「見て見て孝之くんっ! 本当に降ってきたよっ!」
夜空を最初の光芒が薙いでゆく。
始まったか……と思う間もなく、次々と東の空から星が降ってくる。
2001年獅子座流星群。どうやら今年は当たりらしい。
秋も終わりに近い11月の空気。時折吹く身を切るような風は、まだ完全じゃない遙の身体に障るんじゃないかと思ったけど、遙はどうしてもこの天体イベントをオレと見るんだといって聞かなかった。寒さから少しでも遙を守りたくて、身体に回した手に少しだけ力を込めてみる。
──そんなわけで、夜も更けた午前2時半、なんとオレは涼宮家のテラスに遙と2人きりで立っていた。もちろんご両親公認。もちろん泊まりはせずに明け方帰るとはいえ、夕食をご馳走になって、そのまま遙の部屋でのんびり寛いで。茜ちゃんも部屋に来てたけど、なんだか明日が早いということで先に戻ってしまってた。「なんでこんな時に遠征設定するかなぁっ!」ってメチャメチャ悔しがってたけど。
涼宮邸の広いテラスの一角がちょうど東を向いていたおかげで、毛布に包まった、ちょっと人には見せられない格好で星を待つことができた。いくら順調に回復してきてるとはいえ、まだ遙を夜中に引っ張り出すわけにも行かなかったし。
「....If your heart is in your dream, No request is too extreme....」
ふと、空を見上げていた遙の口から、どこかで聞いたことのある旋律が、柔らかい歌声と共に響いてくる。そういや遙って英語得意だったよなぁ……洋楽も結構聴いてたみたいだし。
「……『星に願いを』。『ピノキオ』の最初に流れる歌なの。あなたの心が夢でいっぱいなら、どんな願いも過ぎることはない……そんな歌なんだ」
部屋の明かりも消され、ほのかな星明りの下、遙がゆっくりとこっちを向いて笑う。暗がりに慣れた目は、柔らかさを取り戻しつつある遙の頬をみとめてドキドキする。か、可愛い……
「今ね、やっと孝之君とこの星空を見れたんだなぁ……って思ってたの。ほら、獅子座流星群って3年前もすごくたくさん降るって言ってたよね。私絵本が好きになったのもね、小さい頃に読んだ絵本にすごく綺麗な星空が描かれていたからなんだよ……」
嬉しそうな、でもどことなく寂しげな表情を浮かべてる遙。
「すごい星空が見られるって聞いて、絶対に孝之君と一緒に見ようって思ってたの。それがあんなことになっちゃって……。でも、3年も掛かったけど、願いは叶った……」
「はるか……」
「ピノキオはね、人々に喜びを与えることで願いが叶うの。……それで思ったんだ、この願いは、どうして叶ったんだろう、って。私、孝之君に幸せをあげられてるかなぁ、って」
星に願いを。
星にはいろんな想いが込められている。オレたちのあのおまじないも。あの丘の上に降った星空も。空を仰いでも絶望しか見出せなかった、あの日の夜も……
「紫色にけむる夕闇のころ、空に小さな星が光り。
永遠に心に残る歌を歌いながら、あなたは小道をさまよい歩く」
遙が驚いたようにオレを見る。
「僕らの恋が始まったばかりの、キスするたびにときめいてたあの頃のように、
でも、それは遠い昔、今や慰めは星屑の歌の中に」
流れ星は止むことなく降り注ぐ。3年の時間を堪えていたかのように。
「……悪い、英語の歌詞は忘れちまった。昔聞いた歌なんだ。音色が綺麗だったから歌詞の訳調べてさ、いつの間にか覚えちまった。……思い出したときは……こんな歌覚えたの後悔するぐらい痛かったけどな」
遙が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……痛かった、の?」
「……3年前さ、星、降らなかったんだ。オレ欅町の山の手の上まで行ったんだけど、予想大はずれで。上ばっか見てたおかげで首が痛くなっただけ」
