君が望む永遠〜短編サイドストーリー
MACHINA EX DEO
世界に君が降りて来た時
プロローグ・モノローグ───「夢の中に眠る奇跡」
涼宮、遙さん。
二十歳の誕生日、おめでとう。
───遂にこの場所で、大人になる日を迎えてしまったのね。
本当なら、あなたのこの日を心から祝ってくれる家族がいて。
この日を共に過ごして、これからの未来に思いを馳せる恋人がいて。
ご両親も、妹さんも、当然祝いの言葉なんか言えなかったわ。この場所でこの日を迎える悔しさが先立ってしまうのは、それは仕方の無いことなのよ。
……それから。
あなたの誕生日を、きっとご家族以上に祝ってくれたかもしれない人───
涼宮さん、恨んでるかしらね。彼を遠ざけたのは私の判断でもあったし……でもそれも、あなたの大切な人の人生を考えれば、仕方の無いことだったと思うわ。
ええ、仕方が無い、仕方が無い。
さっきからそればかり。……自分でも嫌になるわ。
……でもね、涼宮さん。
私は全てを我慢して、諦めないのが……仕事。私はあなたが目覚める日まで、決して諦めることは無いわ。……だからあなたにも、辛くても、寂しくても、頑張って欲しいのよ。
私は私の仕事をする。
だからあなたも、早く帰ってらっしゃい。
その時には、仕方が無いと諦めた全ての事を、取り戻せるんだから。
だから、私だけは、この日のお祝いをあなたにあげる。
あなたには、まだ未来があるんだから。あの街の灯の向こうに、待っている人がいるんだから。
その人たちが、あなたの誕生日を祝うその日まで。
今だけは、私で我慢して頂戴ね。
……それじゃ涼宮さん、おやすみなさい。
君が望む永遠サイドストーリー
世界に君が降りて来た時
2002.03.22
バースディ・アドレス───「世界に君が降りて来た時」
『誕生日おめでとう!!!』
数発のクラッカーが、見掛けに寄らない大きな音で弾け飛ぶ。
私は思わず耳に手を当てて、目をつぶっちゃったんだけど……。
(姉さん、ホラ早く降りてきて! いいから今すぐ!)
……今日は私の誕生日。
孝之君と出掛けるのは夕方から。それまでの時間を勉強に使おうと思ってたら、茜の声が飛び込んできた。一応部屋着には着替えてあったから、そのまま下に降りていったら……急にこの音。
「ほら〜、だから私言ったじゃないですか? 姉さんにクラッカーはやめといた方がいいって」
……え?
茜の呆れた声に、ふと我に帰る。茜が……敬語を使ってるってことは……
顔を上げると、テーブルの上には沢山のロウソクが立てられたケーキ。クラッカーを手にそれを囲んでいるのは、お父さん、お母さん、茜、そして……
……孝之君っ?
「まあそういうなよ。遙を驚かすのには成功したんだからさ」
「それは鳴海さんがそこに立ってるだけで十分ですよ」
まだ状況がつかめない私をよそに、孝之君と茜がそんなことを言い合っている。ええと……誕生日のお祝い、だよね。でもどうして孝之君がここに?
