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如星的茶葉暮らし

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酒の一滴は血の一滴。茶の一滴は心の一滴。ネタの一滴は人生の発露。


 

【2008-08-23-土】

映画版スカイ・クロラの素敵な世界と強烈なスポイラー

映画「スカイ・クロラ」、よーやく見てこれた。実に半年振りに劇場に足を運んだ映画だったが、映画鑑賞再開の皮切りとしては上々の滑り出し、実に映画らしい映画で満足。何より、公式サイトすらネタバレなので見るなとの某所の教えを忠実に守り、原作も読まず一切の情報を遮断して行ったおかげで、世界観の端々に到るまで楽しめた。

……いや実際に観賞後に公式サイトも見てみたけど、冒頭のキャッチフレーズ開始一行目でいきなりスポイラーってどんなアホな広報だとしか言い様が無い。映画パンフも開いた一ページ目がいきなりそれで、観劇後最初に開いた時にはたっぷり2分間は大笑いしてしまった(オーバカナルの皆様申し訳ない)。見終えた人間としては笑ってしまうけど、実際これは噂以上にひどいと思うぞ。もう公開終盤になった今、自分がここに書くのは無意味だとは思うけど、それでも未観賞の方には一切の事前情報無しでの突撃を熱烈にお勧めしておく。

というわけで、以下ネタバレ含みます。一目で殺すフレーズは入れてないつもりなので、この段階でタブを閉じていただければOKOK。


映画自体の良さについては、あまり多くは語らない。空戦は美しかったし、物語のトーンには何処かアン・ライスを思わせる息苦しさがあって楽しめた。罪を犯しながら惰性を永く生き、それに疑問をもってしまった個体は藻掻き苦しむ──という在り方はまさにアン・ライスの描くヴァンパイアである。メインストーリーの伏線や展開はある種分かりやすいというか、この種のテーマに親しんでる人間なら心地よく胸を痛めて(?)見ていられるだろう。朽ちゆく者が変わらない証を残さんとするように、永くを生きる者が己の刻んだ時の証として、逆に変わりゆく者を残そうとする──草薙の娘と言う形で最初からそれを提示しておき、もう一人の主役たる函南の結末には「変わらない者」しか残してやらないという対比も実に巧いし。

如星がこの映画で最も秀逸と感じたのは、その世界観の提示手法だ。説明台詞で全てを語ってしまう事無く、それでいて幕開け後から折り目ごとにキチンと舞台の外観を提示してゆき、闇雲に引っ張りまわされる不快感を観客に与えない。キルドレ達の所属が戦争企業だって点もぼんやり見えてくるぐらいで丁度良いし、戦況がリアルタイムでテレビに流れる辺りでアレッと思わせられる。そもそもキルドレって存在自体、誰も彼もがそうなのかという点は直接は説明されず(アニメの見た目では分からないし)、登場人物に比して異様に大きい扉やソファーを描くことで「子供と戦争」という違和感を地味に提示するところからスタートするし。ぼんやりと、だが確実に、しかし最後まで明瞭にはならない──観客の想像力を刺激して、異様な世界への理解度をゆっくりと深めていくやり方は巧いなぁと思うのだ。

だがしかし。公式サイトやパンフはその演出を見事に台無し(スポイル)にする。観劇前でなくとも、観劇後に見たパンフですら、映画の余韻が消えるまでは見なきゃ良かったと後悔させられたぐらいだ。その想像力に任されていた部分が、あっさり三行で明確になってしまうのだから。中継される作戦模様、チラ見えする新聞記事、「平和を認識するための戦争」という台詞──その辺から何となく察するという「楽しみ」を、「完全な平和が実現された世界、ショーとしての戦争」とズバり言ってのけちゃうのは野暮天の極みとしか言いようがない。原作を読んだ人間しかこの映画を見ないとでも思ってるんだろうか……?

