君が望む永遠〜短編サイドストーリー

MACHINA EX DEO

ささやかなる甘味を星灯りのもとで

─── 前編『転戦編』───
episode.I .......作戦前夜
episode.II ......展開完了
episode.III .....戦線膠着
episode.IV ......敵方増援
episode.V .......反転攻勢

V-DAY・作戦前夜


「えへへ、できたっ!」

「こ、これでいいのかな……」

「はあ〜、ようやく完成です〜」

「ま、こんなトコかな」

「ふふ……完璧さ」

「これで……いいよね……」




『さあ、これであとは明日を待つだけ……!』


君が望む永遠サイドストーリー
St.Valentine's Special



ささやかなる甘味を星灯りのもとでSweet Sweet Starry Night

バレンタイン前日。

そのまま宇宙にでも飛んで行きそうな上調子の鼻唄まじりに、それでも手を休めることなく、姉さんは台所を滑るように動いている。その手元では、手間も難易度も高いガトー・オペラが見る見るうちに形を成していく……。

さ、さすが姉さん……『甘味の右手』、健在だね……

元々姉さんは、料理の腕は悪くない方だと思う。私に比べればよっぽど上手い。3年前、姉さんがやたら私に味見をさせたミートパイだって、姉さんが初めての彼氏相手に作る料理ってコトで、必要以上に神経質になってただけだもんね。

ま、まあ、その姉さんを冗談でも散々脅したのは私なんだけど……

「えへへ、できたっ! これで後は明日を待つだけ……!」


それが甘い物になると、姉さんの腕前は一変する。
神技のような動き。鉄人が宿ったかと思える手付き。「オーブン前現役20年」とでもテロップが流れそうな熱加減。「ええ〜、甘い物は少しだって無駄にしちゃいけないんだよ!?」の一言で、絶妙な配分を叩き出していく。

その腕前は、料理の得意なお母さんをして「負けた」と言わしめるほど。

姉さんはその完成したケーキを丁寧にラップにくるんで冷蔵庫へ。きっと明日渡されるときには瀟洒な小箱に収められ、可愛いデザインのカードに綺麗な言葉のひとつも添えて、落ち着いたデザインの包み紙に丁寧に包まれていくんだろうな……



ううううーっ。
その情景が手に取るように想像できてしまう。ホントこういう事になると、完っ璧な女の子を自然にやってのけちゃうんだから……。姉さんってやっぱり男の人から見れば……ううん、誰よりも鳴海さんから見れば、まさに理想の彼女なんだよね……

重く、大きく広がっていく私の憂鬱は、自然と自分の目線を押し下げる。この手の箱に収まった、小さなガトー・ショコラまで。

姉さんにばれないように、わざわざ友達の家で焼かせてもらった、プレゼント。

だけど……明らかに見劣りする……なあ……



でも、これだけは絶対に渡したい。
鳴海さんに、あの夏にはさんざん酷いことを言ったのに、それを許してくれた兄さんに。私に、姉さんに、待ち焦がれていた幸せをくれたあの人に。
あれ以来なんとなくうやむやになっちゃってたけど、しっかりと形にして、ごめんなさいとありがとうを言いたい。気持ちが伝わるように、ちゃんと手作りにしたんだから。

だから……これだけは、絶対に、渡したい。

『──本当にそれだけだったら、別に姉さんを気にすることないじゃない』


……っ!

(ええー、だって茜可愛いんだしさ、遠慮することないじゃーん)

(簡単に言わないでよ……だってその……あの人、彼女持ちだし……)

(え、うっそ、マジで?)

(…………)

(それでさり気無くプレゼントでアピール? くぅ〜、茜ちゃんケナゲっ!)

(アピールだなんて、そんなんじゃ……)

(いいのいいのっ。
家族にもバレたくないなんて、そんな可愛いトコあったんだね〜。いいよ、ウチの台所使いなよ。あたし今年は誰にも作るつもりないしさ〜)


まったく……千鶴が余計なこと言うから、意識しちゃうよ……

とにかく。
明日は、ちゃんと、いろいろ伝えるんだから……姉さんのあの仕上がりを見ればますます、姉さんのインパクトより前に渡さないと駄目だよね。

鳴海さんは、明日はモーニング入りのディナー前上がり。その後は姉さんと柊町駅で待ち合わせて、そのままデートの約束のはず。バレンタイン・プレゼントは、夕食のテーブルで渡されるに違いない。

鳴海さんの上がる時間を見計らって「すかいてんぷる」に行くのが一番渡しやすそうだけど……何かあったらヤだな。朝早いけど、シフト前に捕まえて渡しちゃおう。

さあ、茜。
やる事は決まった。これであとは明日を待つだけ。

明日こそ、しっかりやらなくちゃ……!