「ほらほら、本題に戻らなきゃ、遙が困ってますよ」
お母さんの助け舟とも言える台詞で、二人とも「あ」という顔をして私のほうに向き直った。
「ええと、それじゃ改めまして」
孝之君が軽い咳払いをして、他の三人に目で合図をしてから口を開く。
『改めて、誕生日おめでとう!』
孝之君に手を取られ、言われるままにロウソクの火を吹き消す。
……その頃になって、やっと頭の回転が戻ってきた。
「ええと……み、みんなありがとう。でもどうして孝之君がここに?」
「え、だってせっかく家族でお祝いするんだよ?」
なに言ってるの姉さん。そんな見慣れたジト目を向けながら、茜が答える。
「そりゃーもー二人きりの夜は邪魔しないけどさ、昼間は新しい家族と一緒にってことで私が呼んだの」
「あ、茜! 新しい家族って……!」
茜の顔が、本当に嬉しそうな表情で埋まっていく。
どっちかと言うと、いたずらが当たって得意気な子供みたいだけど。
「あれ、今度こそ本当にそうなんじゃないの? 隠さなくたっていいじゃない。あ、そうだ、今度からまた鳴海さんのこと、兄さんって呼ぶことにしようかな〜」
このペースに乗った茜にはどうしても勝てない。
だからいつも、いいようにからかわれちゃうんだよね。おまけに親の前でそんなこと言うなんて、もう……。
(だけど……台詞の後半、なんだかちょっと無理してるように聞こえたけど……気のせいかなあ……)
「茜、その辺にしておきなさい。鳴海さんも困ってるじゃないか」
今度は苦笑気味のお父さんの助け舟で、ようやく茜も口を引っ込めた。
ふと見てみれば、孝之君は確かに目線を泳がせて赤くなっていた。……孝之君、ちょっと可愛いかも。
「ま、まあ、というのは置いといてだな。一応俺が来るのは予定内で……理由も一応あるんだ。それは後で話すよ」
文字通り照れながら頭をかく孝之君の傍らで、お母さんがちょっとした料理を運んでくる。そんなわけで、私の誕生日は家族とのランチパーティーで始まることになったのだった。
それにしても……やっと。
私が眠っている間に、三回の誕生日が、私の上を通り過ぎてたんだよね……。
その事実は、私にとっては頭で納得するしかないこと。だけど、この場にいるみんなにとっては……それを想像すると、今でも心のどこかが軋みを立てる。
孝之君。
お父さん、お母さん。
茜。
私が事故に遭っちゃったせいで、その人生を大きく狂わせてしまった……。
そのみんなが、今こうして私の誕生日を祝ってくれる。
そのことが何よりも、素直に嬉しい。
と、おもむろにお父さんが食事の手を休めて口を開いた。
「遙、覚えているかな。遙の17歳の誕生日を祝ったとき……次の誕生日は、君の新しい未来を祝う日になるはずだと言ったことを。自分の選んだ大学、自分の目標の為の一歩を踏み出すを踏み出す遙を、応援する日になるだろうと言ったことを」
お母さんも優しい瞳で私の方を見つめている。
自然、孝之君も茜も、私とお父さんを眺めていた。
「父さんも、母さんも、その言葉が嘘にならなかったことが本当に嬉しいんだよ。またこうして、遙が私たちの前に戻ってきてくれて……しかもその未来に向けて、また歩んでくれてるということがね」
お父さんは深く、大きく、そんな言葉を吐き出した。
その横で、お母さんは目に少し涙を浮かべている。……私は改めて、自分の掛けてしまった心配と、自分にできる親孝行を思い出す。
「お父さん……お母さん……」
「……あれから最初の誕生日。本当におめでとう、遙」
ほんの少しの間を置いて、やがて茜を皮切りに、みんなが私にささやかな拍手を向けてくれた。
「お姉ちゃん、おめでとっ!」「おめでとう、遙」
えへへ……なんだか凄く……あったかい。
目が覚めて、三年後の世界と向き合って……半年強。辛いと思ったこともあったけど、今こうしてみんなの暖かさに包まれていると、自分が帰ってきたことのご褒美をもらえている感じがする。
「うん……ありがとう……」
私はただそう繰り返すことしかできないまま。いつの間にか、嬉しさに涙が溢れてきてしまった
───
「え、えーと……コホン」
ふと気が付くと、茜が少し恥ずかしそうに、咳払いをしてみんなの注目を惹こうとしていた。……なんだろう?
「……ね、ねえ鳴海さん……本当にコレやるの……?」
「え、なんだよ、今さらそんなに照れなくてもいいだろ? この案に最初に賛成してくれたの茜ちゃんじゃないか」
「そ、そりゃそうだけど……うう〜ん……」
何かぼそぼそと渋ってる茜。……むしろ照れてる……のかな。
そんな茜に、孝之君が何か大きな箱を両手で渡した。
「は、はい、じゃあ……私の番ってことで」
覚悟を決めたように、そう言いながら茜が開けた箱の中。
そこにあったのは……バースデーケーキ? ……二つ目?
