VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.
同じネタを、同じレベルで語り合ったときの相乗効果は恐ろしい。昨日はそれを痛感させる脳汁イベントを味わってきた。なおタイトルは「Chicago」の台詞から──あの時のヴェルマ・ケリーの如く、必死こいてそれを感じなきゃいけない状況でもあったので。
某所で物書き仕事を(本業外で)受けることになり、昨日はその何度目かの打ち合わせであった。打ち合わせ自体はさっくり終わったのだけど、自分を含めその場にいた四人全員がマブラヴ・オルタネイティヴファン。当然のごとく、オルタネタで打ち合わせ後もひとしきり盛り上がった。
そこで痛感したのが、先の相乗効果。同じフィールドで同じ思考レベルを持つ相手同士が語り合えば、一を二に返し二を四に返しと、倍々ゲームで思考が進むことなんてわかってたはずだけど。最近物書きの領域ではそういう相手に恵まれなかった事も(積極的に乗り出していかなかったことも)あり、久々に物書きの領域で味わう相乗セッションは脳汁出まくりの楽しさであった。なんせ、自分が一年以上塩漬けにしていたTH2オルタのネタをその場で揉む事により、まったく別の視点や着想からどんどん話が膨らみ、一本、いや二本筋の通った物語として新生させられそうな所まで漕ぎ着けたのだ。ただ楽しいだけのセッションでなく、最終出力という「結果」に落とし込めそうなのが嬉しい。継続行動あるのみである。
しかし本来、この体験が久しぶりという事自体、如星自身の手抜きと言わざるを得ない。いや先日「自分の経歴に『人』を持ち出せる強さ」の話でも触れたように、そもそも他者と語り合うことは前進はおろか持続のためすらの必須要件だったはずなのだ。なのに、これが本来の創作、いや創作に限らない物事の深め方だった事を半ば忘れかけていたのは情けないやら何やら。ここ一年、自分が如何に惰性で物を書き続けて来たかがバレてしまったようなものだ。
物書きという面においては、先の面々は皆すでに全力で走り出している。“I can't do it alone”、それを彼らと歌い続けるならば、俺は必死こいて走り出さねばならんのだ。