 
 
 
 

V-DAY・展開完了


よしっ。
ガトーショコラを収めた小箱に、今までのお礼を書いたカードを添えて。

涼宮茜、行きますっ!

玄関を出た後、朝の冷たい空気を胸いっぱい吸い込んで気合を入れてみる。
……たかがチョコケーキひとつ渡すのに、まるで試合前のような気合を入れている自分もちょっとどうかと思うけどね……

そんな後ろ向きの気分を、首を一振りして振り払う。

さ、鳴海さんのシフトの時間に遅れないようにしなきゃ……!

──すかいてんぷる前。

予想通り、鳴海さんは少し早めに駅からの道を歩いてきた。
定時に上がりたい日は、遅刻で難癖つけられないように余裕を持って来るって言ってたもんね。ふふっ、鳴海さんの行動は把握済みです!

……人通りの少ない家の前で待ってるのは流石にストーカーだと思ってやめたんだけど、よく考えてみたらこの行動も十分ストーカーかも……。ま、まあいいよね……

さあ、さわやかに挨拶して、鳴海さんにバレンタイン・ギフトを渡そうっと。
鳴海さんがちょっと驚いて、その後嬉しそうな顔をしてくれるところを想像すると、自然と頬が緩んでくる。

その一瞬の空想の隙を突くかのように。
大きな呼び声が、鳴海さんの後ろから聞こえてきた。



「あ〜、孝之さ〜ん!」

「ん?……って、あ、そんなに走ると……!」


ガンッ!

「ま゛っ!!」

「…………んなお約束な…………」




鳴海さんを見ていて気づかなかったのか、全速力で歩道の車止めに激突したあの子は……あ、思い出した。確か……玉野、まゆさん。鳴海さんの職場の後輩で、前に食事を一緒にしたことがあったっけ。

それに……玉野さんの家庭のことは、鳴海さんから聞いていた。
ああやって明るく笑ってるけど……笑ってるのに……

肉親が事故に遭うという事。
それがどういうことだか、私にも経験があるからわかる。私の場合は、それでも今を取り戻すことができたけど……玉野さんは、もう二度と取り戻すことのできない時間を、持っているんだ……

亡くされたご家族にはお兄さんもいて。
それで、鳴海さんに懐いてるんだろうなぁ……。あの時も、妙にけなされてた鳴海さんを『孝之さんは優しいお方ですゆえ〜』ってフォローしてたし。



そんな彼女の記憶と共に、わたわたとリボンのついた包みを出す玉野さんを見ていると、自然と「しょうがない」と思えてくる。ま、いっか。最初のプレゼント・チャンスは譲ってあげることにしよう───

「孝之さん、おはようございます〜」


激突の衝撃から立ち直ると、まゆは満面の笑みを浮かべて孝之に駈け寄ってくる。

「ああ、おはよう玉野さん。……どうしたの? もうお店すぐそこなんだから、わざわざ呼び止めなくてもいいのに」

「あ〜、今日はちょっと孝之さんに渡したいものがあったんですぅ。先輩や店長さんの前だと面はゆいゆえ、お呼び止めしてしまいました」


(面はゆい、って……
玉野さんといい、大空寺といい、時折姿に似合わぬ言葉を使うよなあ……)


孝之は何気なくそう思いながらも、同時に今日の日付を思い出し、素直に嬉しい表情を浮かべた。今日がそういう日だとわかっていても、玉野さんのよう可愛い女の子から何かをもらうのは悪くない。

彼は一瞬気づかぬ素振りをしながら、まゆの取り出した包みに目を注いだ。

「渡したいものって……お、それチョコレート?」

「はい、拙者が一人前のすかいてんぷらーへの道を歩んでいられるのも孝之さんのおかげですゆえ。それに……」


まゆはそこで言い澱んだかのように息を入れる。
素直な笑顔の彼女には珍しい、少し照れたような表情を見せた。

「孝之さんがいつも優しいお顔でいらっしゃるようになって、私もいっぱい笑っていられます。お兄さんが出来たみたいですごく嬉しいのですが、こんなときしか御恩をお返しできぬ未熟者ゆえ……」


