRPG廃れるワケだなぁ」とも思ったり。チャット・仕草・行動を表現できるだけで、あとはこんな風にアドホックにコミュニティ
(もどき)を生成し、「なりきり遊び」であればオンラインで実現できてしまう。なりきり
茶の延長線上とはいえ、没入感は格段に上だと思う。
で、残念ながら日本のTPRGコミュニティは、ゲームとしてのTRPGプレイよりも
「なりきり遊び」を重視する、あるいはそれこそがTRPGであると混同して進めてきた人が多かったらしく
(日本にいなかった自分にとってはあくまで各所コラム等の雑感だけど)、そういう人口はこんな「マスターもいらないお手軽な」プレイが楽しめるんであれば、ごっそり移行しちゃうだろうなぁ、と思ったわけでありますよ。
まったく、道理で前回夏コミ、TPRGスペースは同じ「電源不要・オンライン
(なんと矛盾したジャンル名だ)」内のネトゲRPGに見事に押されて、
僅か半年でスペース数が半分になってたのもうなずけてしまうというモノだ。ああ合掌。
# ちなみにあの場でネトゲ初心者にも関わらず、ふと思い立って「告白して玉砕」を演じ、ちょいと場のウケを取りにいけたのは、TRPG時代のアドリブ精神で鍛えられていたからなのだろうか(ぉ)。 「ぽつんと離れて座っている貴方が素敵です」のアホ台詞にキッチリと「私より弱い人はちょっと…」とツッコンでくれたその方の功績に寄る所も大きいが:)
【2002-10-12-土】
◆
茜ネタが……浮かばん……あああと8日! もう無理ぽ!
(ぽゆーな)
もちろん「ネタが浮かばない」というのは
唯の言い訳に過ぎません。
ちょっとした発想、小さなイメージを少しずつ膨らませ、起承転結の「起と結」だけでも捻り出し、ストーリーを組み立てていく
──この作業は真っ白な原稿用紙
(もちろんテキストエディタだけど)に落ち着いて向かい合い、ラフスケッチのように着想を書き付けながら、思考を回転させ続けるという時間が不可欠なのです。少なくとも僕にとって二次創作小説ってのは、風呂の中で叫んで裸で駆け出せばシナリオが書ける、というモノではないのですな。
つまり、真面目に原稿に向かう時間を作っていないというだけなのですな。ああだめぽ。
(ぽゆーな)
◆
Apres-midi GranCru@渋谷に行ってみた。
一階上のカフェ・アプレミディよりも真っ当な「メシ」が食えるけど、レストランほど肩肘張らない中間点のような店。個人的には最近サービスクオリティが下がってきたと言われる
(俺自身は下がる前自体を知らないのだ(ぉ)上のフロアよりも、落ち着いて寛げる感じ。好印象。
カウンター席が空いていたのでそこへ。
既に食後だったので、前菜とパスタだけ頼み、マターリとシェリーなど。連れとしていたアフォな酒趣味の話が聞こえていたのか、カウンター内のマスター
(?)が「こんな酒も置いてるんですよ」といろいろとボトルを見せてくる
(^^;; 一見さんにもそういうネタを振ってくれる感じは気楽でいいね。そこで見せられたモエ・エ・シャンドンの
マールなんて代物にグッと惹かれ、食後酒には迷わずソレを頼んでみたり。こういう感覚が
(・∀・)イイ!