「あ、茜……?これって……?」
また状況がよく飲み込めない私の前で、茜は私に向かって
───他の人たちも意識しながら
───話し始めた。
「えと……お姉ちゃん、誕生日おめでとう」
茜、照れてはいるけど……あ、なんだか……目が真剣になってる。
「あ、あのね、私も……お姉ちゃんの誕生日、ずっと楽しみにしてたんだよ……」
ほんの少し俯いて。
でも一瞬の後に、また私の目をしっかりと見据えて、茜は続ける。
「私、もうすぐ柊を卒業しちゃうけど……高校に入る前から、ずっと、ね」
あ……そっか……。
茜の言いたい事が、やっと分かった気がした。白陵の……ことだよね……。
「私が高校に入る時にはもうお姉ちゃんたちは卒業しちゃってても、高校と大学に分かれてても……ほら、白陵って高校と大学、同じキャンパスにあるようなものでしょ?」
確かに付属柊学園と白陵大は、大学の生協を高校生がよく利用していることもあって、キャンパス内でお互いを見かけることも多い。
「お姉ちゃんと、鳴海さんたちと、同じ白陵の丘に登って……すぐ近くで時を過ごせること……ずっと楽しみにしてた」
そんな想いを伝えてくる茜の目に、今はもう照れはない。
その代わり、昔を懐かしむような、微かな痛みに耐えるような、そんな顔をしていた。三年前の記憶にはない、大人びた妹の表情がそこにはあった。
「やっと、お姉ちゃんや、鳴海さんや…………水月先輩と、同じ白陵の話が出来る、最初の姉さんの誕生日のはずだったんだよ……」
白陵大付属柊学園。
私が寝ている間に、茜は私たちの高校に入学してたんだよね。……本当は、茜を白陵の一員に迎えるお祝いをみんながしてあげるはずだった。なのにそれは、辛い記憶の時の中に埋もれていて……。
「でもね……お姉ちゃんも白陵大に来てくれるから、やっと叶うんだなぁって……思ってるんだ。あはは、なんだか大学は私が半期だけ先輩になっちゃうみたいだけどね」
私は白陵の九月入学制度を使う予定だから……確かに茜が先輩ってことになる。
少し前なら……その事実に、私はまた寂しさと、疎外感を感じてたんだろう……と思う。記憶の中にある、はしゃぎ回る茜。そんな妹がどこにも居なくなってしまっていて、全然違う人になっていて……私よりずっと先に進んでいて。でも……
「……お姉ちゃん。白陵に、おかえりなさい。それから……」
でも、今ならわかる。
茜はやっぱり茜だったし、私も茜も、それぞれの道を進んでいるんだって。
その茜が、一緒に白陵にいけることを喜んでくれてる……
私のほうこそちょっと照れくさいけど、こんな妹が自分にいることが……凄く嬉しい。
そんな私の感情を包み込んで、茜が言葉を続ける。
「お姉ちゃん、十九歳の誕生日、おめでとうっ」
……え……ええっ?
私はもしかしてと思って、大きな二つのバースデーケーキを見直してみる。
最初のには……やっぱり十八本のロウソク。
茜が出してきたケーキには……十九本。
これってもしかして……私が置いてきた、誕生日を……
「さーてと。じゃ、今度は俺の番だな」
そう言って立ち上がった孝之君が出してきたのは、やっぱりバースデーケーキ。
そこに立っているロウソクが二十本であることを、急いで確認する。
「というわけで……遙、二十歳の誕生日おめでとう」
いつもの優しい表情で、私にお祝いの言葉をくれる孝之君。
でもお父さん達も見ているからかな、ちょっと緊張してるようにも見える。私もなんだかしっかり聞かなきゃいけない気がして……思わず肩に力が入った。
「一足早く二十になっちまった俺からお祝いの言葉を。ようこそ遙、大人の世界へ」
「……鳴海さんが言うと怪しいよね」
さり気無い茜の台詞。
あ、あははっ……つい私も頬が緩む。
……見ればお父さんやお母さんも苦笑してるよ……。
「う、うるせーぞ茜君っ」
孝之君はそう反応して咳払いをすると、一息入れてから再び私に向かって口を開いた。……私も孝之君も、茜のその台詞のおかげで肩の力が抜けたみたい。
「俺……今でも覚えてる。三年前……おまえの卒業証書握り締めて。おまえの病室で、日が落ちるまでずっと、寝顔を見続けてた日のこと」
