VERBA VORANT, SCRIPTA MANENT.
金色の荒野にうっすらと赤みが射してくる。
もう見ることなど無いと思っていた美しい空。
赤い蒼穹とでも呼ぶべき色彩の混ざり合い。
「─────凛」
涙を堪えたその少女に、赤い騎士は一つの遺言を託す。たとえ遠坂がいても、衛宮士郎がエミヤに堕ちる可能性は充分にある。
だがそれでも、オレたちは答えを得られるのだ。
「私を頼む。知っての通り頼りないヤツだからな。───君が、支えてやってくれ」
凛がそれを信じていてくれれば、きっと衛宮もその理想を折らずに歩いていける。それこそが、理想の果てに立つ男が理想の入り口に立つ少年に手向ける、旅立ちへの願いだった。
「うん、わかってる。わたし、頑張るから───」
騎士の最期の笑顔を前に、少女は必死の想いで答える。その願いはきっと叶えると。士郎と歩みを違えることはないと。
「だから、アンタも───」
ああ、オレも、凛も、その続きを知っている。
(今からでも自分を許してやれ、か)
だが、己が道を一片の淀みなく歩いていけたのなら、そこに許すべき自分などいるはずがない。故に、それ以上の言葉は不要。もうここに、許すべき男など存在していないのだ。
凛と、エミヤの、互いの刹那の夢をほんの一時形に変える。
───口づけはささやかに。エミヤと同じ答えを持つ凛の姿に赤い騎士は安堵して、自分を消しゆく世界に身体を委ねた。
「答えは得た。大丈夫だよ遠坂、オレも、これから頑張っていくから」
絶望の奥底に得た確かな答え。それが、この召喚限りの記憶だとしても、それ自体は問題ではない。この妄執に満ちた英霊でも、一度は辿り着いたのだ。ならば、いつかは再び辿り着くこともできるだろう。
今度こそ、この泣き顔を忘れはしないのだから。
一陣の風が吹く。
赤い外套をまとった英雄は姿を消し、
山頂に、既に血塗れた臭いは存在しなかった。
Fate/staynight 短編小説番外編
見上げた空は、思わず文句をつけたくなるほど曇り一つない青だった。
この街の長い冬もようやく終わりを見せ始めた。遮るものない日差しは日陰の冷たさを払うけど、吸い込む空気はまだ冬の心地好さを残している。春の息吹もまだそよ風程度、今日はそんな私好みの天気だった。
陽射しは高く、わたしはお気に入りの赤いコートにこの冬最後の一日を勤めさせた事をちょっぴり後悔しながら、街外れの喫茶店に顔を出した。
コートを椅子の背に引っ掛けて、身軽になったわたしは明るい大きな窓からの光を堪能した。少し暖かすぎる気もしたけれど、この店の内装に灯りという概念はなく、そのテーブルは明確に二つ、光の中の窓際と、影の中の壁際にくっきりと分けられる。
そしてもちろん、暗がりはわたしの好みではないわけだ。
ちなみにこの明暗を生かしたデザインは割と評判がよく、この店、アーネンエルベはその場所柄もあって、待ち合わせにちょくちょく利用されている。
まぁ本来、外で待ち合わせるなんてのは性には合わないのだけど、何せ今回はこちらから誘った話。出迎えに越させるのも悪いし、向こうまで出向くのも仰々しい。そんなワケで、今日はこういう妥協案になったのだ。
店内は混み合っており、空き席はあと一つ。
そこに同じように待ち合わせなのか、一人の青年がゆっくりと腰をおろした。
闇側のその席は、光側のこっちから眺めるには向いてない。その逆、向こうからこっちは随分と良く見えることだろう。
ただ、お互いなんとなく目線を上げれば視界に入る斜角の位置。別に見つめ合うわけじゃないけれど、なんとなく意識の中に相手を留め、わたしたちは偶然にも、お互い待ち時間を読書で潰すことにした。
一瞬、反射光の中に浮かんだ本のタイトルが目を引く。聖杯を意味するラテン語が、赤い服のそいつとちょっと合わない気がしたからかも。
あ、ちなみにラテン語なんてのは魔術師の必修科目なので、念の為。──あれ、じゃあ彼もまさか魔術師なんだろうか?
