日々思いて溢れるを残すは此れ雑文也。

MACHINA EX DEO

如星的日々の雑文

今日の雑文:短編番外編

番外編「君望の想い出」短編


※注意:この作品は完全版が小説コーナーに公開されています。

ある友の記憶の言葉
維如星

アジア・リム外周区の閑静な一角にあるカフェ「アリアケの月」。
この初期開発エリアには珍しい透明度の高い展望フロアが売りの一つだ。 この時間なら「夜空に残る月」を意味する店名の通り、遙か足元には富士、遙か頭上にはアリスタルコスを収め、塵警報デブリ・アラート太陽風警報フレア・アラートもない晴れた日には、それぞれの銀嶺が太陽の光に煌く様を眺めることが出来る。
その足元をさらに覗き込めば、アジア・リム中央医療施設──聖ハルカ記念病院と言う方が馴染み深い──の壁面を眺めることができたが、これは潜在的高所恐怖症の方々にはお勧めしない。

と、店の扉がチリンと音を立てる。
低重力生活が長いとはいえ、もう百歳は下らないはずの彼は、かっちりとしたスーツに身を包み、淀みない足取りで床を蹴って私の座るテーブルに身体を進めてきた。 私は弾かれたように思わず強く立ち上がり──地球住人はすぐ低重力を忘れてこれをやるのだが──椅子のパイプに足首を絡め、浮き上がりそうになった身体を慌てて引き戻す。

その全てを柔らかな微笑で見つめる老紳士に、私は照れながら右手を差し出した。

「初めまして。 ご連絡させていただいたウェイと申します」

「軌道の辺境までわざわざご苦労でしたな。 私はもうCレベル以上の重力圏には戻れませんのでね」


老紳士と軽く握手を交わすと、私は彼に敬意を表して、貴重な地上産のグリーン・ティーを2つ注文した。 ヤブキタというそのお茶は、今眼下に見える富士の周辺、すなわち彼の故国が産地だからだ。
私のその配慮に、あるいは前調査に感心したのか、彼は「ほぅ」と小さく声を漏らすと、メニューも見ずにウェイターに声を掛けた。

「芋きんつばを。 いつもの紫で頼む」

そして怪訝そうな顔の私を見てニヤリと笑ってみせた。

「緑茶には良く合う代物だよ。 それにこいつは彼女の好物でね。 材料は軌道でも簡単に手に入るバタータだが……それでも和菓子なんぞがこれだけ広まったのは、彼女が行く先々で作らせたからだろうね」


私は無意識に展望窓の下方を見下ろした。 記念病院の壁面から伸びる細い連絡索と、その先の静止軌道に浮かぶ聖ハルカの聖墓が嫌でも目に入ってくる。

彼は私がようやく探し当てた、サンタハルカの俗人時代を知る数少ない人々の一人だった。
「史上初の女性高位聖職者」「宇宙そらの守り手」こと聖ハルカについては、生前からその業績について数多くの本が書かれ、今でも何処の図書館でも教会でも彼女について読むことができる。 だがそれらの本には、一貫して欠落した部分があるのだ。

彼女が事故により昏睡し、以来二十年間ほぼ老いることなく「奇跡の眠り」についていたことを知らぬ者はいない。 だが、その事故以前の彼女の人生や、記録の片隅にある「中途の目覚め」の二週間について語れる者は、当時からほとんどいなかった。 事故に関係したとされる人物のほとんどが、堅く口を閉ざしていたからだ。
おまけに彼女は覚醒以前の話を他人に語ることはなかった。 彼女がシスターとして「国境なき医師団」に身を投じたのも、当初は過去の記憶を捨て去るためだったというくらいだ。 以来その激動かつ多忙な人生の中で、彼女は話をこぼしそうな親しい友人というものを持つこともなかった。

しかし、彼女の没後二十年を記念した全集に、そんな空白を認めるわけにはいかなかった。
かくして私は超過勤務も甚だしく、編集長から借り受けた高位プレスパスでの果てしないネットダイブの末、ようやく当時の「聖ハルカ記念病院」関係者名簿からこの老人の名前を発見し、さらに苦労して現在のアドレスを捜し当てた、というわけだ。

「さて……こんな老人と重力障害者の住むエリアに、若い人がいったい何の御用かな?」

「……そのですね、ハルカ・スズミヤ嬢、、、、、、、、の話を、お聞きしたいのです」


遠くのデブリが一瞬太陽光を強く反射し、遮光フィルタを通してテーブルを眩しく照らす。
彼の浮かべた意外そうな表情が、光に目を細めただけなのか、それとも私があえて使った耳慣れない呼称のせいなのかは分からない。 だが一刻の間の後に彼が浮かべたのは、紛れもない満足げな笑みの表情だった。

「……いいでしょう」


彼は大きく息を吐くと、ゆっくりと目を閉じた。
運ばれてきたグリーン・ティーの香りが緩やかに鼻腔をくすぐる。

「私が知っているのはお嬢さんだった頃の彼女だけだ。 絵本作家を目指していた、あの頃のね。 ……正直、あなた方が聖人さんに求めるような話はないだろうが、それでもいいなら……話して進ぜよう」


再び開かれた彼の目は、遙か下方、富士のある日本列島にゆるやかに注がれていた。

「スズミヤはね、普通の女の子だったんだよ。 本当にね」


──to be continued to: "Old Friend's Memory" 本編
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