あ……。
その抜けた力とは裏腹に、孝之君の口から流れてきた言葉は……私の知らない、私が知らないが故に辛い、記憶の話だった。
だけど……不思議と、孝之君の顔は穏やかだった。
「あの日……おまえの誕生日だったんだよな……。どんな台詞でおめでとうを言ったかなんて、正直覚えてない。ただ、卒業できたんだぞ、ってことと、大学行けなかったことぐらい大した事ないから、早く一緒に歩いていこう……そんなことをずっと呟いてた気がする」
やがて、平穏だった孝之君の表情が、かすかに曇った。
「それで……それが、最後だった。その次の年から、俺は……おまえに会いに来なくなったから……」
「……孝之くん……それは……孝之くんのせいじゃないから……」
そんな私の台詞に、孝之君は微かに笑って応えた。
「あ、いや、いいんだ。今はもう、自分のしたことが分かってるから。……たださ、だから俺、今年に入ってもうすぐ遙の誕生日だ……って聞いても、正直なんだか実感が湧かなかったんだ。どうやってお祝いをしたらいいのかも……分からなかった」
大体俺は彼女の誕生日なんて経験ほとんどないんだからな
───
孝之君はそう笑って肩をすくめる。笑ってるけど……だけどその事実は、私が事故に合ったのが8月27日だってことと……無関係じゃ、ないよね……
「……遙が寝ている間、おまえの誕生日は決して……楽しいものじゃなかった。悲しいとさえ思った。だけど……ある時、ある人が言ってくれたことを思い出して、気づいたんだ」
そう言うと孝之君は、懐かしそうな表情を浮かべる。
……そのある人って……
「例え一人で、寂しい誕生日だったとしても……それが悲しくなくなれば、いいんじゃないかってな。ベッドの上で、一年が過ぎてしまったことを悔やむような誕生日……そんなの悲しいだろ……!」
その台詞は……。
なんでだろう。どこか不思議と、水月を思い出させた。あれは確か、あの春の……
「……だったら、それを悲しくなくせばいい。もう一度ちゃんと、お祝いをすればいい───そう思って、お父さんやお母さん、茜ちゃんにちょっと無理を言ってお願いしたんだ。遙の誕生日を……三年分、幸せにしてやりたいって……な」
ふと耳に入ってきた孝之君の言葉に、思考がふつりと途切れる。
なぜならそれは……ものすごく、嬉しい言葉だったから
───
「だから、こんな不器用な形でしか思いつかなかったけど……とにかく、この言葉を受け取って欲しい。やっと……三年半も待って、言える台詞だから……」
私は次の言葉に備えるように、軽く目を閉じたあと……再び顔を上げる。
私をまっすぐに見つめてくれる孝之君と、目を合わせるために。
「誕生日、おめでとう、遙。そして、ようこそ、おかえり。こうやっておまえと一緒にいられて……俺、本当に幸せだから……」
「孝之くん……」
私もずっと、待っていた。
自分が一番好きな人に、自分の誕生日を祝ってもらう、その瞬間を。
夢はようやく、叶った
───
「……っほん。あのー、えーっと、……姉さん、鳴海さん?」
短い沈黙の後、茜の気まずそうな台詞に、はっと今自分のいる場所を思い出す。
お父さんの小さな咳払いが、さらに追い討ちをかけてくる。
見てみれば、赤面してる孝之君も……きっと同じことに気付いたんだよね……。
…………。
「え、えーっと。さ、さあ一巡したところで、ケーキ食べよっ? さ、お母さんお皿とナイフお願い……私お茶淹れてくるね!」
茜のフォローにすがるかのように。
甘さと気まずさが織り交じった雰囲気を、みんなが一斉に振り払って動き出す。
「そうだよな、せっかく買ってきたんだから早いとこ食べるとするか」
そのときふと、私は些細なことが気になった。
「あ……でも孝之くん、いくらなんでも三つのホールケーキは……ちょっと買い過ぎだったんじゃないかな……って……」
孝之君が気分を悪くしないといいんだけど……
そう思いながら聞いてみた台詞に、孝之君は安心したような顔ですぐに答えてくれた。
「あ、それなら心配しないでくれ。実は一つ以外は『おすそ分け』の当てがあるからさ」
ケーキの……おすそわけ?