しかし、まぁ残念な個所も幾つか。
全体として、サービスクオリティを「あと半歩」進めるだけで、完全な快適さを得られる店になるだろうに、と思うことしばし。単純なことだけど、例えばトイレ行ったらペーパータオルを捨てるゴミ箱が溢れてたり、そういうことで
(なまじいいクオリティのサービスを提供しているだけに)興ざめしてしまうのだよね。
あとこれは完全に店員の責任ではないのだけど、昨日は
激しくドキュソな客がカウンター隣に来て萎え。会話内容からして、放送関係者かクラブオーナー辺りだと思うんだが……。
激しく秋葉ヲタファッションなのはまぁ許そう。何度も携帯を鳴らしまくり、堂々とカウンターで打ち合わせ電話らしきモノを喋り倒す。おまけに声もでかくて耳障り。
一応平穏主義者なので(ぉ)一通り会話が終わればと黙っていたけれど……。奴の席にパスタが到着した時点で限界点。いやぁ、巨大な音を立てて啜りやがるんです。「ズルズル…キュポン!」と吸引音まで立ててるんです。もうね、馬鹿かとアホかと
(以下略)。
興が削げることこの上ないので、仕方なくテーブル席へ移動。
しかしなぁ、普通あそこまでやる客は
店員が一言言うべきではないのかね? しかもどうやらその客は「内輪の客」
(店の知り合い?)のようで……萎えるなぁ。もちろん店のことを考える非常に心優しき客である俺は、移動後店員を捕まえて「何なのあのカウンターの客?」と不快感を伝えておきましたが
(・∀・)
ま、サービスは受け手を選ぶ、の最たる例でしたなぁ。
移動後は落ち着いて寛げたのでまぁヨイとして。結論として、再訪の価値はあれど、上のアプレミディのクオリティダウンも鑑みるに、どこか「忘れてきている」モノがあるんじゃないかと。……まぁ総合ポイントはかなり高く、肩肘張ってないのに、上級なレストランかホテルダイニングにでもいるかのような、自然なサービスを「求め、受け」やすい雰囲気は秀逸。それだけに、実に惜しい店なのでした。
モエのマールはグラッパ系の「ぶどうの種のような」香りが強いのに、飲むとあのグラッパの刺すような感じがほとんどない。非常に飲み口の丸い旨い酒でした。これだけのために再訪してもいいか
(ぉ)
【2002-10-13-日】
◆
久しぶりに鎌倉。
……と思ったら、横須賀線内にジャケットを忘れて横須賀まで取りに行く羽目に
(泣) つい先日地下鉄にやったばかりだとゆーのにね
(;´Д`)
ミルクホール→八幡宮→小町通→納言志るこ、の定番ルートを久方ぶりに。
しかしミルクホールのハヤシライス、ハヤシ部分が少ないなぁ
(^^;; 味も結構普通だし。ま、ここの店は空気を楽しむ所なので構わないんだけどね。いつかキチンと夜に来てバーカウンターに座ってみたいモンである。
小町通に「緑茶カフェ」なんつースタンドがあったので、喉の渇きもあり抹茶を頼む。メニューは「アイス抹茶」だの「抹茶アメリカン
(薄めてあるのか?)」や「抹茶ミルク」だの豊富だが、ただ一言「抹茶を」と頼んだら「抹茶ミルク?」と聞き返されたぞ
;) そんなに若いモンが頼むのは珍しかったのか。しかも俺の二言目は「ええ、抹茶。濃い目に」だからねぇ。今抹茶を出す店も、客層に配慮して妙に薄く出す店が多いわけだから。これまた「濃い目ね、大丈夫なの?」と聞き返され「激しく濃い目に」と会話が進むのでありました。
立ち飲みで、しかしキチンとした茶碗でぐい飲みする抹茶は最高。
江ノ電で日没直後の水平線と月を眺めに行き、そのまま藤沢に出て晩飯。
藤沢に出るなんて学生時代以来……その頃食べに行ったパスタ屋を再訪するってのは面白いもんだ。ホント、学生ってのは安くて旨い飯屋を探すアビリティに長けているとしか思えんな
(^^;;
つながる記憶。
【2002-10-14-月】
◆
二面性、とは人の性格についてよく言われる言葉である。