背景のみならず、主題に対しても広報情報は結構酷い事をやっている。例えば、キルドレがいきなり「ティーチャー」を「超えるべき父」なんて認識しちゃおかしいのだ。最初は、あるいは自らの存在に疑問を持たない普通のキルドレに取っては、まさにその存在は「教師」、自分たちに「教育=死の規律(デス・ディシプリン)を与える者」でしかない。やがてティーチャーが「オトナの男」と気づいた者にとってのみ、彼はその字面の通り「オトナ」という「このルールを作った側の存在」に一歩深化するが、それでも尚単なる「敵」以上に倒すべき存在とはなり得ない(何故なら、彼らはそのルールに疑問を持って戦う存在ではないからだ)。ここで更に草薙の噂や行動を統合することで初めて、ティーチャーは「目の前の女を食ったかもしれない=倒すべきオトナのオトコ」へと深まってゆく。

つまり、自分たちの存在への疑問が深まる所まで深まり、それに対比する存在として彼を強く強く認識してもなお、それだけでは「父」という彼らが持ち得ない概念には至らない。観客である我々はシナリオがある程度進んだ段階で既に、もやもやとではあるけど、ティーチャーを教師以上の存在、そして「父親」として感じ取り始めることが出来るが、登場人物である彼らはそこから半歩遅れて、ようやく大人という存在を理解しようとし始める存在なのだ。やがて倒すべき大人の男とまで認識が深まり、かつその状態で実際に彼に対峙して初めて、そのキルドレは字幕にすら出ない英語で、たった一度だけ呟くのである──「I'll kill my father(字幕:僕はティーチャーを撃墜する)と。ループを脱し得る突破口を、大人という認識の更に先、ただその一点に見据えて。

……その最期のギリギリまで彼らが到達し得ない認識、映画の肝となる到達点を、いきなり粗筋の最後でバラすな公式サイト。パンフにしても「倒すべき父、ティーチャー」ってどんだけ野暮な「解説」やねん(苦笑)

それとも、これを野暮天と感じるのは一般的ではないんだろうか? 昨今、全ての不明瞭点がクリアになっていないと「作品が完成していない」などと文句をつける観客もいるぐらいだし……。そういやあのマブラヴのアンリミに対しても、「その後人類がどうなったかが描かれていないから作品として未完」なんて感想を見かけたこともあった。今回のスカイ・クロラも、広報側が妙に気でも回してしまったんだろうか……? まさか本当に、原作ファンしか来ないとでも思ったわけではあるまいに。

ともあれ。心地よく息苦しい物語、異様な世界観、抜けるような空の映像、そしてそれらを統合して観客に提供する手法、劇場では押井作品だの何だのと余計な事は考えずに楽しめた(いやガブリエルにオルゴール板は笑ったけどさ)。ちなみに地味な話だが、英語の台詞が自然だったのも好印象だ。大体上にも書いたように、物語の頂点の台詞は英語なのだし。ストーリーラインもちょうど如星の好みにハマっていたので、原作小説に手を出してみてもいいかもしれない。……もーほんと、この映画はスポイラーだけが最大の敵であった。南無。

(2008/08/23)

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【2008-08-24-日】

オルタファンに捧げるSFガイド:ごった煮編

マブラヴ・オルタネイティヴファンに捧げる、元ネタに限らない「オルタを楽しむ上で読んでおいて損の無いSF」ガイド。前回の「クラーク編」はあくまで定番のアーサー・C・クラークしか提示できなかったので、今回はもう少し搦手から狙ってみる。

J.P.ホーガン「量子宇宙干渉機」

楽しみ、というよりはストレートに元ネタに近い。「量子電導脳」のイメージを掴むならコレだ!という作品。純夏のように特定の脳味噌ではなく、それに思考を接続することで、誰でも並行世界の無限の自分自身たちが知る情報から「最適の未来」を予測可能になる量子演算装置が登場する。物語が進むと更にその装置は進化し、他の並行世界の自分自身へと意識を投射できるようになる。まさに武ちゃん状態だ。