なんか変な感じがするなあ……。でも、無駄にならないならそれでいいよね。
……やがて並んだケーキと紅茶で、私たちは小さく幸せな時間を過ごす。
そして予定通り、私は家族に見送られて、孝之君との時間のために家を後にした。
そこに待っているものを、何一つ想像しないままに。
エンディング・トースト───「あの灯の向こうで君を待つ人」
夕暮れ時の港町を、孝之君と二人で歩く。
新しく開発されていく橘町の街並みに、自然の存在を主張するように点在している満開の桜。暮れなずむ空の色を背にした桜の下を、袴やパーティードレスで着飾った人たちが歩いていく。
橘町には大きなイベントホールやホテルがいくつもあるから、きっと卒業式やパーティーが沢山開かれてるんだ。
……もし私があのまま大学に入っていたら、今ごろは三年生。
花束のひとつでも抱えて、卒業式から出てくる先輩を待ってたりしたのかな。……一年後に控えた自分の同じ姿を予感しながら、誰かの旅立ちを祝福してたんだろうなあ……。
現実には、私にとってその瞬間は、まだ何年も先のこと。
……そのことはちっとも辛くない。だって、それは手の届かない時間じゃないって、知っているから。そこへ向けて進むべき道が、私の前にはちゃんとあって……その道を一緒に歩いてくれる人が、すぐ隣にいてくれて……。
だけどやっぱり、ほんの少しだけ寂しい。
私がそうして見送るはずだった先輩達、一緒に過ごすはずだった同級生達は、今はもう私の時間とは交わらないところに行ってしまったから……。
「ん、どうした遙?」
「え、あ、卒業式シーズンなんだなあ……って見てただけだよ」
「確かになぁ……ま、俺たちもそう見えなくもないだろうけどな」
そう、実は今日の私たちも少しだけ着飾っている。
孝之君は一応ジャケットを着てるし、私もいわゆるエレガントカジュアルの装いをしてる。……うーん、今日は服装の指定があるところ、ってことだけで、どこに行くのかは教えてくれてないんだけどね。
「それにしても遙って……パーティーウェア似合うよな……」
「そ、そうかなぁ……多分着慣れてるだけだと思うよ……。昔から家族でお食事行くときはこういうの着せられてたから……」
「は、はは……それはそれで十分……その……」
何故か目を逸らしてしまう孝之君。私……何かヘンなこと言ったかな?
「……でもとにかく。あー、その、なんだ。……遙、綺麗、だよ。ホント、まさに自慢の彼女って感じだ」
「た、孝之くん……」
逸らしてた目を戻してきた孝之君とは逆に、今度は私が思わず目を逸らしちゃう。
「うう〜、嬉しいけど……こんなところで言われると恥ずかしいよ……」
そんなおしゃべりをしながら、私たちは橘町の端の方、港を望む公園の方まで歩いてきてしまった。孝之君の足が向かっているのは……橘インテル・ハイアットホテル。クリスマスの時にも泊まった、あのホテルだった。
あれ……前とおんなじところなのかなあ……。
ホテルのロビーは、卒業式後の学生たちで賑わっていた。
外の街並み以上に、派手なドレスやきっちりとしたフォーマルウェアに身を包んだ人たちも見掛けられ、みんな楽しそうに会話している。
孝之君は私の手を引いて、そんな人込みを抜けていく。
……人もまばらになった廊下をさらに抜けた、人気のない奥まった場所。そこにあった、何の表示も出ていない扉の前で、孝之君は止まった。
「……っと。時間通りだな。さ、入るぜ」
扉の向こうは、真っ暗な部屋だった。
何かいろいろ箱とかが積みあがったりしていて、ホテルの部屋とは思えない。
その暗い中を、向こうに見えるほのかな灯りを目指して進んでいく。
……揺らいでるあの灯りは……ロウソク……? え、それって……
孝之君と一緒に灯りの元に辿り着き、それがケーキの上に並んだロウソクであることを確認したその瞬間。
───部屋が一気に明るくなった。
『涼宮さん、二十一歳の誕生日おめでとう!!!』
そこは、ホテルのパーティーフロア。
そこにいたのは……不意に蘇った記憶の中に、次々と浮かんでくる顔ぶれ。
高校の……三年前のあの時の……みんながいる……!