「御恩だなんて、言い過ぎだよ玉野さん」


「いえ! ここは黙ってお受けなすってくだせぇ……拙者の仁義をなにとぞっ!」


小柄な身体に大仰な動作で、ずずいと包みを差し出すまゆ。
見慣れているとはいえ、やはりどこか苦笑しながらも、孝之は差し出されたプレゼントに手を伸ばした。

「……えっと。うん、とにかくホントありがと。恩義とか仁義とかじゃなくて、玉野さんがくれた、ってのが一番嬉しいかな」


「ま、まことかっ!」


孝之にとっては予想通りの反応。
まゆは大きく目を見開いて、本当に素直に喜びを表現する。見ている人を自然と和ませる、まゆの笑顔。

「ほんとほんと、オレ後輩からチョコ貰うなんて話に縁遠かったからさ……あれ、この包み……もしかしてこれ、手作り?」


あの辛かった夏の日々に、それは孝之を少なからず支えていた。

「はい〜、おばあちゃんに作り方を教わりまして〜」


何故ならその笑顔は、さらに大きなものに支えられているから──

孝之の、苦く悲しい経験の果てに得た優しさ。
まゆの、後悔と痛みの過去を受け止める笑顔。

そんな二人の強さを土台にして。
しかし、あくまでも軽く明るく組み上げられた彼らの関係。

誰が見ても、それは単なる『先輩と後輩』以上に微笑ましい。安心して眺めていられる、そんな芯を感じさせるものだった。



「……とまぁ、そのような次第でございまして」

「むむ、でもそんなにアバウトなお祖母ちゃんなら、俺も仲良くなれそうだぞ」


チョコレートと紅茶を手に時代劇にはまる彼女の祖母の話に花を咲かせながら、二人は朝のすかいてんぷるへと消えてゆく。

その後姿を、どことなく淋しげに見つめている茜であった。
はあ……。
な、なんか悔しいぐらい良い雰囲気……だったなあ……。

こういうのを「天を仰いで溜息をつく」って言うんだろう。
朝一番から見せられた微笑ましい光景に、何処となく自分の心の底、下心を見透かされてしまった気がする。うーん、出鼻を挫かれた、かな……

……だからっ! 下心なんてないんだってば!
私だってこんなときにしか、素直に「ありがとう」って言えないんだから!

(どうしてそこでムキになって反論するのかな──


そう、だから……早く、渡さなきゃ。
私も鳴海さんに、喜んでもらうんだから。

(茜ちゃんがくれた、ってのが一番嬉しいかな)


そんな鳴海さんの台詞を想像して、また少し頬が緩んでいる自分に気が付く。何処かで少しでも心の動きを間違えてしまうと、途端に溢れ出て来てしまいそうになる──この気持ち。



さっ、そんな空想は後でも出来るよ、茜。
今は鳴海さんにちゃんと手渡すことを考えないと。……そうだなあ、帰りまで待ってると渡せなかったときが怖いよね。だから、鳴海さんがランチ後で少し暇にしている頃を見計らって、お店の中で渡そうっと。


 
 
 
 

V-DAY・戦線膠着


さあ、茜っ。
鳴海さんがキッチンから出てきたよ……!

お客さんも少ないし、今顔を上げて手を振れば、きっとこっちに気付いて来てくれるはず……!

「鳴海さ……」

「彼氏ぃー、久しぶりー!」


私よりも鳴海さん寄りの席から、私よりも大きな声で。
い、いったい今度は何!?