ただ、元ネタとしてもSFギミックとしても面白いのだけど、物語としてはホーガンにしては珍しく投げっぱなしジャーマンというか、ホントにそのオチでええんか?という不満が残る作品でもある。東洋をモデルにした少々ご都合主義的なユートピア像に、西欧人ではない我々はちと苦笑するしかなかったり。ま、それでも読んで損の無い作品ではありますけどねん。

J.P.ホーガン「未来の二つの顔」

如星的にはSFアクションの金字塔。オルタファン的には、人間とはまったく異質の知性、この場合は人工知能と人類の全面対決の一つの形を示した作品、と言える。いわゆる「ロボット/コンピュータ/ネットワークの反乱」を描いたモノなのだが、凡百のハリウッド映画が「なんか良く分からないけど知性を獲得した奴らが突然敵意を持って襲ってくる」のに対し、この作品に登場する人工知能はそうした「人間的な敵意」を一切持っていない。むしろ、そうした「敵意」が無いにも関わらず、コンピュータ・ネットワーク知性が結果的に人類と敵対してしまう可能性を「実験」するという小説で、もちろん実験中に本気で敵対されて大アクション(笑)、という作品だ。

彼らがどんどんと人類を「学習」していく様に、オルタファンにはお馴染みのあの恐怖がじっくり味わえる。ただし本質的にクラークにも似たハッピーエンド主義、クラークよりもピュアな技術万歳思考なホーガンだけに、オチは「なんじゃそりゃあ!」と叫びつつも、その強い楽観主義に男の子回路全開の憧れも抱ける、そんな物語が待ってます。オヌヌヌ。

オースン・スコット・カード「エンダーのゲーム」

まごうことなき「BETAの元ネタ」の一つ(雪風のジャムなんかも近いと思うけど)。コミュニケーションが一切成立しない単一昆虫型の異星生命体「バガー」。鋳型から作られたかのような個性のないワラワラ感はまさにBETAである。が、本作とオルタの共通項はそこに留まらない。彼らと全面戦争中真っ只中、指揮官育成学校に放り込まれた一人の少年「エンダー」が、あまりに理不尽な教育課程を経て成長していく──バガーではなく訓練校に、そして社会にさも当然の如く与えられる「理不尽」と、それを通じた少年の成長というストーリーラインはやはりオルタを思わせる。

またエンダーシリーズはこの後も続いていくが、どれも「力ある者は如何に振舞うべき」という哲学を扱っているのもまた、オルタの夕呼先生や武、悠陽の存在と重なるところだ。つまりオルタファンには迷わずお勧め、と言いたいところの作品なのだが……いかんせんこの初作、訳が酷すぎる。二作目の「死者の代弁者」からは流石に訳者が変わっているのだが、初作のコレは直訳だらけ、所々日本語として意味が通らないところすら存在する。そこで挫折してしまう可能性も高いので、手を出される方は十分覚悟しておくように。……嗚呼、海外SFの面白みは訳者で±50%される、というフレーズのマイナス側を見事に体現した一冊だ。

デイヴィッド・ブリン「知性化」シリーズ

ちょっと目先を変えて、人類「以外」の生命体にどのようなモノが存在可能なのか、その想像力の幅を広げてくれるのがこの作品。「スタータイド・ライジング」に始まり「知性化の嵐」三部作に至る、文庫にして10冊を超える超大作だが、何せストーリーは痛快、文章も巧い、それに最高の訳者に恵まれるという幸せもあって、さくさくと読んでいけると思う。

酸素系生物の各勢力間の争いが絶えない銀河にあって、彼らが共有する唯一の真実──知性は決して自然発生せず、先行種族による教化が必要という「常識」、神聖なる「知性化の連鎖」に真っ向挑む「独自知性の獲得を主張する人類」。自らイルカとサルを同志として知性化し、列強の狭間で必死で生き延びようとする人類が見つけてしまった「あるモノ」を、全宇宙が追い回しはじめる──という基本ラインを元に、知性化や生命そのものの進化を扱う冒険活劇だ。