「柊学園98年度3年A組B組合同同窓会っ、本日のスペシャルイベント!」
「三年ぶりに退院してきた涼宮遙さんの誕生日をここに祝いたいと思いますッ!」
お馴染みのバースデーソングが歌われて、そして運ばれてきたのは……家で見たあのケーキ。当てがあるってこういうことだったんだ……
「涼宮さん久しぶり〜!遅くなったけど退院ホントおめでと〜」
「大学受け直すんだって? がんばってね」
「でも待っててくれた彼氏がいるなんて羨ましいなぁ……」
次々に声を掛けて来てくれるみんな。
少しずつ浮かんでくるみんなの名前と共に、私はそれに応えていく。
……みんな……覚えててくれるなんて……
「そりゃ涼宮は自覚なかったかもしれないけどな」
そう言いながら声を掛けてきてくれたのは……平君。
もちろん彼も今日のこと知ってたんだよね……
「いや……涼宮って結構人気あったんだぞ? あのまま二学期になってたら孝之が刺されたかもしれないぐらいな」
え……そ、そんなこと言われても……
「それにそんなんだと普通女子連中には嫌われそうなもんだけどさ……いやほら、涼宮の天然ボケは厭味なレベルを遥かに超えてたからな……」
「うう〜、そ、そんな台詞を真顔で言わないでよお……」
そ、それは素直に喜べないけど……でも、そのいかにも真剣を装った平君が可笑しくて、ついつい頬が緩んでしまう。
「……だからさ、おまえが退院して、しかも白陵目指してるって噂聞いて……B組の幹事が孝之に連絡してさ。同窓会をAB合同にして呼び集めて、今日に設定したって訳。このイベントのせいか知らんけど、今日は出席率もやたらいいよな」
そうだったんだ……。
それにしても……同窓会。
私はもう、そんな言葉自体忘れていた。そんなものは、三年後という世界に切り出された私の人生からは、縁のなくなったものだと……思ってた。
だけど……
「ま、この出席率は……涼宮の前で言うのも何だけど、何でもいいから何かにかこつけて騒ぎたい……って気分もあるんだろうよ」
「……え? どういう……こと?」
みんなが楽しんでくれるなら、私はそれで全然構わないけど……
「奇しくも俺たちも、見えない未来の入り口に立ってるってことさ。
───就職活動、ってヤツだ」
「あ……」
「そりゃこのご時世、就職活動自体厳しいモンだ。でもそれと同じくらい……自分達が否応なしに、本当の籠の外に放り出される日が確実に近づいてくることを……何かある度に認識しなきゃいけない時期でもあるからな」
見えない未来の……入り口。
何かが確実に近づいてくる……それはまさに、生きている、という時間。
そうだよね……新しい何かに向かって歩いているのは、私だけじゃ、ないもんね……
「ま、とにかくだ」
一息ついて、平君は爽やかな笑顔を見せて、言葉を繋ぐ。
……その笑顔には、本当に深い実感がこもっているように見えた。
「……おかえり、涼宮。孝之ともども、俺たちのところに帰ってきてくれて嬉しいぜ」
「うん……ありがとう、平君……」
「……ま、ホント言うとな」
そう口を開くと、ほんの少し目を逸らす平君。
「もう一人、帰ってきて欲しいヤツもいるんけど……あいつはまだ……」
あ……そう……だよね。
この場所には、本当なら一番いても不思議じゃないはずの……水月が……ここにはまだ、いないんだよね……。
「あいつが戻ってきたときに……また、馬鹿騒ぎしような。その時は、四人だけで」
「……うんっ!」
気が付けば、孝之君も懐かしい顔触れと笑い合っている。
と、そこへマイクを片手に一歩歩み出た人がいた。
「え〜、それでは〜、白陵大学付属柊学園98年度卒業生の〜、涼宮さんへの想いを胸に秘めた……」
え……ええっ!?