「久しぶり……って、えっ、星乃さん!?」


派手なねーちゃんが座ってるなぁ……と思いきや。
一瞬気付かなかったが、そこにあったのは思いがけない顔。うーん、なんか前にもこんなことあった気がするぞ。

「お久しぶりです……って、あれ、どうしたんですか、今日は非番?」


星乃さんは俺の驚きを見透かしたかのように、小悪魔的な笑みを浮かべる。

「あははっ、非番じゃなくて夜勤なんだけどねー」


相変わらずの派手な格好、軽そうな口調。
しかしこう見えても───こう言うのは失礼だとは思うけど───遙がお世話になった看護婦なんだからなぁ。仕事振りを見ていれば、星乃さんが有能だって事ぐらいは俺にもわかる。

それにあの夏……取り乱した遙の為に駆け込んできた彼女の真剣な表情を、俺は忘れられない。人が自分の仕事に真剣になる、その瞬間に見せる目付き。

自分の仕事に責任と誇りを持っている証。
星乃さんのそれを、覚えてるんだ。

……俺はそんな夏の記憶を蘇らせながら、お客さんが少ないこともあって、ついつい雑談モードに入ってしまう。

「聞いたよ彼氏〜、セラピスト目指して大学やり直すんだって? 彼氏もなかなかやるねぇ〜」


うぐっ。どこでそんな情報を入手して来るんだこの人はっ!

「あ、いや、そんな大したもんじゃないですが……」


俺は照れくささを隠そうと、星乃さんから少し目をそらせながら続ける。

「で、そんな情報、誰から聞いたんすか?」

「んー、元は多分涼宮さんだと思うけどぉ。ま、院内看護婦ネットワークを甘く見ないことだねぇ〜」


な、納得。肝に銘じておくことにしよう……

そんな俺の照れ笑いの下で、星乃さんは口元に笑みを残したまま、不意にほんの少し遠い目をして口を開いた。

「叶えたい夢があって、それを必死で目指すなんて……なかなか真顔じゃ出来ないコトかもしれないけどさ……あははっ、実は私も今似たようなことしてるんだ」


そんな言葉に俺は一瞬戸惑ってしまう。
その台詞は、俺の想像できたあらゆる星乃さんのイメージからは遠いものだったからだ。だけど……どこかに……

「私のガラじゃないって顔してるね……ま、自分でも分かってんだけどさ」


それこそ照れくさそうにそう続ける星乃さんのどこかに、それを納得させる記憶の欠片が感じられたんだ。

(人ってさぁ……生きてりゃ何でもできるよねぇ……)


遙の退院の日。
あの日、星乃さんの口からこぼれた言葉が、記憶の中で再生される。

「……星乃……さん?」


「受け継ぎたい夢ってのかな……そんなの私の柄じゃないと思ってたけど、他人の夢がいつの間にか自分の夢になるコトだって……あるんだよねぇ……」


叶えたい夢。人の夢。自分の夢。
この人も……何かを背負っているんだ。

軽そうな言動に巧みにそれを織り隠しているけれど。彼女の言葉や表情に、どこか自分に共通するところがあるおかげで……そのことに気付けてしまった。

「なんか彼氏が私と似たようなコトしてるって聞いてさ……なんとなく、顔見たくなっちゃったのよぉ」


……なんとなく、か。

「そうだったんですか……。でも、俺もその気持ち……なんとなく分かりますよ」


そう。
青臭く夢を追いかける自分が、例え目指すところは違っても、一人じゃないって思えるのは……それが甘えと言われようと、やっぱりささやかな支えにはなるんだ。

やがてお互いに感じた刹那の連帯感を収めるように、星乃さんの目線が俺の元に戻ってきた。

「あ、でさぁ彼氏。なに、やっぱり最近忙しいわけ?」

「あ、そりゃまぁ……9月入学したいんで、受験まであと5ヶ月しかないですしね。でも遙も同じ時に受験しますから、苦労は同じですよ」


そうなのだ。
同じ苦労……いや、3年前の記憶を保存してきた遙と、3年間勉学から遠ざかっていた俺との間にはそれなりにギャップもあって……正直、結構しんどいんだけどな。