まぁ人格なんて普通二面どころじゃないぐらい多面性を持ったシロモノだと思うけど、他者に容易に見える面の中で、傍目には相反して見える要素が認識できるってのは面白いモンだからだろう。それは良い性格と悪い性格を併せ持つ話であったり、繊細と大胆のような不思議な取り合わせの話であったり、あるいは一見性格に合わなさそうな趣味の話だったりする。
しかし、時折その「相反して見える二面」が、その境目がシームレスに繋がっている人がいて面白い。「調和性」とでも呼べばいいのか、バラバラに見たら同一人物に収まっているとは想像されない性格や趣味が、その人の中で綺麗に繋がっている状態。そんな人を、俺は「魅力的な性格」と呼ぶのだと思う。……きっと本人の中では何の問題もなく一貫性が取れてるんだろうと想像するとさらに楽しい。
一般に変人に多い傾向ってことはこの際忘れよう(w
【2002-10-15-火】
◆
恐ろしく
亀レス気味なコメント:
…というよりはまずは素朴な疑問なんですが、自分が「〜大学の人間である」と思い込まないと研究が進まなかったり、周りの人間と違和感を覚えたりするんでしょーか、やっぱり。私はまったくそういうことを考えずに学生やってたので、本当に分からないのですが。そして同様に、現在自分が弊社の人間であると思ってますけど、それは自分が弊社に勤めているという以上の意味合いは大して持ってないんですがねぇ。
自己を所属集団に拠らずに確立する話と、組織への帰属意識やコミットメントの話はそれぞれ別物だと思うのです。特に「組織の一員」という肩書きを対価に組織にコミットメントをしているケースが過半という訳でもない、という観察知と経験則しか根拠がないのでアレですが。いずれにせよ、組織が与えてくれるモノ
(金、チャンス、裁量権、etc.)が理想量だからその組織で活動しているというだけの人もいるでしょうし、その結果として所属集団にそれなりの愛着があって貢献しようと思う人もいるでしょう。「組織が自己を確立してくれるから」という集団定義依存症の人もいるでしょうけど、そうでなければならないという道理もなければ、そうでないと違和感を感じるということもとりあえずないですね。
……まぁそもそも周りを見渡しても、
「この会社で頑張る!と目をキラキラさせた同僚」
というのがサッパリ見当たらないというのが現状だったりするんですが
(苦笑)、これは「イマドキのワカモノ」という言葉で括ってしまって良いかはわかりませぬ。ただ現実として、別に愛社精神
(これ自体死語に近いな)なんてものを持ち合わせていないと仕事ができないってこたぁないし、同僚は「同じ職場で働く同僚」であって「同じ〜社で働く同僚」ではないのデスよ。少なくとも私にとっては。
まぁ「仕事にやり甲斐は欲しいが生き甲斐にはできない」と公言してる人間の言葉なんで、説得力には欠けますけどね
:)
最後にチャチャ:院生が就職したくない理由は院生の数だけ存在するという経験則が以下略。
【2002-10-16-水】
◆
先日から職場が変わって、新宿やら大手町の間を行ったり来たり。
今日は皇居ド真ん前、大手門のすぐそばにいたので、昼休みにふと思い立って
皇居東御苑なぞに足を向けてみる。日本人を二十数年やってて皇居敷地内に足を踏み入れるのは初めてだ
:) 無料で散策できるってコトすら知らなかった罠。
堀と木々を隔てただけで、大手町の車の喧騒が驚くほど静かに遠ざかる。あまりに緑が色濃くて、自分が帝都の中心部にいるなんて信じられないね。時間の都合で奥までは行けなかったけど、結構オフィス街住人が昼休みをここで過ごしてるんですな。時々混じるおのぼりさんと共に東屋でぼんやりと。
この御苑、さすがに皇居内でもあって「普通に公園のように開かれている」ってわけではないけれど、ビル群に囲まれた、気楽に入れる巨大な緑の敷地って点ではNYCのセントラル・パークを思い出させる。この皇居に限らず、都心部には普通思っているよりもずっと緑が多い。半端な都心周縁部よりもよっぽど「自然公園的昼休み」を楽しめてしまうモノなのね。
