VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.

如星的茶葉暮らし

■ 03月 ■

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酒の一滴は血の一滴。茶の一滴は心の一滴。ネタの一滴は人生の発露。


 

【2011-03-11-月】

about that day

今これを書いているのはこの日から数ヶ月経ってからの事ですが、それでも曲がりなりにもWeb上に日記を記し続けてきた自分ですから、どんなに遅れても、覚えているうちにこの日のことを書いておく必要があると思うのです。

その時に起きたこと

あの最初の地震が起きた時、自分はオフィスビルの20階にいました。元々免震構造のせいか、以前からちょくちょく発生していた小さい地震でも長く大きく揺れて船酔いのような気分になってたので、まー正直「またか」で始まったのを覚えてます。

で、洒落にならなくなってきた、と。

いやー怖かったですよ。揺れて吸収する方が安全と頭では分かっていても、キャビネなどがガンガン動く揺れ。今でも覚えてる極めつけは窓の外、道を挟んだ反対側の同じようなビルが、自分たちと目に見えて互い違いに揺れてるのを見たとき。オワタ、という台詞がリアルで脳内に湧いたこと、ついに来るべき日(東海沖なり東京直下なり)が来たかと思ったことも克明に覚えてますね。

しかしまぁそれだけで済んでしまったこと、窓の外を見ても異変が無かったこと、また結構重要なポイントだと思うんですが「職場にテレビが無かったこと」から、喉元過ぎればで後はみんな冗談とネタで消化が始まってました。自分も真っ先に心配したのは、その日友人と見に行く予定だった劇場版マクロスFを映画館がちゃんと掛けてくれるのか、そもJRは動いて辿り着けるのかって事でしたね。

とは言え、もしかしたらこれは歩いて帰ることになるかも、余震で急に避難する必要性が出てくるかもという考えは個人的にはあり、とりあえず水分補給と、んでもって便所行っとこうという発想になったわけです。

で、小便を済ませていたら来たわけですよ2発目が!

人間、所詮とっさの時には意味不明な行動を取るもんだなと身を以って知ったのがこの時でしたね。 ……そそくさと仕舞って(笑)、手を洗い、んで自席に駆け戻ったわけです。別に揺れまくってる中で自席に戻ることには何の意味も無い、むしろよく言われるようにトイレってのが落ちてくるものも無く安全ですらあったかもしれないのに。

意識の切り替わり

あの時、不安を紛らわせ情報を収集するツールとして活躍したのがtwitterであったことは間違いないです。情報的に孤立してると精神的に滅入りますし。

が、やはり会話の中心は東京圏の話ばかり、当然ながら(後から思えば)その頃既に東北のインフラは壊滅的打撃を受けていて情報は無く、んでさっきも言ったように特にテレビも見てなかったので例の大津波の中継情報などもない。

何より、閉ざされた会社の建物の中という元のままの秩序が維持された環境にいたことで、今が大震災直後なのだという精神的感覚はほとんど無かったわけです。麻痺というのとも違う、本当に実感が湧いてこない状況でしたね。実は会社からは千葉の爆炎が見えていて、人生で初めて「地平線上に上がる火球」なんてのも目撃してたんですが、所詮は対岸の火事感覚でしかなかったという。

その感覚がまず変わったのはホント馬鹿馬鹿しいぐらい単純なことで、結局徒歩で帰らねばということで会社の建物から出たとき。私は元々自転車で通える程度の距離で通勤していて、たまたまあの日は(それこそ夜に人と映画を見に行くため)自転車に乗ってこなかったことを後悔しつつも、まぁ1時間も歩けば帰れる位置にいました。17時頃、まだ明るいうちに街に出たとき、まずそこに溢れる人々を見て意識が一段階切り替わりました。

……いやもうこれは理屈じゃないんだなと。頭では分かってる当然のことも、目の当たりにするまで意識には入らない、ということ。人が溢れてるなんてJR全面停止、遅くなれば帰り着けないかもという人々が大半の中じゃ当然なのに、それをみて初めて「災害時なのかも」という意識に至る。自分もだいぶ平和ボケしてたもんだと改めて感じた瞬間です。