ま、そんな事は他人に言わないのが、漢(おとこ)ってモンよ。

「二人で頑張れる夢か……いいよねぇ〜」


そう星乃さんは少しだけ寂しげに呟くと、そのまま堂に入った怪しい笑みを浮かべてきた。

「……でもさ、ってことは最近やっぱ……ご無沙汰なわけ?」


ぶはっ。
な、何を言い出すんだこの人は突然。いやナニじゃなくてその。

「彼氏ぃ〜……溜まってんなら、別におねーさんがやらせてあげてもいいんだよ〜」

「なっ、何馬鹿なこと言ってんですか星乃さんっ!」

「あはは、冗談だって! 彼女持ちのオトコに手を出すような真似はしないことにしてるしね」


パタパタと手を振るおねーさま。
だからあなたが言うと冗談に聞こえないんだってば。

「でもさあ、彼女だってあんましほっとくと蜘蛛の巣張っちゃうよ〜」


がぶっ。

「……というわけで、頑張ってる彼氏にご褒美ってコトで。はいコレ」


そう言ってバッグの中から出て来たのは、ちょっと見慣れない包み紙。

「え、これって」

「チョコレート。これさぁ、なかなか手に入んなくて苦労したんだからね〜」


何処となく……いや、露骨に怪しい目付き。うっ、こ、これは……

「これねぇ、ホラ……色々入ってるからさぁ。今晩辺り彼女と一緒に食べてさ……盛り上がんなよ〜」


や、やっぱりその手のアイテムかっ!

「あははっ、大丈夫大丈夫。依存性とかそういうコトは全然ないから。看護婦のあたしが言うんだから間違いないって!」


び、微妙に信用できないのは何故だろう……
……ありがとう、と言うべきなのかな……俺……

「さてと。私このあとがあるからそろそろ行くわ。それじゃまたね〜。頑張んなよ〜」


星乃さんはそう言うと立ち上がり、俺の肩をバシバシ叩いた。
頑張るって……なっ、ナニをだっ!

伝票を手にレジに向かって歩き出す星乃さんに、俺は曖昧な反応しかできずにいた。と、不意に彼女は振り返ると、

「彼氏がその道を歩くなら……いつかまた会うかもねっ!」


それは初めて見た、彼女の最高の笑顔。
その空気に釣られるように、俺の口からも自然に台詞がこぼれ出た。

「ああ、星乃さんも……うん、いつかまた!」


「そっちも絶対……がんばんだよ!」


……。

いっ、今の人は……。
白衣を着てなかったから一瞬分からなかったけど、星乃さん……だよね……?

姉さんがずっとお世話になった病院。ホントいい人たちばかりだったけど、白衣を脱ぐととても医療関係者に見えない人たちが多かった気がする……

遠くて会話は聞こえなかったけど……鳴海さん、微妙に焦ってたのかな。
それにしても……あんな派手な人と、いったいどういう関係なんだろ……

鳴海さん……。
フロアから裏手に戻る鳴海さんを見ながら、思わず物思いに耽ってしまう。


……えーっと。

(客といちゃついてサボってんじゃねー! この糞虫が!)


あ。

裏手から私のいるフロアにまで、誰かの叫び声が聞こえてくる。
でもこれってやっぱり、鳴海さんが言われてるんだよね……なんか、仕事中には渡しづらくなっちゃったなぁ……

ふう。しょうがない。
まだ少し時間があるけど、鳴海さんを帰りがけに捕まえて渡すことにしよう。それまでどっかで時間つぶしてこようっと──

 
 
 
 

V-DAY・敵方増援


鳴海さんがシフトから上がる時間を見計らって、私は再びすかいてんぷるの前に立つ。

でも目の前で待ち構えてるのも不自然だし……入り口でちょっと鳴海さんをやり過ごして、後ろから追いついて声を掛けることにしよう。

……さあ、鳴海さん、出てきたよっ……!



「あ、ちょいまち」




早速後ろから追いつこう……そう思って足を踏み出しかけた矢先。すかいてんぷるの店先で、誰かが鳴海さんを呼び止めた。

うっ。こ、今度はなんだっていうんですかっ!

……あ、あれは……だっ、大空寺・サノバビッチ・あゆ!

鳴海さんの同僚。
かつて、楽しみにしてた姉さん、平さんとの内輪の飲み会に図々しくも顔を出す厚顔無恥さ。おまけに手癖も悪くて、折角の夜を滅茶苦茶にかき回した最低最悪の獣。あいつのおかげで、あの店の前は恥ずかしくて通れなくなっちゃったんだから……!