大手門を出てくると、東京消防庁音楽隊が「ビルの谷間コンサート」なんてのをやっていた。久しぶりのブラスバンドに耳を傾けながら、ウウム、東京都心というのは中々文化的にも侮れぬのぅ、などと呟く秋の午後。
◆
徒然思うに、
お茶の趣味と酒の趣味ってやはり並立するんだろうか。
なお「お茶の趣味」とは茶道のことではなく紅茶や中国茶等々幅広く手を出して楽しむこと。「酒の趣味」とは大酒呑みではなく幅広く手を出して楽しむこと。いずれも同じ茶/アルコールでありながら、良くぞこれほどまでバリエーションに富んでいるといつもながら感心する。双方とも幅広く手を出すところや、一言でその趣味を表す言葉がないところも
(苦笑)似ているね。
# これを「ヤン・ウェンリーの法則」とでも名づけたい気もするが、思えばヤンは一定レベルの紅茶と琥珀色の酒が供給されていれば満足していたのでこれはチト問題かもしれにゅ。
茶屋やバーに行き、飲んでも飲んでも自分の知らないモノが次々と出てくるのを見ていると、こりゃ当分死ねないのぅ、などと思うのでありました。
ケーブルグラムを傾けながら。
今日の収穫@STONEfree:
- Cinzano Antica Formula
- 以前も飲んだヤツを再訪。コイツを仕入れたバーテンさんがいたので話を聞いたのだけど、これがかなり入手困難な酒らしい。以前Premierで飲んだ「Carpano」のAntica Formulaも、イタリアン・ヴェルモットの中では幻と呼ばれているらしいが、そのくせ注文すればすぐに手に入るそうな(^^;;
Cinzanoは安く手に入るヴェルモットとして日本でも多く流通しているけど、要するにそこが本気で少量作っている代物。作っていることすらあまり知られていない酒のようで、Carpanoの方はぐぐる様に聞けばすぐに出てくるけど、こっちはほとんど無し。実際注文から入手まで実に一年半掛かったとか。
「この価値をわかってくれない人には無闇に出さないようにしてるんですよ」との言葉に、こっちも客としてある程度認められたかとなかなか嬉しいものが。
2002.10.21追記:
このCinzano、現在は生産してないそうな……(T^T) 今度から見つけたら必ず飲んどこ。
【2002-10-17-木】
◆
茜誕生日記念短編小説
今回はダメかも……
( ´・ω・`) ショボーン
今回根本的な問題として「書く気そのものが起きない」という論外な心理を抱えているのが致命傷なんですよね……。別に凹んでるというわけでもないんですが、執筆をする気になれないというか。
先日書いたように、がっつり原稿に向かわないといけないんですが、その根性がどーにも出ないヘタレさんなのです。最近。
根本的に如星は移り気なので、そろそろ君望に醒めてきたんじゃ……なんて想像はしたくないモンであります。でも正直「君望の次」は未だに見えないし。せっかく「モノを書く」という趣味が根付いてきたトコロなので、書く対象へのモチベーションはなるべく維持したいなぁ。
◆
ifさんの日記を読んでいて、
全然本質じゃないところでふと亀々に雑想。
昔の恋人というのは、必要以上に悪く言われがちである。それはつまり、「今の恋人」が「昔の恋人」に変わる過渡期というのが何かと修羅場的シチュエーションが多く、最後に嫌な記憶ばかり焼き付いてしまうので、それ以前の蜜月期の記憶を覆い隠してしまうからなのだろう。
if→itself diaryism 0:36 02/10/15【上書き保存】
しかし自分の過去を振り返ってみると、昔の恋人にそんな悪く言う点はないんだよなぁ。記憶によれば、過渡期にはだいぶ醜い修羅場を演じてきたはずなのに