(今時ラテン語なんて神父でも学生でも習ってるけど……)
うん、きっと魔術師に違いない。それは不思議だけど、確信めいた直感だった。
こんなに席が埋まっているのに、店内は不思議な程静かだった。
──いや、耳を立てればそのざわめきははっきりしてるし、何処かでカップの擦れる音なども聞こえてくる。
ああ、だからこれは静かなのではなく、ただ穏やかなのだ。誰もがテーブルの中で世界を完結させ、ただ同じ場所を共有している想いだけが通路をたゆたう。誰も彼もが待ちぼうけを食い、誰も彼もが自分が独りじゃないことに安堵する。
だから、わたしも穏やかだ。
たとえ、もう一章を読み終わる頃だというのに、あいつが一向に姿を見せなくても。ふふ、まぁ穏やかに彼におごらせることにしときましょう。
やがて、わたしは陽射しの中を駆けてくる忠実な下僕に気がついた。外から見ればほとんど鏡のはずの窓を通して目ざとく私を見つけ、嬉しそうに手を振っている。
(……ばか、手を振る暇があったら呼びに入ってくればいいのに)
ふと目線を横にすると、あの青年も同じように窓の外を眺めている。そこには、寄りによってこの陽射しの中で黒のロングスカートを穿いた、赤いコートの女性が同じく手を振っていた。あ、その、同じくコートで来たわたしに言えたコトじゃないけど。
ともあれ、わたしはあいつにレジ前で待つよう指で指示し、コートを取って席を立つ。見れば、暗がりの青年も同じように席を立っていた。──同じ時に席につき、同じ時に待ち人来たる。何処か連帯意識を感じたのか、そいつがわたしより長く待たずに済んだことが嬉しかった。
この店の扉は二つある。
同じ街には繋がらない東と西の両端の出口。
それは、まるで別れ道のよう。
わたしは西に、彼は東へと歩みを進める。
ふと、店の出口の前で一度だけ振り返る。
と、青年も同じようにこちらを振り返っていた。
がたいのいい、ちょっと気取った浅黒い男。
そいつは私と目が合うと、微かに笑ってうなずいた。違う世界の男だけど、これも何かの縁だろう。わたしも軽く右手を上げて返礼する。わたしたちは違う街への出口に立って、そんな挨拶を交わしていた。
よろしくな、と青年が口にしたように見えたのだが、声はまったく聞こえなかった。
わたしは肩をすくめて応えを返し、店を出る。
外は、全てが吸い込まれてしまいそうな青い空に覆われていた。わたしは夢のような陽射しの中、手を振るあいつにレシートを押し付けるべく歩いてゆく。
──何が、こんなにも胸を締め付けるのか。
わたしは、あの浅黒い青年にも、こんな風に手を振って迎えに来てくれる人がいた事を、柄にもなく神さまに感謝した。
ほんと、魔術師にあるまじき軽率。きっとアーネンエルベが聖堂のようだったから、そんな気紛れを起こしてしまったのだろう。
振り返れば、そこに聖堂などありはしない。
あるのは、ただ楽しかったとだけ言える共有した時間だけ。実際には、そこには何も残らない。
いつか、一緒に空を見た。
背中を預けた信頼と、救えなかった人生と。
その全てが、あいつにとってはその場限りのものだとしても。わたしにとっても、いつかは消える想い出だとしても。
残さなきゃ幸せになれないじゃない、とわたしは言う。けどあいつは、残せば簡単に追いつかれてしまう、なんて台詞を真顔で言うに決まっているのだ。
遠い空、かつて響いた剣の音。
二人が出した答えはいつまでも、
わたしの中に、息づいている。
everything is now far apart,
but here the certain evidence of their precious days
sure does exist...
ぎゃああああ恥ずかしいいいィィィィィィッッッ!(挨拶)
本作品は実に3年前、最初のFate本「Fate/daydream」のエピローグとして収録されたものです。といってもその本固有というわけでもなく、UBW編本編をプレイしていればすんなりと繋がる小話ではあるのですが。
もうこの時は、とにかく自分の手でアーネンエルベを書いてみたかった、というその一点に尽きます。月姫の「月蝕」もそうですが、こういった一瞬の交錯を以って長い物語の環を閉じる、という手法は本当に如星の好みなのです。本作はプロットが空の境界まんまな辺りが未熟というか、本来もう少しFate色に分解・再構成するべきだったのですが、とりあえずそんなエピローグめいた雰囲気が伝わっていれば幸いです。
なお、daydream収録の話はどれもこれも青臭くて正直Web公開をかなり躊躇っています(その後に出した「雪の境界」や「estate dolce」は既にWeb小説化されてる辺りからもお察しください)。が、今年よりオフラインでも再びFate小説に舞い戻ったのを切っ掛けに、少しずつ公開していければなーと開き直り始めておりますので(苦笑)、気長にお待ちくださいませ。