「……けど、何も言えなかった〜、そんな地味系男子を代表いたしまして───」
あ、あはは……に、人気、かぁ……。
……それで。ええと……この人、名前、なんだったかな……
とにかくその人の掛け声で、十人程の男の子が彼に従って一歩前に踏み出した。
「この大馬鹿野郎の幸せ者、鳴海孝之君に祝杯を捧げたいと思いますッ!」
彼が片手を上げると、この上ない破顔と共に、彼らが一斉に背中に隠し持っていたビール瓶を掲げ……
『総員構えッ!』
「ばっ、そ、それは聞いてねぇぞコラッ!!!」
『オメデトウ! 良かったな孝之君!!』
……よく振られたビールが、孝之君に勢いよく降り注いでいく。
か、可哀想なんだけど……なんだか可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「身体を張って彼女を笑わせるとは、さすがだな孝之!」
「くそっ、そりゃおまえらが勝手に……がふっ、やめ……!」
そんな孝之君を眺めていると、不意にまた平君が後ろに近づいて来た。
「しかし涼宮……こういうのもいいけど、やっぱ本当は二人きりの誕生日、期待してたんじゃないのか?」
「え!? あ……えっと、それは……その……」
そんな質問、私が答えられないの分かってるのに……
思わず俯いてしまった私に、平君がそっと何かを手渡してくる。
「……で、コレは本当に有志を募ってゲットした、涼宮への誕生日プレゼント」
私の手の中には……え、これってカードキー?
びっくりして平君を見上げると、彼は悪戯っぽく笑って……
「橘インテル・ハイアット26階にてお部屋をご用意させて頂いております」
……そうホテルマンの台詞を真似てみせた。
「……まぁ孝之はあんな状態だけどな。着替えは一応既に部屋にあるし……大丈夫、実は孝之経由でご両親には了解済み。俺たちもこれで涼宮の誕生日を終わらせるほど野暮じゃない、ってことで」
顔が真っ赤になっていくのが分かる。
うう〜、まともに返事できないよ……
……ああ、だけど。
朝から、夜まで。これだけの人が、私の誕生日を祝ってくれたんだ……。
孝之君と出会えたあの夏のひと月。私が眠っていた三年間。……もう、取り戻すことなんてできないようにすら思えた、人間にとってはあまりに長い時間。
だけど、そこには色んな人の人生があって。
例え眠っていたとしても、その人たちの人生から、私という存在が……消えてしまったわけじゃなかった、ってこと。そのことを、今日ほど思えた日はなかった。
……その全ての中心に、あの人がいる。
私にこんな一日をくれた……私という存在を、一番強く確かめさせてくれる、孝之君。
そう……だよね。
いっぱい……いっぱいお礼を言わなきゃ。だから……!
「……うん、ありがとう……平君っ!」
そして……私の誕生日を祝ってくれた全ての人に……ありがとうの言葉を。
自分がこの世界に降りてきた事に、今までで一番の感謝の気持ちを捧げたい。
だって、私は、ここに、いるんだから……!
誕生日おめでとっ、遙。
……んー、まぁ最後の一年だもんね……。
悲しい誕生日になっちゃったら嫌だよね……
……うん、わかった。
この水月ちゃんに任せなさいっ!
だったら悲しくなくせばいいじゃない。
そいつが次の誕生日を祝うに値するか……
私が見極めてあげるからさっ!