どうしてですか鳴海さん! なんであんな奴から……

──私のそんな想いも空しく、鳴海さんとあの女の会話は続いていた。

「……ほれ、受け取れ」

「……まさかとは思って一応聞くが、これは何だ?」


じーーーっ。
あゆは何も言わず、真顔のまま小綺麗なラッピングを俺に突き出している。大きく開いたその瞳で、黙って俺の目を見据えていた。

(はあ……こうしてりゃ結構可愛いんだがなあ……)


俺はそう軽く溜息をつくと、負けたとばかりに口を開いた。

「……つまりそういうこと、なんだな?」

「それ以外の何があるっていうのさ、この脳腐れのヘタレ虫」


憎まれ口の裏で照れているかと思いきや、意外とそうでもない奴の表情。
こういうときのコイツに勝てた試しはないんだよなぁ……。

「えーと、サンキュ。ありがたく受け取っておくよ」と、俺は続ける。


「……で、どういう風の吹き回しかぐらいは教えてもらえるんだろうな?『わーい、ありがとう大空寺さん!』なーんて喜ぶほど、オレとオマエは気持ち悪い付き合い方をしてないつもりなんだがな」


軽い驚きと若干の疑念、それに少々の照れを全て隠して。
俺のその台詞に、得たりとばかりにあゆが応じる。

「……ふ〜ん、やっぱりマトモな受け答えするじゃないのさ」

「はあ?」

「最近アンタの調子がいいから。……それが答えだって言ってるのよ」


さっと片手で髪を梳き流し、少し遠くを見て、あゆはいつもの不敵な笑みを浮かべる。

「前は面倒だったわね〜。すぐに妙に沈んだりして、生き腐れて、糞虫の分際でサボりまでしやがって」


ぐっ。
真実なだけに反論できねぇ……。容赦ない弾丸を撃ち込んできやがるな。

だが、いつもならそのまま連弾が叩き込まれるそのタイミングで、あゆの目線が再び俺の目に戻ってくる。

「最近はようやく真人間になったみたいやん。ま、これからもその調子であたしの下僕としてせいぜい頑張るさ……。ふふっ、そういうことよ。張合いのあるアンタに、せめてものご褒美さ」


……張合いのある、か。
そりゃそうだ。俺だって、コイツとの言葉の掛け合いを楽しんでなかった……と言えば嘘になる。他の誰とも……それこそ今や慎二ぐらいとしか出来ない、言葉の応酬の楽しみ。



───白陵時代に水月とどつき合っていた、あの頃のような。



あの辛かった夏の日々に、コイツと言い合ってる時は純粋に「俺」として振舞えていた。でも、それすら出来なくなっていた時……確かに、コイツはコイツなりに、少しは気に掛けててくれたみたいだから、なぁ……

もちろん、あゆの奴がそのすべてを意図して俺を挑発してたとは思えない。奴の行動原理の過半は、アイツの地に決まってるからな。

ま、それにしたって本当に、まったくコイツは……


……むにっ。


「あっ! あにふんほよ〜〜!!」

「邪念がこもっちゃいるが、お心遣い、よぉっく分かった」

「はあせっ!」


まったくコイツは……
ムカつくけど、人の事をよく見てやがるよなあ……


ぱちんっ。


「あにしてくれるんじゃ! このド畜生が!」

「……ま、というわけでありがたく頂戴するよ。……ありがとな。」


俺はあゆの反応を黙殺するように台詞を投げて、手を振って歩き出す。
負けっ放しで引き下がっちゃ男がすたる。言葉に逆襲の意図を込めて練り上げる時間を、そうして稼ぎながら。

「……でもなぁお前、もう少し素直に渡しても罰は当たらんと思うぞ? 男にチョコ渡すなんて、そうそうある機会じゃねーんだろ?」


ピタリと。
その台詞は狙い通り、強気の笑みで固めたあゆの表情に赤くヒビを入れる。

「う、う、うがあああっ! オマエなんて、猫のうんこ踏めっ!」


(……な、鳴海さん! あんな奴から受け取っちゃうなんて!)


……悔しい。あんなのにまた邪魔されるなんて……。
二度あることは三度あるって言うけれど、チョコ1つ渡すのにこんな苦労するなんて。おまけにあの大空寺あゆに邪魔されるなんて……

今度会ったら、許さないんだから……っ!



(って、あ、あれ、鳴海さん?)


私がひとり込み上げる怒りと戦っている間に、鳴海さんはすたすたと駅の方へと歩いて行ってしまった……。

こ、こんな空しい怒りと戦ってる場合じゃないよ。
早く鳴海さんを追い掛けて、プレゼントを渡さないと……もうすぐ姉さんと会っちゃうじゃない!



気を取り直して。
茜っ、もうチャンスは少ないよっ! 走って追い掛けなきゃ!