科学的に精緻なSFではなく、どちらかというとスターウォーズ的な「異星人」が勢揃いする作品だが、中には水素系生物、機械系、虚数系等の想像力の限界に挑戦するような連中も登場する。息抜きにというには余りに巨大な作品だけど、エンターテインメントとしてのSFを追い求めるなら是非こいつをお勧めする。

ダン・シモンズ「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」

如星の中で、この作品は「SFの最奥」に位置する。秘儀、奥義と言っても良い。宇宙を統べる人類連邦と「外縁部の蛮族」アウスターの戦争、人類が大きく依存する人類から分離独立したAI集団「テクノコア」との政治を背景に、七人の「巡礼者」がそれぞれの物語を語ることで、センス・オブ・ワンダー、エンターテインメント、そして巨大な抒情詩を同時に編み上げていく名著である。……が、何と言うか、素人にはお勧めしない!という作品の最たるものでもある。

物語の構造自体、群像劇が徐々に巨大な物語を織り上げていく……というタイプのため、ハイペリオンはともすると「難解」と呼ばれてしまう。ここにSF成分がたっぷり追加されることで、SF属性と物語属性の双方を持っていないと挫折してしまう恐れのある作品なのだ。

オルタファンとしては、もう純夏の「日記を読めば絶対」を思わせるレイチェルの記憶エピソードだけで、涙の塩味ご飯三杯は行ける(笑)。また連邦政府CEO「マイナ・グラッドストーン」は、SF史上最強の「リーダー像」ではなかろうか。己に課せられた使命を知り尽くし、人類のために人類自体に巨大な犠牲を強いるその最後の決断は余りに壮絶だ。「敵」の謎が解ける瞬間のカタルシスは非常にオルタの横浜防衛戦辺りに似ており、手に汗握る展開スキーにはたまらない構造だ。ある程度SFに慣れてきた方なら、是非「奥義」として手を出して欲しい。

ちなみに続編の「エンディミオン」もSFとしては面白いんだけど、ハイペリオンの物語をあらかたブチ壊してくれるので素直には勧めがたい。売れたからって想定してなかった続編作っちゃうのはヨクナイコトデスヨー。

番外編:スティーヴン・バクスター「ジーリー・クロニクル」シリーズ

いやー、これを勧めるのは正直どうなのか、という度合いはハイペリオンの比ではない(苦笑)

SFというかファンタジーというか、ハードSFの難解さと壮大なファンタジーの難解さを両方詰め込んである、訓練されたオタクのための一冊であり、オルタのために軽くSFに触ってみようか……という層には断じてお勧めできない一冊だ。

なのに、この作品がこの場所に載っている理由はただ一つ。BETAの創造主の目的はこれに違いないという如星の妄想のためである。ジーリーという超種族に人類他種族が追いつき追い越せを仕掛けつつ、ジーリーには鼻も引っ掛けられない(存在自体認識されてるか怪しい)という基本ストーリーなのだが、その超技術・超勢力を持つジーリーが全存在を賭けて遂行している「ある目的」が存在し、BETAの創造主はその初期段階、まだまだ未熟なジーリーなのではという妄想が止められないのである(笑)。自己増殖型資源回収機械を全宇宙にばら撒く理由はこれしかあるまい……と思っているのだが、果てさて。ここを読んでいる訓練されたSFファンな方には是非ご意見を伺いたいところである。

とりあえず、オルタ縛りでお勧めできるSFということで一揃い並べてみた。元ネタという意味ではそれこそ「宇宙の戦士」なども当然入ってくるのだろうけど、余りに誰もが思いつくモノだろうから敢えて外していたり。また何人か作家を挙げているけど、必ずしも「その作家で一番お勧め」ではない点には留意されたし。この辺の作品を読んでみて「あれ? オルタに関係なくSFって面白くね?」と思ったら、まずはこれらの作家の他作品を追ってみて欲しい:)

(2008/08/24)

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