† あとがき
†
ああ、最後の最後の締め切りと考えていた、遙さんの誕生日1週間後をついに超えてしまいましたが……ふぅ。仕方ありません。遙さんの誕生日に、手を抜いたものを出すわけにはいきませんものね。
というわけで、
「世界に君が降りて来た時」、ようやく公開です。
話の展開は比較的早く思いついてたんですが、書き始めてから年数や水月の存在に不整合が出てきてしまって、8割方書き直した「相変わらずの」難産作なのでありました
(^^;;
遙さんに関わる人たちが送る言葉。……いやぁ、やっぱ愛されてこそ輝く遙ですから、こんな連弾のSSを書いてみたくなって挑戦してみました。無理のある展開はご容赦くださいませ。
これでしばらくイベントSSはなし。
ちょっと長めの短編
(?)が続いてきたこともあり、もっと日常的な、そして短く起承転結をまとめた文章を書いていけたらなぁ、と思っていたりします。またお読みいただければ幸せです。
それでは、また次の作品で。
こんな作品でも、
御感想いただければ幸いです。
still more...▼
エピローグ・ダイアログ───「君がそこにいるという奇跡」
「……ねえ孝之くん……起きてる?」
「ん……? ああ、起きてるよ」
俺の右手に伝わった微かな動きに、落ちかけた意識が戻ってくる。
毛布の下で繋いだ手のひらに、遙が少しだけ強く力を込めてきた。
「今日……すごく楽しかったね」
「そう言ってくれると俺もすげー嬉しい。なんせ遙の……誕生日なんだからな」
暗がりに慣れた目が、遙の姿を認識する。
慣れたとはいえ、薄闇に映る遙の表情は微かだが……俺にはそれで十分だ。
「あとね……いっぱい……嬉しかったよ……」
「……そっか」
互いに身体を寄せなおす。
繋いでいた手を僅かにずらし、腕を絡めると……お互いの温もりが、また少しだけ近くなる。遙はその温もりを確かめるように動きを止めていたかと思うと……ゆっくりと、口を開いた。
「あのね、孝之くん……ちょっと、考えてたことがあるの」
「……なんだ?」
「私が事故に遭ったこと……」
「え……まだ……気にしてるのか……?」
「ううん、あの三年間が、誰にとっても、ただの無駄な時間じゃなかったってことは……ずいぶん前から思えるようにはなってたの……だけど……」
誰にとっても……その言葉に遙自身が含まれていることが、今なら分かる。
彼女がそう言ってくれることには安堵した。だけど……
「そのせいでいろんな人の人生が狂っちゃった……この事実は変わらない、よね」
あの夏から遙が繰り返す、言葉。
微かに、もう俺ぐらいしか分からないぐらい微かに、その身体を強張らせる、遙。
「だから、私が頑張らなきゃ……今は三年後で、いろんな事を取り戻すために頑張る時なんだって、そう思ってた」
……それはそうだ。
俺だってそう思って、今日まで頑張ってきた。明日からも、新しい一歩を踏み出すために頑張り続ける。……でも、そんなことは口にしなくても、遙も分かってるはずだけど……?
「でもね、今日、やっと感じられたの……今は、今なんだって」
「あ……」
「私が生きてるこの時間が……三年後、って飛んできた時間でもなくて、空白を取り戻すための人生でもない……ずっと続いてきて、これからも続いていく、私の人生の一部なんだって。そう、思えたんだよ……」
暗くても分かる。その瞳に溜まる煌きは……涙。
悲しさじゃなく、今自分がここにいることを、今隣にお互いがいることを……
「えへへ……私今日やっとね、本当に自分が大人になったんだ……って気がしたよ」
動き出した時間のマイルストーン。
新たな一年を刻む、今日この誕生日を共に祝える、喜びの涙。
その想いが、遙の瞳、遙の吐息、遙の温もりとなって、俺に伝わってくる。
「そっか……じゃあ、改めて……誕生日おめでとうだな、遙」
その温もりを自分のものに換えて、遙を再び温めるように。
俺は想いを込めて、その台詞を遙に伝えた。
「にしても遙……うーん、大人、かぁ……」
「……え、あ、あのっ、も、もちろん歳の上ではって意味だよっ?」
私がまだ子供っぽいって自覚ぐらいはあるんだから……遙は俯きながら小さく呟くと、俺の腕を両腕でぎゅっと抱き締めてきた。
俺は反対側の手で、そんな遙の髪をそっとなでてやる。
「ば〜か、そんなこと言ってないだろ。今俺の隣にいるのは他でもない……今を生きている、二十一歳の遙なんだからな」
「……うん……ありがとう……孝之君……」
ほんの少しの間、遙の心地良い吐息を腕に感じた後……
遙は俺の目を見つめて、言葉を紡ぐ。
「この今っていう時間に……私と一緒にいてくれて、本当にありがとう」
限りなく広い宇宙 永遠に続く時間の中で
あなたと私が 同じ惑星、同じ時代に生きていることは
───それ自体が奇跡だから。
4年振りの誕生日は、かくして幕を閉じる。
再び桜の咲く頃に、その隣にいるのがお互いであることを
───
───その日をただ夢見ているだけじゃなくて、叶うことを、信じて。
───HAVE A LITTLE MIRACLE FOR YOURSELF.
「あなたと生きること」の台詞は、
故カール・セーガン氏の著作「コスモス」冒頭より
一部引用致しました。
氏の深遠なる功績と、日本への理解に敬意を表しつつ。