決して忘れることのできないあの日の夜。
無数の星が降ると聞いて、オレは祈るような思いで星が見えるところまで出かけていった。──遙の目覚めを、祈るために。
遙が小さく息を呑む。
申し訳程度に見えた流れ星。それすら錯覚だったんじゃないかと思えた。錯覚に祈ったら逆に願いが叶わないんじゃないかと怖かったこと。それでもかじかむ手を合わせて、その夜見えた一番大きな流れ星に祈ったこと。
「でもさ、あの時オレ……実は少しずつ諦め始めてた。おまえが目覚めないんじゃないかって。風邪引きかけてたのに、ガタガタ震えながらこんな寒い思いして、できることは祈ることだけで……オレ何やってるんだろうって」
全てに負けてしまいそうな、あの時を思い出す。
やがて1年が過ぎて、ボロボロになった身体を引きずって行った病院で……オレは、ついに負けを認めたんだ。認めさせたのは遙のお父さんと香月先生かもしれない……でもそれを受け入れたのは、他でもないオレだったんだ。
「流れ星なんて何もしてくれなかったと思った。遙はもう、いないんだと言い聞かせて。オレが祈っても無駄なんだと、そう思わないと、心が持たなかった……」
遙のために祈ることすらなくなったあの時間。どうやって生きていたのかすら記憶が曖昧だ。あの時のオレが死ななかったのは……そう、水月がいたからなんだ。やがて冬が来て、俺は水月と付き合うことにして……
午前3時を過ぎた。
空を駆ける光は今がピークのはず。
夜空に星が瞬くように……
星にかけた願い。あのおまじないがあったから、俺は遙のもとに戻ってくることができた……そう思った。でもそれは星が願いを叶えてくれたんじゃない。星にかけた願いを、俺が忘れずにいられた、いや、思い出せたからなんだ。
「……きっとこの星は、待っててくれたんだな。オレと遙が、一緒に見られるこの日を。こんなにたくさん降り注ぐ日を、待っててくれた」
「その星も、私たちが見上げなければ何もないのと同じ。私たちが目を逸らさなければ、星は願いを叶えてくれる……」
遙と再び目が合う。
その目が潤んでいるのは、決して寒さのせいだけじゃないと思う。
毛布に包まってぎこちないけれど、ゆっくり遙と指を絡めていく。
夜空に星が瞬くように
溶けたこころは離れない──
あの日、星を見上げることをやめたオレ。それを、この言葉で引き戻してくれた遙。
──例えこの手が離れても
それは、長い別離になった。3年の時が流れても、星を願い続けた遙は……。引っ込み思案で、うつむいてばかりいた遙。なのに、その目は、決して下など見ていなかった。3年も眠っていたのに、誰よりもその時間を見つめ、そして星空に未来を見ていた遙が……オレに、こんな大きな幸せをくれたんだ。
「ふたりがそれを……」「忘れぬ限り……」
空の煌きも、徐々に少なくなっていく。
このおまじないを、夜空に溶け込ませたかのように。
「迷い続けてたオレに、夜空を見上げることを思い出させてくれた。……遙……オレ今すごい幸せだよ……。これは、遙がくれた幸せなんだ……」
「孝之君……」
「愛してるよ、遙」
何の衒いもなく、するりと出た言葉。こんな恥ずかしい台詞も自然に言わせてくれる星降る夜に、遙とふたりでいられることが幸せでなくてなんだろう?
「今度はオレのほうこそ聞かなきゃな。遙の幸せを、オレが作れているかって。ふたりの幸せを二人で作れているかって……」
肩を寄せ合って、薄れゆく光芒を眺める。答えるまでもなくオレたちが幸せであることを、お互いのぬくもりで確かめる。
次に獅子座流星群が日本で見られるのは30年後。
その日、またこうして肩を並べて、夜空を見上げる日まで──
自分たちにできることを、ひとつずつ。永遠のかけらを、重ねていくんだ。
──その日をただ夢見ているだけじゃなくて、かなうことを、信じて。