(ぉ)、である。今でも時折「こういう魅力のある人たちだった」と他人に話すこともしばしば。
自分が「以前の蜜月期」を普通に思い出し評価してしまうのは、自分にとって「過去」のある一点は、別に「今」の自分のために存在していた訳ではない、と常日頃思っているからかも。反進歩史観的とまでは言わないけど、その瞬間瞬間の自分の行動は、その時自分が一番したかったことであり、その時の自分にとって価値のあるものだったわけで、その「過去」の事実が例え「今」の事象に影響を与えているとしても、
(余程直接的でなければ)その事象の価値はもはや独立して動かせぬモノだ、といった具合に。だからこそ、過去の事象を「当時の価値」で評価できるのかな。
ま、単純に言えば、嫌な記憶は嫌な記憶として焼きついてはいるけれど、別にそれが過去の楽しかった時間を否定するわけでもない。昔の恋人を悪く言うなんて、そりゃ自分も等しく悪かったか、自分が騙され続けていた程度の阿呆だと言ってるようなモンでもあるし
:)
……しかしふと、そうまで割り切って評価できてしまうと言うのは、裏を返せば完全に記憶のストック化しているというコトでもあり、それはそれで昔の恋人の人間性に対する侮辱なんじゃないかとも思えてきたな。まぁ「振られる」形で別れた事のない人間の戯言かもしれませぬが。
【2002-10-18-金】
◆
書くまでもない、文章から読み取れる明白な事実ではあるかと思いますが、一応。
当日記・如星的茶葉暮らしは、物書きサイト・神慮の機械の日記ページとして存在しておりますが、物書きが書いているからといって
真似のできる正しい日本語が書かれている等とは夢思わぬように(ぉ)。
奇妙な造語や、名詞化できない用言を列記用名詞として使ったり、まぁやりたい放題でございます。いみじくもかの宮崎駿氏も自らの趣味的出版「雑想ノート」で書かれているように、この日記に
(本に)資料的価値は一切ありません
:)
◆
Happy Birthday for 某メイド長様@ROによくいるらしい
(謎)。
かねてからの予定で
Cafe SERIEにてささやかなパーティーを。
2Fに席を取り、相当顔馴染になった料理長殿の「おまかせ」という予約でぶどう氏が押さえておりました。何はともあれ、ハッピー・バースディ
:)
実は2階ラウンジにあがるのは初めて。土足禁止のフローリングだってことは知ってたけれど、実際に行ってみると「ラウンジ」というよりも「リビングルーム」。まるで誰か仲間内の自宅にあがりこみ、ゆったりとソファーと低いテーブルを囲んで皿を並べている感じ。フローリングの床に映える柔らかな明かりと、革張りの寛げるソファー。食器棚や酒棚に囲まれ、贅沢なまでに広々な空間。……片隅にテレビがあってもおかしくないくらい、リビングのように寛げてしまう空間でした。
ぶどう氏の買ってきた薔薇のアレンジメントを一角に置いて、シャンパンを傾けながらメニューにない料理長オリジナルの皿が次々と。店の空気と旨い飯に酒に囲まれて、時間の感覚が一切無くなるくらいのんびりと夜のひと時を楽しませてもらいました。シメに登場した「バースディ・ケーキ」は、想像される丸い定番誕生日ケーキから遠く懸け離れた、デザート・プレートと呼ぶに相応しい逸品。蝋燭を吹き消した後に各皿に取り分けてもらう辺りはまさにデザートプレートでしたね:)
ともあれ、Serieの二階は少人数で長く時間を過ごすには最適な場所と判明。
……店の方々も、本当に友人の誕生日であるかのようにもてなして頂いたし、文字通り誕生日席のご本人にもなかなかに楽しんでいただけたようで、そのお言葉と笑顔が何よりの返礼ですな
( ̄ー ̄)
◆
祝電入電、「遠方ヨリ友来タル、マタ楽シカラズヤ」。
こんな快挙は年に一度では? あるいは、本日の誕生日にあやかって。
【2002-10-19-土】
◆
諸事雑用。