 
 
 
 

V-DAY・反転攻勢


いくら長くなってきたとはいえ、まだまだ二月は冬。
今日一日を支えていた青空も、急速に茜色から濃紺へと染まりゆく。

……ただバレンタインのチョコを渡すだけ。
それだけの行為が、これほど果てしない道程になるなんて……ひどいよ……

それでも、渡したい。
自分の言葉で、行為で、鳴海さんに、この幸せに感謝したい。

たった5分でいい。
あの人が見せてくれる笑顔が、私が望み得る最高の幸せだから。

───それ以上は、求めない、から……



だから……っ!
……ああ、それなのに。

鳴海さんにあと少しで追いつこうという橋の上。
その時、けたたましい轟音を響かせて、一台の車が鳴海さんの側に横付けした。

……えと……あれ、車?
なんだか……あんまり原型を留めてないような……


その直後、私は恐怖の記憶とともに全てを思い出した。
あれは……こ、香月先生の車だよ……

……あんまり近寄らないほうがいいかも……しれない……
でも、そこには鳴海さんが……って、あれは!



橋の向こう、駅へと向かう道の彼方。
大通りを渡る横断歩道の信号を待っているあの姿は……遠いけれど間違いない。
あの服装は……姉さん……!

とっさに腕時計を見れば、約束の待ち時間にはまだ余裕がある。だけど、きっと姉さんのことだから、待ちきれなくなって迎えに来ちゃったんだ……。ってことは、通りを渡って、こっちへ歩いてくれば……あと数分で、鳴海さんを見つけちゃう!



もう、時間が……っ!
俺はどこかで聞いたようなすさまじい音に思わず振り返る。

と、そこには生命の危機……もとい、見間違えようの無い香月先生のボコディアが歩道に横付けしてきていた。……あ、また縁石こすったぞ。

「あら、鳴海君じゃない? 久しぶりね」


運転席の窓を下ろし、そう声を掛けてきたのは間違いなく香月先生。
遙があまり病院に行かなくて良くなってから、久しく顔を見ていなかった。

「お久しぶりです先生。あれ、ちょっと早いですけど今日はもうお帰りですか?」

「そういうこと。実は徹夜明けで結構眠いからさっさと帰ろうと思ってね」


そんな危ない状況で車運転しないでください……特にあなたはっ!
そう裏拳でツッコミたくなるのをグッと堪え、俺はかろうじて平凡な社交辞令を捻り出した。

「お、お疲れ様です」


堪えたと言いつつも、咥え煙草の向こうから俺に向けられている香月先生の目線は、なんとなく俺のそんな心理まで見透かしているような気がする。はは、考えすぎだとは思うんだけどな……。

「そう言うあなたもね。噂じゃ結構頑張ってるらしいけど?」


う、またか。
まぁ、三年も眠った患者さんの彼氏で、おまけに病院であれだけ修羅場を演じていれば……『その後』が噂になるのも分かる気はするんだが。……だけど遙の行動パターンから考えて、その噂をナースネットに流した張本人はあなただと思うんですが……

でもまあ、俺が今こうして前を向いて歩いていられるのは、そもそもこの人が遙を救ってくれたこと、そして他人であるはずの俺に随分と気を使ってくれたことが大きいんだからな。噂されるぐらいが、幸せの証みたいなもんだ。

そんな俺に向けて、香月先生は笑って口を開いた。
あの夏に幾度となく見た、俺よりもほんの少し遠くに焦点を結ぶ不思議な笑顔で。

「……人生って面白いでしょう?」


俺の心に何度も道を示してくれたその言葉は、今もどこか暖かい。

「そうですね……今ならなんとなく、その台詞も言える気がします」


俺のこの台詞も、本当にいろんな人に支えられてきたってコトを改めて実感しながら、俺はそう答えた。

「さてと……長話をするには場所も体力もちょっと厳しいわね」


と、香月先生は軽く首を振って続けた。

「……そうだ、これあげるわ」


そう先生は呟くと、俺に何やら小さな丸いものを投げてよこした。
……カラフルな銀紙に包まれた、いわゆる10円のチョコボール、だ。

「ほら、今日は一応バレンタインでしょう? 患者さんたちにあげた残り物よ」

「はは、なるほど。ありがたく頂戴しておきますね」

「鳴海君は随分ともてるようだから……私からはこんなもので十分ね?」


うぐっ。
でも確かに考えてみれば……俺の人生の中で、これだけの数の、ただの義理とも思えないチョコを貰ったバレンタインは初めて(何せ遙からチョコを貰うのすら初めてなのだ)……だな。でも、そのことを香月先生が知ってるはずはないんだけど……

「それじゃ鳴海君、医者がこう言うのもなんだけど……また何処かでね」


先生はそう言って軽く手を振ると、運転席の窓を引き上げた。
…………。

時間が……ないのに。
みんな、揃いも揃って鳴海さんを……っ!

