維如星・日々の雑文

MACHINA EX DEO

如星的日々の雑文

今日の雑文:はす向かい

「あれ、茜さんじゃありませんか」


 僕はそう呟くと、鼻に掛けた眼鏡を少し下にずらす。本から顔を上げた僕の視界に飛び込んできたのは、彼女の鮮やかな髪の色。そう、僕はこの髪を色眼鏡越しに見ることに堪えられない。それは、どこか彼女の色に敬意を払っていないような、そんな気分になるからだ。
 黒いトレイの上には、きっといつものヘーゼルナッツ・ラテ。席を探して辺りを見回していた彼女の視線が一点で静止する。無論、スタバの片隅で黒衣に身を包み、薄い色の丸サングラスを掛けて本を読んでいる怪しい男──自慢じゃないが僕のことだ──の上に、である。

「あっ、お久しぶりです。ここでお会いするのは、って意味ですけど」


 彼女は狭い通路を挟んだ斜向かいのテーブルにトレイを置くと、肩に掛けたスポーツバッグを降ろす。僕の怪しさを物ともせずに、なかなか可愛い笑顔と共にそのまま腰をおろした。
 彼女も、心得ている。お互い決して相席しようなどとはしない。僕が読み物をしているときに何を嫌うか、彼女はちゃんと心得ているし、僕も馴れ馴れしく彼女に椅子を真向かいを勧めたりはしない。

 通路を挟んだ、斜向かいのテーブル。斜向かいだけど、自然な声の届く距離。
 狭い店内、1mの距離。それ以上でもそれ以下でもない、それが、僕たちに相応しい距離なのだ。

「いつもお疲れ様。今日はいいタイム出せた、って顔してますね」

「ふふっ、そっちこそそんな嬉しそうな顔して、今度は何にはまってるんですか?」


 部活帰りなの?とか、資料集めですか?とか、そんな野暮ったい、当り障りの無い口上は不要なもの。それでいて、どうでもいい世間話にはいつまででも花を咲かせてしまう。なんとも、不思議な女の子だ。

 それにしても黒コートに蒼い髪の男を捕まえて、嬉しそうな顔とは……彼女も言ってくれるものだ。僕の表情を見抜ける人間なんて、片手で数えても足りるだろうに。

 ……会話の狭間。ふと僕の視線は、相変わらず短いスカートから覗くすらりとした脚に吸い寄せられた。堅く閉じられたわけでも、だらしなく座っているでもない、自然な膝頭。堅く閉じられた膝頭を見ると、僕はそのガードが守るものを自然と想像してしまうし、汚く開かれた女子高生の脚など、例えその奥に白いものが覗いていようと、目線が通過することすら苦痛である。
 だから僕は、こんな自然に覗いている足に、奇妙にドキドキしてしまう。それは見えそうだ、などという下世話な興味ではなく──もちろん僕だってエロは好きだが──その静物自体の持つ美しさに惹かれるのだと思う。

 あどけなく自分の世界を語り、僕の世界に耳を傾ける彼女。水泳部の証であるようなスポーツバッグが、さっきの僕の想いを強めているのか──そこまで考えが至って苦笑する。それは「健康美」と形容すればいいんじゃないか、と。手元に色濃く存在を主張するゴシック表現ばかり眺めていたせいか、言語感覚が少々低下しているらしい。

「あ、そろそろ姉さんのとこに行かないと」

「もうそんな時間ですか。……ああ、もうすぐここで時間を潰していくことも無くなるんでしたね」


 斜向かいの距離が隔てる、表情を確認するまでの一瞬の間。僕の好きな刹那の時間。
 その間に感じる、お互いへの敬意。

「あ〜、大丈夫ですよっ。姉さんが退院したって、私この店で考え事するの好きなんですから」

「大丈夫、とは嬉しいことを言ってくれますね君も。ま、茜さんの時間をスタバで磨り潰してる、君の義兄さんにも宜しく」

「あの人はもう姉さんに充っっ分に宜しくされちゃってますから……」


 僕の台詞に苦笑する彼女も、また可愛い。

 軽い会釈だけで手は振らず。彼女はスポーツバッグを抱え上げ、僕は鼻眼鏡の位置を戻す。茜色の空気は心地よいざわめきの中に消え、僕は再びヴァンパイアの世界へと落ちていった。

あるいは、そんな一日。
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