木曜夜、自宅の駐車場でウチの車の後部座席窓が割られ、中が荒らされますた
(;´Д`)
被害はハイウェイカード数万円分程度と窓だけだったのだけど、どうやら駐車場の車が連続してやられたようで。しかし警報装置程度で退散したらしく、どうせそこらのクソガキの仕業でしょう。手口も綺麗に開けたり静かに割ったりする方法ではなく、バールで力任せに殴った程度らしいし。まぁ
警報装置なぞ積んでなかったウチは見事にやられたことに変わりはないのでつが。
人生で初めて「被害届」を出しにゆく。
まぁ気楽なもんで半ば物書き的取材モード
(ぉぃ)。深夜だったんだけど、例えばこの時間だと住宅地の交番勤務でもアーマージャケット着てるんだなぁ、とか、最近の被害届はさすがにキーボード打ちなのか、とか、結局それを用紙に合わせて印刷するんかい!とか。実際に一度経験しておくと、物書きシーンの「小ネタ」として使えますからね
( ̄ー ̄)
まぁ車修理に出したりなんだり面倒なこった。
◆
アンチョビと黒オリーブのパスタ。
最近「パスタの茹で方」なんてものをキチンと教わったんでその通りに茹でてみると、確かにこれが旨い。今まで適当に湯を張りパスタを突っ込んでたんだけど
(普通そんなモンじゃないすか?)、ささやかな配慮で結構茹であがりが変わるモノなのねぇ……。
パンでは腹が減る。よってパスタは腹に溜まる最速の炭水化物である
:)
◆
ビバップ⇔コナン意見交換会。銃と剣の衝突
(違)
◆
Happy Birthday, 涼宮茜さん。
……でもごめんなさい、誕生日記念短編はまったく書きませんでした……。
君望二次創作作家として大変恥ずべき状態です。嗚呼。茜さんとのインタビューを載せようかと思いましたが、どうやらあきれて帰ってしまったようです
(苦笑)。
以下繰言。
今回は「書きあがらなかった」ではありません。
「書いていない」のです。如星は「誕生日だから書きたいネタ」が浮かばないと書けないタイプで、今回は漠然とした案はいくつか上がってたのですが、最終的に「ネタ」になり得る骨子にまで辿り着けませんでした。
はっきり言えば、
「誕生日だからとりあえずシチュSS〜」とか言えば、いくらでも書けるんです。ちと偉そうに聞こえてしまって恐縮なんすが、実際「ギャルゲーの二次創作SS」というと単発シチュモノがほとんどですから、その辺でお茶を濁す手もあったのですよ。
しかし、私がこのサイトで君望の二次創作を書き始め、また「ギャルゲの二次創作SS」をいくつか読み進めていった結果、
Web上での「二次創作SS」の評判は決して高くない、むしろ
悪いという事実が浮かんできました。ありていに言えば「読む価値がない」と判断されている、ということです。SSを渡り歩いて読むのが好きだという人を除けば、SSは総じてクオリティが低く、シチュのみで起承転結がなく、おまけに原作の空気を無視した「俺キャラ」が溢れている……そんな印象を持たれているらしいのデスよ。
折角何かを書くなら、せめて読まれるモノを
──最近自分の書くものを極力「短編小説」と呼ぶようにしてきたのはこのためです。中身が伴っているか否かは皆様のご判断に委ねるとしても、せめて器だけでも悪印象を持たれずに読んでもらえればなぁ、と。
(もちろん、SSと銘打たれた名作は数多くありますよ! ただ「もったいない」という話をしているだけです)
話が長くなりましたが、そんなこんなで「とりあえず誕生日シチュ」という形で茜さんSSをだすのは止めにしました。君望物書きはあと少しだけ続けていく予定ですんで、気長な目でお待ちいただければ幸いです。
◆
一つだけネタでお茶濁し。
都内某所
(って書いてありますが)で偶然ハケーソした「茜魂」というすさまじい
(ぉ)名前の文化祭です。……剛田よ、お前の御技はここに生きていたぞ
(^^;;
ガイシュツだったらスマソ。