秋葉方面に近づくに従って道は動かない車で埋まり、電話が徐々に繋がらなくなり、公衆電話が大行列という光景。あの時結構見られた「開いてる店で牛丼かっ込む」ってのは実際かなり正しい対応でしたね。ともあれこれも今から思えば、東北に比べりゃ東京の状況なんて予行練習みたいなモンだったわけですよ。実際本当に東京直下型が起きる前に、こうして帰宅到達性/困難性を各自が身を以って理解できたのはめっけモン以外の何物でもないなと。

帰宅して、ガラスのティーカップが一客散乱してた以外は奇跡的にも居間の被害は無く、一方の自室は本棚自体がひとつ圧し折れて他のものを巻き込み、そこにフィギュア等が散乱して目も当てられない状況でしたが、致命的なところは無く半笑いになる程度。黙々と片付けつつ、もう少し遠方の勤務地から帰宅してくる家人を待ってる状況でした。

結局、本当に「これは本当に大きな震災なのかも」と思え始めたのは、深夜近くなってようやく居間を片付け(自室は翌日まで放置)テレビをつけたとき。東北の惨状やら、twitterで流れ始めてた原発の状態が映像情報で入ってきたときでしたね。ただしこの時に限って言えば、これってネガティブな影響しかなかった気がします。東京に直接の影響はまだ無い状態で、気は滅入るわ、後から思えば食料騒ぎのパニックを誘発するわ、ちなみに我が家は「たまたま米が尽きかけていた」ことで、この意味不明の米騒動に巻き込まれてえらい目に遭いました(苦笑)

もう一つ、緊急時の思考について

この日の話の締めとしてもう一つ、緊急時のちょっとした言葉のすれ違いの好例に自ら出くわした話をしておきます。

この日、もちろん何とか家族の安否を知ろうとメールやら何やら手を尽くしてたわけですが、そこで父親からメールで入ってきた情報は「近くに住んでる祖母は無事、だが母親が携帯を持たずに病院に出ているため行方が分からない」。……いやもういつの時代の人間だよ携帯ぐらい持って出てくれ、と気を揉んだわけですが、これが結局誤報というか誤解だったんですよ。

まず一つ目、ウチの慣習で祖母宅を地名で呼んでおり、時に祖母自身のことも地名で呼んでます(よくある話ですね)。この時の父親のメールも、正確には「××は見てきたが無事、だがお袋が携帯を持たずに出てて行方が知れない」。……つまり、父はずっと「父の母親」つまり祖母のことを言っており、「祖母の家自体は無事だったが本人がいない」って話だったわけです。

もちろん元気とは言え80のばあ様(にして呑み友)な祖母の行方は心配ですが、自分はずっとそれを母親のことだと思って気を揉んでたわけです。後に祖母も駅で公衆電話待ちをした後に連絡があり、全員無事行方が分かって後からの笑い話になったわけですが……。

つまり、こんな風に携帯の輻輳やメール遅延等で情報量自体が少ない状況下では、ちょっとした単語の選択の違いで生まれた誤解が延々残り続けることがあるんだな、と。ささやかながら一種のデマ、誤報が生まれる瞬間と原因を体感して、ちと恐ろしくなったのでした。

以下、翌日(以降)分に続きます。

(2011/03/11)

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【2011-03-22-火】

涼宮遙さんの誕生日、そして10年

本日3月22日は、我が原点たる作品「君が望む永遠」ヒロイン、遙さんの誕生日。

それはつまり、以前からご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私・維如星の誕生日でもある、ということです。……ということを呟いていましたら。

minami_kuri わーーー そうなんですね!おめでとうございます(^-^)素敵なお誕生日になりますように…☆  RT @Luxin 本日は涼宮遙さんの誕生日。つまりは、まーこんな時になんですが、ハッピーバーステー、俺。

2011/3/22 1:31:12 via web in reply to Luxin

……ご本尊からメッセージが! ハイ、今日限りということでちょっと自慢させてくださいw

それにしても、本当にあの君望から今年で10年なんですねぇ……正確には今年の8月ですかね。思えば、如星は発売当初エロゲから遠ざかっていて全然あの一章騒ぎを知らず、11月頃に他人に勧められて事前情報ゼロで一章エンドに突撃して3日間人として使い物にならなくなるほど衝撃を受け(笑)、二次創作活動なんてものを始めるに至ったわけで。

それが更に巡り廻って、今ここに至る。縁ってのは不思議なモンだなと、君望を思い出すたびに考えますよホント。

(2011/03/22)

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