「あんまり私の邪魔ばかりすると……」


その時、私の中で、何かが音を立てて壊れるのを、頭の隅で、感じた。



「キレますよ」




そのまま私は鳴海さん目掛けて猛ダッシュを掛ける。
止めないと。鳴海さんを止めないと。鳴海さんと数分でいい、二人きりになれる時間を作らなきゃ。姉さんより早く会わなきゃ。そのためには鳴海さんを止めなきゃ……!



水泳で鍛えた脚力は伊達じゃない。
鳴海さんが振り向くよりも早く、グングンと鳴海さんとの距離は縮まっていく。

……鳴海さんを止めるには。そうだ、それがいい!



途中、香月先生が走り出しながら私に気付いてたみたいだけど……
私の勢いに目を見開いてた。
失礼しますっ、でも今は鳴海さんを止めないといけないんです!



……あれ、どうして私、こんなことをしようとしてるんだっけ……?
ええと……そうだった。私は鳴海さんを止めて、助けるんだよね。うん、それで……それで、なんだっけ? こうすることで……だって私は……ええと……

……それより今は急がなきゃ……だから……



鳴海さんが姉さんに気付いたらしく、若干足が速まり、右腕が手を振るために上がりかける。でも姉さんのほうは、まだ鳴海さんにも私にも気付いてないみたい。

……ああっ、もう! 早くしないと! ええと……



考えてる暇なんてないよ! とりあえず、後で考えよっと……!



「鳴海さんっ!!危ないっっっ!」


孝之が振り向いたその刹那。
見事な水泳のストロークを思わせる動きで、茜の右腕が孝之の襟首を捉える……!

「あ」


鍛え抜かれた見事な背筋。力強い左の踏み込み。
決して軽くは無い孝之の身体が、瞬時にして宙に浮き……

「ぶ」


見た目からは想像し得ぬ強靭な肩。
茜の右肩を支点に、強力なベクトルが孝之の身体を水平にまで反転させ……

「な」


しなやかな全身の筋肉。
その滑らかな動きが、茜の加速、質量、筋力を、余すことなく孝之に伝達する……!

「いっっっ!」

「え、あ゛っ、あんですとぉーーーーっ!」



何が起こったのかさっぱり分からないまま。
……孝之は、飛んだ。
真っ直ぐに、橋の欄干を越えて。



「おあああああぁぁぁぁぁ…………っ!!!!!」




パシャーン。
孝之の叫びはそれで絶え……

二月の寒空に、水音だけが空しく響いた──

ふうっ。
間に合った……これで鳴海さんと姉さんの出会いは回避できたよ……

……………………。

あれ?

…………えーっと。

あ……ああっ! わ、私なんてコトをっ!!
しかも……ええっ、鳴海さん溺れてるし!

「な、鳴海さん! 今助けますっ!」


海に近い冬の水は、身を切るように冷たい。
私はそのことを、身をもって知る羽目になった───

...to be continued to: →後夜編
幕間口上
あまりに長くなってきてしまったので、ちょっと分割して先行公開です。
もう時期遅れも甚だしいのですが、イベント物ということでご容赦くださいませ。

2002.03.21
お待たせいたしました、ようやく「前半部分」完結です。
調子こいてモトコ先生から星乃さんに至るまで登場させたおかげで、えらい目にあってしまいました(^^;; しかしおかげで、書き慣れていなかったキャラたちにも、一応如星の中での「ポジショニング」ができましたね。この辺りが「私の君望」であって、色んな人ごとに解釈は違うものなのでしょうが……。こんな作品からも「君望」を感じていただけれいれば良いのですが。

さて、話は一応「後夜編」に続きます。乞うご期待。

ご感想、ご要望等あれば、掲示板までお願いいたします。
神慮の機械マキーナ・エクス・デオ」へ戻る